トーキング・マイノリティ

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女盗賊プーラン

2005-08-23 21:42:53 | 読書/ノンフィクション
 インドの悪名高いカースト制を身をもって体験した女性の衝撃的自伝。プーラン(花)の名とは裏腹の凄まじい半生には言葉もない。

 プーランは'50年代後半に、ウッタル・プラデシュ州に下層カースト(不可触民ではない)の子として生まれる。貧しいゆえ持参金がほとんど工面できず、11歳で30過ぎのやもめと結婚する。が、待ち受けていたのは虐待と重労働、挙句の果て婚家を追い出される。
 出戻りした女に故郷の村人の仕打ちは残酷だ。盗みの濡れ衣、井戸の使用禁止、村八分、果ては村人ばかりか警官による集団暴行・・・これ以上ないほどの迫害が続く。彼女の人生に転機が訪れるのは、ダコイット(盗賊)団に誘拐されてからだった。

  皮肉にもプーランを誘拐したダコイットのなかに、彼女に初めて親切に接した人物がいた。この人もマツヤ(魚取りの意味)と呼ばれる低カーストの出で、やがてプーランと結ばれる。
  しかし、盗賊の世界にもカーストがあり、彼女の夫はクシャトリア・カーストの盗賊に殺害され、彼女は夫を殺した男たちに拉致の果て、集団暴 行を受ける。その間、連行された村で裸のまま縛られさらし者にされた。隙を見て逃走した彼女は固く復讐を誓う。盗賊団を率い“本業”の傍ら自分を辱めた男 たちのいる村を襲撃、20人を銃殺。ビーマイ村虐殺事件として世に知られる。1981年の事だ。

  いかに汚職腐敗で有名なインドの警察も、もはや“盗賊の女王”と知れ渡ったプーランを放っとくはずがない。彼女は追い詰められ、司法取引の 末投降、11年間の獄中生活を送る。獄中で自らの半生を語り、文盲ゆえに口頭記録から原稿をおこして完成させたのがこの自伝。出所後政治活動を始め、 1996年選挙に出馬し国会議員となる。所属はサマジャワディ(社会)党だった。

  彼女の自伝は世界各地でベストセラーとなり、映画化もされた。監督は「エリザベス」「サハラに舞う羽根」のインド人監督シェカール・カプール。ただ、彼女を持ち上げるマスコミの姿勢に、かつて彼女の被害にあった村人は怒りを表していたとか。

  しかし、2001年7月、プーランはニューデリーで暗殺される。享年43歳。地元警察は犯行グループの7人を逮捕したが、主犯格の男は「ビーマイ村事件の仕返しだった」と供述していた。

  この本の最後の言葉「私を人間として扱って欲しいのです」は、かなり重いものがある。出所後彼女は仏教に改宗したそうだが、インドで仏教徒は力もない少数派に過ぎない。このような少数派を、政治家も看板に利用することが多い。
  私はカースト制が何故有史以来続いているか疑問に思う。インド人が頑迷で無知だからでは決してない。やはり、いかに調べてもカースト制は複雑で異教徒には到底分かりえない。ただ、人間は本質的に平等を望まない生き物なのは確かだ。


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8 コメント

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不思議なこと (Mars)
2005-08-24 10:54:43
こんにちは、mugiさん。



苫小牧の優勝はどうなるのでしょうね。でも、一番の被害者は、事件とは無関係の優勝したメンバーでしょうね。高野連の賢明な判断を願います(あまり、期待していませんが)。



しかし、今回も重い内容ですね。

復讐の復讐による結末。そして、事件の根幹には身分制度が存在する。身分制度なんて、なくした方がいいと考えるのは簡単ですが、なくす方法までにはいたりません。ましてや、簡単に、制度をなくした方がいいと考えるのは、その実態を知らない者の考えでしょうね。



>人間は本質的に平等を望まない生き物

私も同意します。いくら、人権は平等といっても、他人よりお金であたっり、食べ物であったり、物質であったり、何か優れたものを欲しがるものだと思います。また、他人より上位に立ちたいもの。そういう欲がまったくない人間なんて、0.1%もいないでしょうね。

(まぁ、そういうあくなき欲求があればこそ、人間は発展すると思いますが。でも、欲求のコントロールが必要なのは言うまでもありません)



人間は、他人と100%理解しあえることなんて可能なんでしょうか?また、完全な平等なんてありえるのでしょうか?

唯一、すべての人間に共通なのは、生まれたものは、必ず死を迎えるということですね。まぁ、それに至るまでの過程は、個人個人で、異なるものですが、、。
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不可解 (mugi)
2005-08-25 20:22:55
こんばんは、Marsさん。



高校野球部内の体罰は苫小牧に限らず何処も大同小異ではないかと思います。発覚しないだけで野球のみならず他の運動部もある。私は体罰が分かった時のマスコミの報道の方が不可解です。せっかく優勝した苫小牧の生徒が気の毒。



インドのカースト制は絶対なくならないと思います。インドに限らず人間社会は階級性と無縁な社会などない。神の前の平等が建前のイスラム、キリスト教圏も階級社会、宗教否定の儒教もまた階級制。私は必ずしも階級制イコール絶対悪とは思いません。インドのカースト制度を調べているうちにプラス面も少なからずあるのが分かりました。低カーストは虐げられた不幸な人たち、がいかに短絡的な見方であるのも。



人間は自分自身さえ把握できないのに、まして他人と100%理解しあえるなんて不可能だと思いますが。勘違いやほとんど妄想の思い込みが人間の感情の大半でしょう。逆にそれが創造を生むのですが。
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カースト (便造)
2005-08-26 19:45:22
低カーストの人々は、「次に生まれるときには、高カーストに生まれたい」、と考えているらしいです(自然といえばあまりにも自然な考えですが・・・)。「低カーストの人々がそう考えている限り、カーストはなくならないだろう」と、私の大学の教授はおっしゃっていました。

なるほど、そういう見方もあるのか、と妙に納得したのを覚えています。
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コメント、ありがとうございます (mugi)
2005-08-26 22:39:53
やはりヒンドゥーは輪廻転生を信じているからでしょうか?

報われなかったからこそ、来世に望みをつなぐのかもしれない。ヒンドゥーほどでないにしても、イラスム、キリスト、シク教徒にまでカースト制があるそうです。
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再びカースト (便造)
2005-08-27 20:45:57
20年まえなど、インドの農村に行くと、子供達が珍しがって近寄ってくるのですが、村の長老のような方が、怒鳴りながら子供達を杖で追い払っていました。



私達は、彼らから見るとアウトカーストに属するので、子供達が私達に触れてカーストを失わないように追い払っていたようです。



カーストは、「輪廻転生」という思想の負の面を表しているとともに、世襲の職業と密接に結びついているらしいので、他宗教に改宗しても、その地域社会で生きていく限り、抜きがたいものがあるのかもしれませんね。
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RE:再びカースト (mugi)
2005-08-28 20:59:36
基本的にヒンドゥーからすれば異民族、異教徒は不浄なアウトカーストですね。だからインドでレストランで料理人やウェイトレスはバラモン出が多いときいてます。

ただ、異民族、異教徒を不浄視、蔑視するのはヒンドゥーに限りませんが。
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平等ということ (つな)
2006-01-09 23:59:52
>人間は本質的に平等を望まない生き物なのは確かだ。

こちら、とても重い言葉ですね。

日本の問題などにも、同様の難しさを感じます。



必ずしも虐げられている可哀相な人たちではないのでしょうが、インドの場合、命が関わっている所が、更に切実なような気がします(私が不勉強なだけで、日本でもそういった例があるのかもしれませんが)。



私はこちらは未読ですが、プーランの場合も、復讐が復讐を呼んで、命を落としてしまったのですよね。

輪廻転生だけではなく、憎しみもまた連鎖してしまうのでしょうか。



*トラバ、お返しいたしました。

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コメント、ありがとうございます (mugi)
2006-01-10 22:01:53
こんばんは、つなさん。



日本の問題はインドのカースト制よりも、李氏朝鮮時代の儒教に基づく階級制度の方がより近いでしょう。

ただ、日本の問題に胡散臭い人権団体が背後にいるところは、植民地時代にイギリスが分断工作のため不可触民をわざと優遇しようとした行為に似てますね。



私はカースト制度がなくなることはありえないと思ってます。神の前の平等をモットーにしてるキリスト、イスラム世界で、それが実現できた例がないのと、共産主義国も凄まじい階級社会だったのを見れば。
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