トーキング・マイノリティ

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カティンの森 07/ポーランド

2014-02-07 21:10:28 | 映画

 タイトル通り、第二次世界大戦中に旧ソ連の内務人民委員部(NKVD)が起こした虐殺『カティンの森事件』をテーマにした作品。映画での犠牲者はポーランド軍将校ばかりが映されていたし、軍関係者だけが処刑されたと思っていたが、wikiには国境警備隊員や警官、一般官吏、聖職者まで抹殺されたことが記されている。監督アンジェイ・ワイダがこの作品を撮ったのは80歳の時、実は彼の父も事件の犠牲者だったという。

 冷戦時代、ポーランドは東側ということもあり、事件はナチスによる虐殺というのが公式見解で異論は認められなかった。旧ソ連がこれを自国によるものと正式に認めたのはゴルバチョフ時代の1990年4月になって。しかも殺害されたのはカティンの森だけではなく他にも数か所あり、旧ソ連の最高機密文書によれば、ボーランド人の犠牲者は21,857人にも上ったという。また戦時中の西側連合国の対応は実に興味深く、wikiからそのまま引用する。

イギリスは暗号解読の拠点であったブレッチェリー・パークでドイツ軍の無線通信を傍受し解読していたため、ナチスが大きな墓の穴とそこで発見したものについて気づいていた。またポーランド亡命政府大使オーウェン・オマレーは、事件がソ連によるものであると結論した覚書を提出したが、ウィンストン・チャーチル首相はこれを公表しなかった

 1944年、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトはカティンの森事件の情報を収集するために、かつてブルガリア大使を務めていたジョージ・ハワード・アール海軍少佐を密使としてバルカン半島に送り出した。アールは枢軸国側のブルガリアとルーマニアに接触してソビエト連邦の仕業であると考えるようになったがルーズベルトにこの結論を拒絶され、アールの報告は彼の命令によって隠された。
 アールは自分の調査を公表する許可を公式に求めたが、ルーズベルトはそれを禁止する文書を彼に送りつけた。アールは任務からはずされ、戦争の残りの期間をアメリカ領サモアで過ごすこととなった。
 また事件の生存者であるユゼフ・チャプスキは、1950年から「ボイス・オブ・アメリカ」のポーランド向け放送を担当することになったが、その際には事件に対して言及することを禁じられている。

 この作品の後半で事件犠牲者の遺族が、当局によって口封じを強いられるシーンが映されている。ドイツ占領時代は勇敢に闘ったレジスタンス女性は兄の死の真相を求めようとして、戦後はソ連に協力するポーランド人同胞により拘束される。例え遺族でも虐殺はNKVDが行ったと公言すれば、身体生命の保障はなかった。

 NKVDはウクライナでもヴィーンヌィツャ大虐殺を起こしており、発掘された遺体だけで9,442、うち149体は女性だったそうだ。いずれの虐殺事件でもソ連及びロシアの捜査により責任を追及されたり、訴追されたものは一人も存在しない(wiki)。

 独ソという大国にはさまれ辛酸をなめたポーランドだが、規模は小さいながら第一次世界大戦後、この国も加害者だったことが『父が子に語る世界歴史』(ネルー著)の174章「作用と反作用」に載っており、この箇所を紹介したい。
ポーランドはウクライナの一部を領有しているが、これは拷問、死刑、その他さまざまな野蛮な刑罰を用いて、テロをほしいままにすることによって平定され、「ポーランド化」されたし、現にされている

 映画のラストは、ポーランド人将校が1人1人後頭部を撃ち抜かれて殺害される場面が長々と続く。一斉に並ばせ掃射するのに比べ非効率だが、このやり方では確実に殺害できる。かなり前に見た本でポーランド人に、「ドイツとロシア、支配されるならどちらがよい?」と聞いた日本人の話が載っていたのを憶えている。
 ポーランド人の答えはロシアだった。ドイツと違いロシアはエリート層を殺害しただけで済ませるから、というのが理由。ナチスもタンネンベルク作戦を行っており、こちらの犠牲者は少なくとも20,000人になると考えられている。



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6 コメント

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旧NKVDの粛清 (室長)
2014-02-09 11:31:41
こんにちは、
 旧ソ連のKGBの前身組織であるNKVDは、スターリンによる大量粛清の手先でした。
 カチンの森事件に関しては、冷戦時代に西側ではすでに暴露が始まっていましたが、旧東欧のポーランドでは、反体制派がこっそり囁いていた程度で、広くは知られていなかったと思う。
 旧ポーランドのエリート軍人らは、戦後にポーランドを占領し共産政権を樹立させようと企んでいたスターリンにとっては、邪魔なだけの存在でした。
 また、ワルシャワにおける人民蜂起に関しては、ソ連軍はすぐにもドイツ軍を排除できる至近距離のワルシャワ郊外に到着していたにもかかわらず、市内への侵攻をわざと遅らせ、ドイツ軍によるレジスタンス・抵抗運動勢力の徹底弾圧、殺害が終わってから、ようやく、市内へと進軍し、ドイツ軍を排除しました。赤軍到着を期待し、戦い続けたポーランド・ワルシャワ市民らも、スターリンにとっては、共産党に反抗するであろう、自主・独立派の「反抗心旺盛な、いらない」市民層でした。

 スターリン、ヒトラー、毛沢東…3人とも、自らの目的に邪魔になりそうな人々は、一掃すべき、粛清すべきという、徹底した合理主義者、非情主義者でした。

 チャーチル、ローズヴェルトも、第二次大戦中には、同盟国としてのソ連の不利になるような「カチンの森事件」については、一切口を閉ざすという意味で、戦略第一に考える、冷血漢たちでした。ローズヴェルトに関しては、身辺に多くのコミンテルン系スパイを抱え込んでいたようで、そのことに本当に気付いていなかったのかどうか、不可思議な面すらあります。

 ソ連崩壊時においては、ゴルバチョフという不思議な人物(赤いおぼっちゃま、自らを格好よくみせるだけが得意なおばかさん)が、トップにいて、「文明的にふるまう」ことで、西側市民らの拍手喝采を得ましたが、従来の共産党の、あらゆる手段を使って国益とか、共産党の利害を守るという、ソ連のトップとしての政治的合理主義を欠いた理想主義者であったために、冷戦終結という、思わぬ結果(人類にとっては、大きな成果)をもたらしました。ロシア人、その他の旧ソ連諸民族も、ある程度の自由と、民主主義を獲得できましたが、スターリンが築いた「ソ連帝国」は崩壊しました。

  東欧のブルガリアで、89年3月末まで、冷戦の末期を観察していた小生は、同年4月からは、アイルランドで見られるSky Newsで、東独市民のハンガリーから墺への逃亡、ハンガリー、チェコの民主化、ベルリンの壁崩壊、ブルガリア共産党内の「宮廷革命」などを、遠くから眺めることができました。

 この映画が完成したのが、07年ですか。小生は見ていないけど、中身はだいたい想像がつきます。冷戦後、かなりの日月が過ぎて、ようやく撮影できたのですね。スターリン、ヒトラー双方によって、ポーランドの一番貴重な英才たちが大量に殺害されました。ソ連圏時代のポーランド人の苦難も大変でした。小生も出張して、ワルシャワ市内を歩いたけど、主要道路の角々に立つ、秘密警察員らしき私服の多さに驚いたものです。
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RE:旧NKVDの粛清 (mugi)
2014-02-09 22:40:56
>こんばんは、室長さん。

 記事でも挙げましたが、NKVDはウクライナでも虐殺を行っていました。それまではカティンの森だけで粛清があったと思っていたのですが、wikiを見たら他でも行われていたことを知りました。しかも犠牲者は軍人だけではなかった。共産主義国で知識人を掃討するのは恒例化していましたね。

 この世に悪魔というものが存在するならば、スターリン、ヒトラー、毛沢東がまさにそうです。スターリンは率直に、「人間がいるからこそ問題がある。人間がいなければ何も問題はない」と放言したとか。スケールでは劣りますが、カンボジアのポルポトもそうでした。これら徹底した非情主義者の中でも、犠牲者を最も多く出したのが毛沢東。

 ゴルバチョフは西側マスコミの寵児となりましたが、国内ではそうではなかったのが命取りになりました。やはりロシアの国民性では、スターリンのような強い指導者が好まれるのでしょう。「ソ連帝国」は崩壊しても、新たにロシア「帝国」が復活しましたし、今の処プーチンに代わる指導者はいない。

 旧ソ連末期のモスクワの街を、西側の報道局が映した番組を見たことがあります。こちらも町中至る所に私服警官がいました。これではマイクを向けても、市民が脅えて自由に話せないのは当たり前です。
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ヒトラーは小物? (motton)
2014-02-11 02:27:42
個人的には、合理性がある敵(異民族や権力闘争相手)の虐殺・粛清は理解できるというか、まあ人類の宿痾かと思うのですが、同胞の虐殺はどうにも許しがたい。

ということで、近代史上の悪魔にはヒトラーより蒋介石と李承晩を入れたいですね。
蒋介石は黄河決壊事件や二・二八事件など、李承晩は保導連盟事件や済州島四・三事件など。
「エリート層を殺害しただけで済ませる」ロシアが人間に見えるほど、胸糞悪いものばかりです。
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うわぁぁぁぁ (のらくろ)
2014-02-11 18:39:45
エントリーには無関係ですが、

昨日を有給休暇にして、名古屋で平日にしかできない用事を2~3済ませ、今朝仙台着の夜行バスで帰ってきました。

そして、宮交バスセンター前でバスを降り立っての感想が表題。

だって、雪が降ったのは土曜から日曜にかけてだろう?なんで都心のど真ん中のしかも車道がまだ白いままなんだ? 金沢だったら1日雪が降らない(雨になる場合もある)ならば、少なくとも都心の、それも表通りなら車道は車線部分分は完全に残雪がないぞ(道路にスプリンクラーが埋め込んである)。

宮交バスセンター前から仙台の借家行きバス停までは多少歩かなくてはならないのだが、その途中の大きな交差点(楽天パレードが通った交差点)を渡っていたら、厚雪がガチガチに凍っていて、私の後ろでメガネっ娘がコケていた。起こしてやろうにも、自分の方も足下がおぼつかず、二次災害になっても困るので「ゴメン」と心の中で念じつつ、バス停へ急ぐ。

自分の借家の方のバスはいままでチェーンを巻いていたのを見たことがなかったが、今日はしっかり巻いていた。しかもこの大通り、雪だから余計になのか、やたら路駐(本人は路停のつもりだろうが)が多く、バスがバス停に近づけない。また、発進するときには当然に右ハンドルを切るが、このとき後輪が滑っているのがわかってドキドキ。

本当はこんな日にはクルマを運転したくないのだが、外せない野暮用があってやむを得ず出掛けたところ、まあ、大通り、幹線沿いは比較的マシといえるが、一歩裏道(といっても抜け道マップには載っているような、地元民のみの道路というわけではない)にはいると真っ白。しかも踏み固められて凸凹になっている状態では、凸から凹へとクルマは無理やり滑り落とされるで、対向車とすれ違う時は減速はもちろん、できるだけ双方で路肩へ寄って、接触事故を起こさないように気をつけなければならない。

地元の人とお話ができたところでは、この積雪量は仙台では数十年ぶりらしいが、東北人なんだからもう少ししっかりと対処してくれるかと思ったら、意外にホッタラカシなのねと、気分は沈んでしまった。

そんなこんなで今日は大変疲れました。明日からの出勤が鬱です。
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RE:ヒトラーは小物? (mugi)
2014-02-11 21:02:14
>mottonさん、

 ヒトラーもレームなど古くからの同志を粛清したり、心身障害者を抹殺したりしていますが、東アジアの独裁者に比べれば確かに大人しいですよね。黄河決壊事件のことは貴方から教わりましたが、李承晩のことは失念していました。保導連盟事件だけで20万人が犠牲になり、済州島四・三事件では島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺されたと考えられています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E5%B0%8E%E9%80%A3%E7%9B%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%88%E5%B7%9E%E5%B3%B6%E5%9B%9B%E3%83%BB%E4%B8%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 こんな国の指導者が日本支配36年を未だに糾弾し続けている。拙ブログにも日本は朝鮮の名前や文化を全て奪った、と書き込んだ在日もいます。これまた胸糞悪いばかりです。
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RE:うわぁぁぁぁ (mugi)
2014-02-12 21:55:42
>のらくろ さん、

 先週の土日にかけ、仙台では積雪35㎝という記録的な大雪となりました。仙台でも郊外はそれ以上の積雪になっています。昭和11年以来のことであり、例年ならせいぜい積雪30㎝にならないのですが、今回は想定外でしたね。
 そのような事情もあり、金沢のように道路にスプリンクラーが埋め込む対策がなされていない!だから未だに街の中心部でも残雪が多く、それが凍って危険な状態です。

 雪は日曜の午前中に止みましたが、家の前で雪かきをしている際、無謀にもチェーン無しの車が通りました。そうしたら案の定、雪に車輪をとられ、動けなくなってしまいました。付近の男性が数人がかりで車を押し、やっと発車しましたが、件の車を運転していたのは若い男で、妻子らしき家族も乗っていた。

 昨日は私も近所のスーパーに買い物のため、車を運転しましたが、やはり緊張しましたね。我が家付近の道も凍った厚雪で真っ白。除雪車も大通り以外は来ないし、暫くはお手上げ状態です。自動車通勤では、くれぐれも気を付けて下さい。
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