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日本のイスラム研究業界の異常性 その二

2022-09-10 22:00:16 | 読書/ノンフィクション

その一の続き
 米同時多発テロ事件当時、イスラム研究業界を牽引していたのは「イスラーム復興論」を自論とする京都大学大学院教授(当時)小杉秦氏だったという。「イスラーム復興論」とは、信者がイスラームに回帰し、日常生活の中でイスラーム的象徴や行為が以前より顕在化し、信者の生き方の様々な側面により大きな影響を及ぼすようになる現象のこととされる。
「イスラーム復興論」では、「イスラーム民主主義やイスラーム銀行といった近代に適合するイスラーム的制度を創出している」と主張、将来的にはイスラームが近代を超克することを展望する論なのだ。イスラームは近代と矛盾しない、むしろ近代が生み出したあらゆる問題を解決し、世界を理想世界へと導く唯一のイデオロギーだというのが小杉氏の持論という。これが業界のテーゼである「イスラームこそ解決」になっていく。

 飯山陽氏はこの論にこう反論している。
「ところが現実にイスラーム復興がもたらしたのは、テロ組織の勃興と暴力の連鎖でした。小杉(※著書では全て敬称略)の思惑とは裏腹に、現実世界におけるイスラーム復興は明らかに近代の否定、破壊へと向かっています。
 小杉は『イスラームとは何か』において、テロを「危機の時代における過剰反応である」と例外扱いした上で、「イスラーム復興現象の大半は、政治的でもなく、劇的でもない」と断定しています。しかしこれが的外れであることは、歴史がすでに証明しています」(126頁)

 飯山氏がまだ学生だった2000年代初頭、小杉氏が提唱しイスラム研究者たちが信奉するイスラーム復興論の矛盾を指摘した研究者は、池内恵氏しかいなかったそうだ。
 池内氏の著書『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書、2002年)が同年に大仏次郎論壇賞を受賞すると、イスラム研究業界の大物たちから批判を受けた。さらに池内氏が体験した出来事は、このようなことが学界内で行われていたのか、と絶句させられた。

池内は中田(考)の『イスラーム 生と死と聖戦』(集英社新書、2015年)によせた解説で、イスラム研究者たちからは言論上の圧力を受けただけでなく、公衆の面前で暴力をふるわれた体験も複数回あり、しかも「高い地位にある教授のほぼすべてが一堂に会しておりながら」その事実を黙認したと述べています。
 イスラム研究者が「気に入らない相手」に対して集団で暴力をふるい、それを業界全体が組織的に隠蔽するというのは、救い難い欺瞞にして卑劣な不正です」(131頁)

 池内氏はツイートでも研究者たちから受けた集団暴行について言及していたことがあった。迂闊にも保存し忘れたが、これがイスラム研究業界版総括とすれば恐ろしい。運動部でのコーチや先輩によるシゴキより、ずっと始末が悪い。これでよく心が折れなかったと感心させられる。
 他国の学界で人種差別を受けるのは辛いが、母国で同胞の研究者たちから集団リンチに遭い、高い地位にある教授のほぼすべてがそれを黙認していたとすれば、日本の学界は戦前の封建的体制から全く進化していない。21世紀になってもアカハラ、パワハラが蔓延るのは当然だった。

 女性ゆえに飯山氏は公衆の面前で暴力をふるわれなかったにせよ、氏への誹謗中傷はインターネット上で盛んにおこなわれているという。イスラム研究業界の若手研究者さえ「口を揃えて私を誹謗中傷している事実自体が、イスラム研究業界では見解の多様性は許容されず、反体制的イスラム擁護論者しか存続することができないという実態を露呈されています」(239頁)。

 研究者ばかりか、ムスリムのジャーナリスト常岡浩介は、「2019年初旬から延々とツイッターで「常識やモラルや教養の欠如」「無教養丸出し」「デマや誹謗中傷を繰り返す」など私を罵倒する投稿をし続け、私がブロックした後もログアウトした状態で私のツイートを監視していると公言して」(239-40頁)いるそうだ。
 また米山隆一(現代は衆議院議員)も、ツイッター上で執拗な中傷を続け、飯山氏がブロック後も別アカウントを使い、氏のツイートを見続けていると公言、それは「普通のこと」だと開き直り、「論者の資格などゼロ」「事実無根で名誉棄損をする人」など誹謗中傷を続けているとか(240頁)。

 第8章で飯山氏はこう結んでいるが、先のようなイスラム擁護論者こそ研究者の資格ゼロだろう。
イスラム研究者が私にヘイトのレッテルを貼り執拗に攻撃するのはおそらく、私利私欲のためです。彼らの主張をよく読めば、彼らがイスラム教を擁護しているようでいてイスラム教についての正確な知識に欠けていたり、自分のイデオロギーに都合のいいようにイスラム教の競技をねじ曲げていたり、イスラム教徒の見方をしているようでイスラム教を見下していたりすることが明白になります。それはおそらく、彼らが本当に守りたいのはイスラム教でもイスラム教徒でもなく、自らの地位や権威、既得権益だからです」(245頁)

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