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トーキング・マイノリティ

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リバー・スートラ その一

2021-04-03 21:10:49 | 読書/小説

 インドに無関心の人でもガンジス川の名だけは知っているだろう。近年は水質汚染が問題になっているが、依然として聖なる川であり、敬虔なヒンドゥー教徒はこぞって沐浴を続けている。
 しかし聖河はガンジスだけではない。インドには五大聖河とされる河があり、そのひとつナルマダ川をテーマとした小説『リバー・スートラ』(ギータ・メータ著、ランダムハウス講談社文庫)を先日読了した。以下は裏表紙での作品紹介。

インド五大聖河として有名なナルマダ河は、シヴァ神が流した汗から生まれ、山肌を駆け下るうちに美しい乙女になった。その乙女はさまざまな変身を遂げ、あまたの苦行僧の欲情に火をつけたという。この河のほとりにやってきた人々の、世にも不思議な物語――ジャイナ教の僧侶が語るインド経済の凄さ、半蛇半人の末裔という女にまつわる魔性の性、さらわれた高級娼婦が語る時空を超えた愛の物語など、目眩くインド的曼陀羅絵図。

 ちなみに題名にある「スートラ」とは、「糸」「より糸」などを意味するサンスクリット語で、バラモン教やヒンドゥー教では「聖典」「経典」を示す言葉として使われているそうだ。だから有名なインドの古典カーマ・スートラも、直訳すれば愛の聖典となる。
 この作品で初めて私はナルマダ河を知ったが、神サマの流した汗から生まれた河という神話は興味深い。さらに河は山肌を駆け下るうちに美しい乙女になり、あまたの苦行僧の欲情に火をつけたので、日本人から見れば魔性の女に転身したとなる。

 尤もそんな彼女の創意を愉しんだシヴァは、彼女をナルマダ―「愉快なもの」、サンスクリット語では「欲情をなだめるもの」―と名付け、「河の王」アラビア海の花嫁に決めたとされることが、訳者あとがきに載っている。苦行僧の欲情に火をつける乙女を「愉快なもの」と名付けるのだから、シヴァも大らかというかふざけているのか……
 この大河は「愛の川」「生命の川」とされ、現代もこの大河を河口から水源までたどり、さらに引き返すという苦難の順礼をする人があとを絶たないという。流域に様々な宗教の聖地を擁するとともに、沢山の伝説とアーリア民族流入以前からの古代遺跡の宝庫としても知られている。

 物語は、そんなナルマダのほとりの保養所に隠遁した元高級官僚が、魂を再生し、汚れを浄化するという河の力を求めてやってきた7人の人生に思いをいたすというかたちで展開される。いずれもインドらしい物語で、このような社会もあるのか……と感じさせられる。

 作品はジャイナ僧の物語から始まる。仏教と違いインド以外には殆ど広がらなかったこともあり、一般に日本人にはなじみの薄い宗教である。徹底したアヒンサー(非暴力、非殺生)を貫き、そのため食事も完全な菜食主義を貫いている。
 単に肉や卵を食べないばかりか、根菜類さえ地中にいる虫を傷つける恐れがあるので口にしないということだけは知っていた。そのため就ける職も限定されてくる。ジャイナ僧の父の言葉からその宗教観が伺える。

我々ジャイナ教徒にとって一番大事なのはアヒンサー、すなわち不殺生の実行だ。だからこそ、我々は銀行家や商人になっているという訳だ。我々には殺生を恐れて出来ないことがとても多い。農民になれば、知らず知らずのうちに、鍬で生き物を殺すかもしれない。工業の場合は、石油や鉄や石炭を求めて、掘削機で地面に穴を開ける。そういう機械によってどれほどの命が消えていくか、お前には想像できるかね

 ひと口に商人といえ様々だが、ジャイナ教徒には宝石商が多く、ジャイナ僧の父もダイヤモンドで財を成した。ダイヤモンドも地面から掘り出されるのだが、「私は一度だってダイヤモンド鉱山を買ったことはない」というのがジャイナ僧の父の答え。人より虫が死ぬことを心配するのは、いったいどういう訳か、と問う息子に対し、父は声を荒げて反論する。
「我々のしている慈善信託をどう思っているのか?あれは虫のためか?毎日毎日、それがなければむざむざと死ぬ他ない人間たちが、どれほど私のおかげで助かっているか、お前は知っているのか、食べ物に着るもの、病院の費用、死ねば荼毘に付すための費用。いかに我々だって、世界中の問題を解決することはできない。我々の手の届く範囲の者しか助けられないのだ」

 ジャイナ教徒は慈善事業で知られており、無所有という教義のため築いた富をおしげもなく還元することは有名。大半の日本人からすれば、立派な大儀を掲げていても、結局は異教徒の農民に依存して成り立つ宗教としか思えないだろう。それでもジャイナ教信者の存在を認めているインド社会も興味深い。少なくとも他者への慈善行為など聞いたことのない、欧米や日本のベジタリアンとは大違い。
 仏教とは姉妹宗教と言われたこともあり、成立したのも殆ど同じ時代だった。しかし中世にいったん滅んだ仏教と違い、少数派でも現代まで生き残ったのがジャイナ教。
その二に続く

◆関連記事:「インドで肉食を禁じるようになった訳

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