トーキング・マイノリティ

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12人の怒れる男 07/露/ニキータ・ミハルコフ監督

2008-10-10 21:28:38 | 映画
 1957年の米国映画『十二人の怒れる男』を、舞台を現代ロシアに置き換えたリメイク作品。監督はロシアを代表するニキータ・ミハルコフ。ミハルコフ作品を見るのは『太陽に灼かれて』以来2度目だが、この映画も秀作だった。父親殺しを問われた少年を裁くという「法廷もの」の設定は同じでも、人種や経済などの社会問題が浮彫りにされている。

 冒頭に出たクレジットは「些細な日常より、人間の本質に真相を求めよ」。B.トーニャの言葉となっているが、ネット検索しても不明。日本では知られないロシアの詩人だろうか。いずれにせよ、文豪を輩出した国らしく意味深い。

 舞台はモスクワ。ある裁判所でチェチェン人少年による養父殺人事件の判決が行われようとしていた。審議は既に終了、残すは12人の陪審員による評決のみ。陪審員室は改装中ゆえ、代わりに学校の体育館に陪審員の男たちは通される。規則により携帯は没収、全員一致の評決が出るまで館内に幽閉される。
 当初、陪審員たちはチェチェン人少年は有罪であり、早々に評決が出ると考えていた。しかし、腑に落ちない点に気付いた1人の陪審員が、他の陪審員に疑問を投げ掛ける。議論を重ねるうちに無罪の可能性も出てきたため、予想外に審議は長引いていく…

 陪審員室が学校の校舎の側というのもすごいが、体育館内で殺人事件審議が行われるというのも驚く。場所が体育館なので、館の外にはロッカーも置いてあり、その中を覗き見する陪審員もいる。そして白いブラジャーを取り出し、皆に見せびらかすお調子者の陪審員。Fカップはありそうなサイズで、やはりロシア女は少女時代から巨乳なのかと思いきや、「学生なのに、栄養がいい」と件の男は言う。
 容疑者がチェチェン人なので、ロシア人陪審員には偏見を剥き出しにする者もいた。カフカス出の連中は野蛮人だ、と罵るタクシー運転手。これにカフカス出の外科医が猛然と反論する。彼は苦学してロシアの医大を卒業したのだった。

 初めに疑問を呈した陪審員は今でこそ合弁会社の経営者だが、かつては仕事も妻も失い、酒に溺れ自暴自棄に暮らした過去があった。そんな彼を救ったのが1人の女性だった。旧ソ連時代の大粛清の印象が強いロシアだが、現代は事実上の死刑廃止国なのを、この映画で初めて知った。その代わり終身刑があり、有罪となればチェチェン少年は生涯服役して過ごすことになる。ちなみに未成年でも死刑を適用する国はイエメン、イラン、サウジ、ナイジェリア、パキスタン、そしてアメリカ

 審議を重ねる中、それぞれの陪審員の人生も語られる。外国人を毛嫌いするタクシー運転手は、妻が息子を残して外国から来た男と家出したという過去があった。ユダヤ人の陪審員の父は強制収容所将校の妻と恋に落ち、家族を捨てた。違法な手段で儲ける墓地管理人は羽振りがよく、腕にはロレックスの時計。その一方、故郷に送金、学校や協会建設にも当てる。共産主義者を敵視、利権のため平然と嘘をつく連中と決め付ける者に対し、ウラル地方書記長を父に持つ陪審員は、職権を行使せず早死にした父の例を挙げて否定する。犯罪を犯した親戚を温情で見逃してもらった男もいる。その話を聞き、「他の文明国と違い、ロシア人は法を守らない」と嘆く者も。

 陪審員に建築家もおり、建設業界の裏事情にも通じていた。建設ラッシュに湧くモスクワでは、立ち退きに応じない者をマフィアが殺害することもあるらしい。被害者の義父はアパートからの立ち退きを拒んでおり、殺される背景があった。陪審員たちが現場状況を再確認していくと、証言も虚偽だったことが浮かび上がってきた…

 エンディングはまたもB.トーニャの言葉で締め括られる。「法は強くて揺るぎないが、慈悲の力は法をはるかに凌ぐ」。まさにその通りで、初めに疑問を呈した陪審員も1人の女性の慈悲の力で立ち直ったのだ。ただ、法の蹂躙は論外だが、厳格化にも問題があるので人間社会は複雑極まる。ロシア人がチェチェン人のようなカフカス出身者を「黒人」と蔑称で呼ぶのは帝政時代以来であり、ロシアのネオナチが彼らを襲撃することもしばしばである。多民族国家ロシアに相応しい映画だった。

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