トーキング・マイノリティ

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役に立つ愚か者 その二

2016-07-17 21:40:15 | 世相(日本)

その一の続き
 レーニンの「役に立つ愚か者」は、内容よりも発言自体を日本の知識人が知っていたかどうか、私には気になった。知らなかったならば無知なインテリで済むが、そうでなかったとすれば、必ずしも愚か者とは限らない。案外ロシア革命史やソ連専門家は知っていても、あえて無視したのではないか…と私は想像している。
 というのも、昨年10月に「スポンジ頭」さんから頂いたコメントで、邦訳されたテーヌの「近代フランスの起源」の第2部だけが、何故か日本ではカットされてしまったことを教えられたからだ。その2部というのが、フランス革命時の残虐描写に満ちていたという。これを以ってスポンジ頭さんはこう言っている。
「日本ではある種の思想があるので、この手の「革命」の暗部は知られたくないのかも知れません」

 ロシア革命についても、同じことがないとどうして言えようか。ベルばらほどの人気はないが、池田理代子氏の代表作『オルフェウスの窓』第3部ではロシア革命が描かれており、登場するレーニンは理想に燃える高潔な革命家といった描き方だった。たぶん池田氏は「役に立つ愚か者」発言を知らなかったと思われるが、読者には少なからぬ革命への好印象を与えたかもしれない。

「革命」に感情移入していたのは学者や評論家のみならず、大新聞記者も同様だった。国全土をキリング・フィールド(大量虐殺場)にしたカンボジアの共産主義組織クメール・ルージュが首都プノンペンを占領した直後、この組織を解放側と表現、「きわめてアジア的な優しさにあふれているようにみえる」とまで書いた朝日新聞特派員・和田俊がいた。
 和田の発言は多くのサイトで記事にされているが、後に和田は朝日新聞の論説副主幹にまで出世、テレビ朝日『ニュースステーション』の解説を4年間務めたことを紹介したブログもある。

 和田は朝日のスター記者だった本多勝一にも影響を与えており、クメール・ルージュについて書いた本多の記事を紹介しているサイトも多い。中でも「欧米人記者のアジアを見る眼」というサイトは興味深い。はじめ本多はクメール・ルージュを民族解放運動と擁護、彼らを批判する欧米人記者は、「救い難い偏見で充満」しており、「アジア人の生活も心も全く理解できない欧米人記者による不幸な記事」と決めつけた。
 さらに本多は、キッシンジャーら米政府高官らがプノンペンで解放軍による大虐殺が行なわれたというデマを言いふらし、それを受けた欧米人記者によるねつ造と結論付ける。本多以外にもクメール・ルージュによる大量殺戮を根拠なく否定した日本人もいて、どうしても虐殺がなかったことにしたかったようだ。

 後に本多は作品『貧困なる精神3集』の第8刷増刷時に、上記は記事ごと削除したという。和田や本多によるカンボジア共産革命記事は、大島直政氏の言うとおり、感情移入、提灯持ち、自己弁護、居直りパターンの標本である。
 クメール・ルージュ最大支援国は中国だったし、朝日の新聞記者らはまさに中国にとって「役に立つ愚か者」だった。中共担当者も内心は冷笑していただろうが、表向きは米帝に屈しない良心的記者とでも讃えたのやら。

 冷戦終了後、さすがの日本の知識人も革命への感情移入こそ薄れたが、それに代わったのが環境問題や多文化共生。欧米で流行の運動や思想と見るや早々に飛びつき、感情移入と「理解」したつもりになるのは“革命”の時と全く同じである。環境団体や多文化共生グルーブも怪しげなものが少なくない上、尤もらしい美辞麗句で世間を煽動するのは共産主義と変わりない。
 エコや反原発の広告塔になる者、提灯記事を書く者には不足しないし、舶来モノに弱く、他国の思想や流行を絶対権威にするのが日本のメディアや文化人なるものの悪癖なのだ。愚か者でも此方や味方の役に立つならば結構だが、わが国の場合、敵国または潜在的敵国に役立つ愚者があまりにも多すぎる。

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