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イスラム世界はなぜ没落したか? その六

2015-10-11 21:10:04 | 読書/中東史

その一その二その三その四その五の続き
「イスラム世界はなぜ没落したか?」(原題:What Went Wrong?)という問に、バーナード・ルイスの回答は極めて率直だ。「イスラム世界が高度な発展により唯我独尊状態になり、他文明から学ばなかったから」、というのが結論である。著者は最盛期のイスラム世界を称賛しつつも、近世、殊に現代のイスラム世界には厳しい言及を重ねる。終章からその一部を抜粋したい。

兵器や工場、学校や議会など、数多くの救済措置が試みられたが、どれひとつとして望みどおりの成果をあげることは出来なかった…何世紀もの間、豊かで強力だった後だけに、今や弱く貧しくなってしまったと感じたり、自分にとって当然の権利だと考えるまでになっていた指導的地位を失うばかりか、西洋の追随者の地位にまで役割を貶められたりすることは、相当に不快だった…
 追随するのも相当に不快ではあるが、後ろの方で足を引きずりながら歩くのは遥かに酷いものである。経済発展、雇用創出、識字能力、教育的・科学的業績、政治的自由、人権尊重など、近代世界で重要な全ての基準からいって、かつて一個の強大な文明であったものは確かに没落してしまったのである…

 著者は「日本の台頭は激励であると同時に叱咤でもあった」というが、イスラム世界は西洋の衝撃に苦しむ他の東洋文明圏とは違っていた。ヒンドゥー教徒、仏教徒、儒教徒にとって、キリスト教及びキリスト教国家は新しく未知のものであり、キリスト教国から来た人々や彼らがもたらしたものが、多かれ少なかれ有益だと見なされたのはそのためであった、と著者は述べている。
 一方、ムスリムにはキリスト教及びキリスト教にまつわる全てのものは、既知の見慣れた、軽視の対象だった。真の啓示に基づく聖典を持つキリスト教とユダヤ教はイスラムの先輩であっても不完全で、恥ずべき指導者のために堕落しており、それ故最後の、そして完全なイスラムの啓示に取って代わられたと考えていたのだ。

 イスラム世界での鬱屈のはけ口は、常に他者への責任転嫁というかたちをとる。アラブ人は何世紀もの間、自分たちを支配してきたトルコ人に災難の責任を負わせ、トルコ人の方では自らの文明が沈滞したことや、トルコ民族の創造的エネルギーを捕え身動きできないようにしてしまったアラブの過去に重荷を負わせる。そしてペルシア人は古代の栄光が失われた責任を、アラブ人とトルコ人、モンゴル人に同等に負わせる。
 21世紀でもトルコ人、モンゴル人、欧州帝国主義者はもちろん、ユダヤ人、アメリカ人に対する非難競争は継続し、殆ど止む気配がない。暴政・失政を正当化するため、国民の怒りを外にある標的へ向けるのは東アジアの国々でも見られる現象だ。

 この著作の冒頭には監訳者による解説があり、見出しが「バーナード・ルイス―ネオコンの中東政策を支える歴史学者」となっている。奇妙なことに著者の論説を否定するかのような解説なのだ。アマゾンにも案の定、ogacho3なる者の「キリスト教原理主義者にしてモダン原理主義者の横暴」という的外れの書評があったが、ルイスはユダヤ系の人物なのが冒頭の解説にも載っている。ちなみにルイスは、イスラエルにも厳しい見解をしている。
 バーナード・ルイスの名を日本で有名にしたのは、“オリエンタリズム”を巡るエドワード・サイードとの論争だった。一般に日本ではサイードの方が知られており、メディアでも好意的扱い一辺倒だ。この記事を書くにあたり検索したら、山形浩生氏の「小さな本にこめられた、現代のイスラム談義への大きな批判」という記事がヒットした。池内恵氏は著書『書物の運命』の中でルイスのこの著作を取り上げ、評価していたという。

 対照的にサイードへの池田氏の評価は低い。山形氏は記事中で、「サイードがイメージほどはアラブ世界ともパレスチナとも関係なく、アラビア語も大してできず、アラブ世界ではまったく相手にされておらず、アラブ中東をネタに欧米で英語でしか書かない人物」とも書いている。これが事実ならば、日本のメディアで称賛される知識人はやはり鵜呑みに出来ないとなろう。池内氏が言ったように、ルイスの著書には数多くの資料文献が揚げられており、学問的な基盤に基づいて発言をしていることは間違いない。

 他にもこの著著を取り上げたブログ記事があり、管理人が手際よくまとめた要点は見事。ルイスはイスラム世界の復活のためには、自己批判の必要性を説いており、自己憐憫と被害者根性、他者への責任転嫁姿勢が続けば、もう一度、外国による支配に行きつくことになるだろう、と警告する。サイード信者の多い日本の知識人には気に入られないルイスだが、第7章の結びは歴史学者に相応しい。
かつては他の支配的な諸文明が存在したのであり、将来もまたきっと他の支配的な諸文明が台頭するだろう。西洋文明は先行した数多くの近代性を自らの内に組み込んでいる――つまり、かつて指導的地位にあった他の諸文明の貢献や影響によって豊かになっているのだ。そして、そんな西洋文明自体、今後やって来る他の諸文明に西洋の文化遺産を伝えることになるだろう。

◆関連記事:「イスラム諸国と民主主義
 「中東オタクのぼやき

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14 コメント

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訳者の思想 (スポンジ頭)
2015-10-12 19:09:27
 こんばんは。

>この著作の冒頭には監訳者による解説があり、見出しが「バーナード・ルイス―ネオコンの中東政策を支える歴史学者」となっている。奇妙なことに著者の論説を否定するかのような解説なのだ。

歴史関係の翻訳でこのようなまとめがありました。コメ109より、フランス革命に対する著作の紹介ですが、

>112: 世界@名無史さん 2007/01/30(火) 21:32:50 0
◎そこに衝撃を与えたのがテーヌの「近代フランスの起源」
これまで革命の残忍な部分は多くは隠されていて、仕方なく出す場合でも
輝かしい正当化をともなって叙述されることが多かった。
(中略)
第一部はアンシャンレジーム期記述の名著として「日本」でも翻訳済み。
肝心の残虐描写イパーイの二部だけなぜか「日本」ではカットされてしまったが

コメ114にも残忍な描写のフランス革命本が未訳であることが記されています。日本ではある種の思想があるので、この手の「革命」の暗部は知られたくないのかも知れません。

ttp://blog.livedoor.jp/waruneko00326-002/archives/45287878.html#more
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Re:訳者の思想 (mugi)
2015-10-12 20:50:03
>こんばんは、スポンジ頭さん。

 フランス革命についての興味深いサイトの紹介、有難うございました!ピューリタン革命についてのコメ117も考えさせられました。

117: 世界@名無史さん 2007/01/30(火) 21:48:13 0
>肝心の残虐描写イパーイの二部だけなぜか「日本」ではカットされてしまったが
>もちろん「日本」では未訳。

日本では「ピューリタン革命」と呼ばれている事件は、イギリス本国では「諸内戦」と呼ばれている。イギリスでこれを革命と呼ぶのはごく一部の歴史家だけ。
日本における西洋史の紹介・翻訳の仕方を見ていると、ある種のイデオロギー・党派性が反映されているのではと疑いたくなってくる。

 フランス革命が一般日本人にも受けがよいのは、『ベルサイユのばら』の影響が少なくないのかもしれません。あの劇画には描かれていませんでしたが、王太子ルイ・シャルル(ルイ17世)の最後は悲惨極まりなかったですね。『ヴェルサイユ宮廷の女性たち』(加瀬 俊一)という本で、私はルイ・シャルルの死の真相を知りましたが、wikiにはさらに詳細な虐待が載っています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A417%E4%B8%96

 池内恵氏はイスラムを過度に評価する日本のイスラム学界の性質を繰り返し批判していますが、西洋史も事情は似ているようですね。暗部を知られたくないという姿勢は同じだし、外国を持ち上げ自国を貶すところも。
返信する
『文明の生態史観』 (motton)
2015-10-13 00:55:35
最後のところで取り上げられたブログにもありますが、西欧と中東の関係と日本と中国の関係の類似性は、『文明の生態史観』(梅棹忠夫,1957)で解析されています。

これは偶然ではなく地政学的な必然によるものです。
欧米人も中東の人も認められないでしょうが、キリスト教もイスラム教も文明の興亡の主要変数ではありません。
返信する
Re:『文明の生態史観』 (mugi)
2015-10-13 21:32:43
>motton さん、

『文明の生態史観』は未だに未読ですが、以前にも貴方は梅棹忠夫の名を挙げていましたよね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%98%8E%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%85%8B%E5%8F%B2%E8%A6%B3 

 第一地域と第二地域という文明の分類の仕方は興味深いし、日本と西欧の歴史の類似性を指摘した学者は欧米や中国にもいました。そしてキリスト教もイスラム教も文明の興亡の主要変数ではない、という貴方の意見は興味深いですね。ならば、儒教や神道も文明の興亡の主要変数ではない、となるのでしょうか。
返信する
紹介「コーランには本当はなにが書かれているのか」 (madi)
2015-10-14 00:40:21
宗教は地域的変容するので、おなじ宗教といっても全然ちがっており地理と歴史がおりなしていくのかもしれません。ジャレド・ダイヤモンド「銃・病原菌・鉄」は地理的決定論でした。mugi さんの守備範囲のインドのイスラム指導者がオックスフォード大学の教員となったときにもと同僚と1年間コーランをよんだものがアメリカででて日本でこのたび翻訳されました。

 実際の政治にはあまり影響のないオックスフォード大学内での議論をまとめたものです。ひとつのコーラン解釈ではありますが、現実政治の解決策示唆にはとぼしいかもしれません。冷静な議論ができる読者向けです。
 アマゾンでは10月13日現在否定的評価のコメントがついています。
書誌的テキストクリティークをいまさらやったとして、どの程度現実に影響があるのでしょうか。ただ、ないよりは絶対あったほうがいいでしょう。
 仏教だと、富永仲基で当時の仏教の原始仏教との乖離があきらかになったことは仏教の狂信者をださなかったということでいい影響だったのかもしれませんが。興福寺が明治維新においていっさい儒教者をださず僧侶が神官によこすべりしたのを司馬遼太郎は「街道を行く」で疑問視していましたが、内戦がはやくおわったという点ではよかったのでしょう。
 

 宗教への信仰を持たないアメリカ人女性ジャーナリストが、友人のイスラム教の指導者とともに、コーランを実際に1年かけて読みといた記録とあおりにはありますが、一神教に対する重要性は強いので、日本人がふつうに読むと違和感があるかもしれません。

・女性はベールやヒジャーブで身体を覆い、肌を見せてはいけない。
・女性に教育を受けさせてはいけない。女性を打擲するのが夫の務めだ。
・ムハンマドが9歳の妻を娶っていたことは小児性愛の肯定だ。
・ジハードで死ぬと楽園の72人の乙女という報酬を約束されている。

 コーランには、実はそんなことは一言も書かれていない!

 子ども時代をイスラム圏で暮らし、今はジャーナリストとして「ニューズウィーク」や「タイム」などに多くの記事を寄稿している著者がカーラ・パワーです。

 
 多神教排撃のところは日本人には同感しにくいのではないでしょうか。


コーランには本当は何が書かれていたか?
2015年9月30日 第1刷
著 者 カーラ・パワー
訳 者 秋山淑子(あきやまよしこ)
発行者 下山 進
発行所 株式会社 文藝春秋
ISBN978-4-16-390338-5
C0098

目次

 序 章 楽園に七二人の乙女はいない
   死ねば、楽園の七二人の乙女たちが待っている。
   自爆テロ犯はそう信じる。しかし、友人のアクラムとともに
   コーランを学び始めると、そのようなことは一言も書いていない
   ことがわかる。一年に及ぶその旅路を記そう。

第一部 起源を探る

 第1章 「不穏」な三行
   イスラム教徒が毎日一七回唱える「開端章」。
   その最後の三行を、宗教間の敵意を煽るものだと解釈する人がいる。
   だが、それはその後の章句を無視した、間違った読み方である。
   イスラム教は協調をこそ重視しているのだ。

 第2章 狂信者はどこにいるのか?
   私がコーランを読むことにしたきっかけに、タリバン政権の高官を
   取材したときの経験がある。彼らは西洋人と何ら変わらない、
   〝普通の〟人たちだった。イスラム教徒と西洋人は、決して対峙
   しあう存在ではないのだ。

 第3章 ムハンマドの虚像と実像
   「歩くコーラン」と呼ばれたムハンマドの言動は、事細かに記録
   され、広く参照されている。それを読めば、彼がどのように性行為
   をしたかまでわかるのだ。彼は決して、人々に何かを強制的に信じ
   させることはなかった。

 第4章 マドラサでコーランを学ぶ
   イスラム学を教える学校、マドラサは九・一一以降、過激主義者の
   温床とみなされてきた。
   私はその現状を知るため、アクラムが建てたマドラサを訪ねた。
   彼は、誤った伝統を変えるためには、教育が必要だと考えていた。

 第5章 ユースフの物語
   旧約聖書のヨセフに当たるユースフ。コーランにおける彼の物語は
   あまりにも生々しく、女性がその章を読むことを禁じたイスラム
   学者さえいるほどだ。だがアクラムは、コーランを読むのに性別の
   制限はないと喝破する。

第二部 女性の闘い(ジハード)

 第6章 男と女は違うのか?
   「預言者ムハンマドは、女性と男性の扱いを変えるような人が好き
   ではない」。ムハンマドは息子を膝のうえに座らせ、娘を地面に
   座らせた男を厳しく叱責したという。アクラムも自身の六人の
   娘に熱心に教育を受けさせる。

 第7章 歴史に埋もれた九〇〇〇人の女性たち
   イスラム教の形成期には、膨大な数の女性学者たちが活躍していた。
   イスラム教は言わば、女性によって作り上げられた宗教だったのだ。
   だが、その事実は多くの男たちによって、歴史の片隅に意図的に
   隠されてきた。

 第8章 ムハンマドが最も愛した少女
   ムハンマドの妻の中でも、わずか九歳でムハンマドと結婚した
   アーイシャの存在は、イスラム教を誹謗する人たちから小児性愛
   と攻撃される。が、アクラムはアーイシャが成人したのちに軍を
   も指揮したことを指摘する。

 第9章 イスラム教と性
   イスラム教においてセックスは祝福であり、前戯の必要性まで
   説かれている。一方で、同性愛は認められていない。
   それは一見、時代錯誤にも思えるが、保守的なキリスト教徒もまた、
   未だ同性愛は認めていないのだ。

 第10章 「女性章」を読む
   「女性章」は、女性に対して暴力を振るうことを認めていると
   イスラム教を攻撃する人は言う。たしかにこの章は女性を抑圧
   することに利用されたが、女性の相続を初めて認めるなど、
   コーランは本来、開明的なのだ。

第三部 政治と信仰

 第11章 コーランのイエス・キリスト
   イエスは預言者の一人としてコーランに登場する。イスラム教徒
   もまた、イエスのメッセージに耳を傾けているのだ。
   だが、彼らにとってイエスは神の子ではなく、十字架にも掛けられ
   ていないと考えられている。

 第12章 異文化といかに向き合うべきか?
   そもそもイスラム教は、ユダヤ教やキリスト教との共生を
   前提にした宗教だった。ムハンマドも異教徒への中傷を厳しく
   禁じ、彼らとの関係構築に苦心した。最初のイスラム国家でも、
   宗教間の不可侵は保証されていた。

 第13章 イスラム教と正義
   圧政に対し、イスラム教徒はいかに行動するべきか。
   クーデターを起こした軍に、兄を拘束された女性。
   イスラム教徒は正義のためであっても戦ってはならない、と
   語るアクラムの言葉を、彼女は受け入れられるのか。

 第14章 ビン・ラディンも引用した「剣の章句」
   「多神教徒たちを見出し次第殺せ」と語る一節は、対外戦争を
   支持するイスラム教徒に利用されてきた。しかし、この章句には
   とても重要な続きがある。また、アクラムはジハードを行なうには、
   二つの条件があると語る。

 第15章 死と来世
   コーランは、不信心者は地獄に堕ちると語る。
   では、イスラム教徒ではない私は、死後どうなってしまうのか。
   一年間に及ぶ授業、その最後のテーマは「死」だった。
   一週間後、私は「母が亡くなった」と知らせを受けた。

 終 章 多様性を受け入れる
   アクラムの視点から世界を眺めたことで、私は自分という人間の
   輪郭を知ることができた。コーランの根本には、「差異を理解する」
   という価値観がある。イスラム教徒たちは、そこに繰り返し
   繰り返し還っていくのだ。

用語集
ソースノート
参考文献
謝辞
訳者あとがき

ました。
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Re:紹介「コーランには本当はなにが書かれているのか」 (mugi)
2015-10-14 21:18:21
>madiさん、

 仰る通り宗教には様々な宗派があり、その解釈や教義は時代や地理的環境によって大きく変わります。現代でも東南アジアのイスラム諸国と中東のイスラム諸国ではかなり違っていますよね。日本の仏教は俗に「大乗の大乗」と言われますが、これほど宗派の多い仏教国は日本くらいだそうです。興福寺の僧侶のよう神官によこすべりするのも、良くも悪くも原理原則に縛られない日本人の宗教観があると思います。

 コーランの解釈は本当に様々ですよね。キリスト教徒のように異端迫害をしなかったのは結構でも、学派や宗派が異なれば交流は難しいはず。神学者による解釈こそが「真のイスラム」として、信者に受け入れられるようになります。

「コーランには本当は何が書かれていたか?」という著書並びに詳しい説明を有難うございました!アマゾンには小倉光雄氏による批評がありますが、かなり辛口ですね。5つ星のうち星は2つ。「ひと言で言うと、ひいきの引き倒し、イスラムは悪くないと言いたいだけ」と手厳しい。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%81%AB%E3%81%AF%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8C%E6%9B%B8%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%8B%EF%BC%9F-%E6%96%87%E6%98%A5e-book-%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%AF%E3%83%BC-ebook/dp/B015IO3VCG

 アクラムという人物は名誉を求めず誠実で秀才、敬虔なイスラム教徒のようですが、このようなムスリムは至って少数ではないでしょうか?最近のイスラム弁護としてよく使われる論法は、「イスラム法によるコーラン解釈(ハディース)が間違っており、元々コーランはそんなものではない」というものです。この類の主張に対し、私が敬服しているイスラム学者・池内恵氏は懐疑的だし、見方は冷ややかですよ。
 アクラム氏は「対抗策としてイスラム信仰を個人の内面にとどめよ」と主張していたそうですが、氏はムスリムに対し、このような意見を述べていたのでしょうか?それをせず異教徒にのみリベラルな主張をしても、あまり説得力がない……ということを池内氏は言っています。嘘も方便という言葉はインド発祥でした。

>>多神教排撃のところは日本人には同感しにくいのではないでしょうか。

 イスラムに限らずユダヤ教、キリスト教は多神教との血みどろの戦いで成立していますからね。これらアブラハムの宗教は多神教を排撃する要素を持ち合わせているのは当然だし、異教徒としては警戒せざるを得ません。
返信する
再度のコメント紹介 (スポンジ頭)
2016-04-27 23:02:36
 こんばんは。

 以前、フランス革命についてのサイトを紹介しましたが、そのサイトで、ルイス氏の本をコメント欄に掲載している記事を見つけました。もうmugiさんは目を通されているかも知れませんが、とりあえず記事のリンクを置きます。

ttp://blog.livedoor.jp/waruneko00326-002/archives/47407244.html#more

 ここのコメ欄の議論が妥当かどうかの判断はできませんが、過去のイスラムの光輝についてある程度の知識があると、今の体たらくを嘆きたくなろうと言うものです。
返信する
Re:再度のコメント紹介 (mugi)
2016-04-28 22:16:38
>こんばんは、スポンジ頭さん。

 この記事は今年4月26日にアップされていますが、はじめの議論は2012年10月でしたね。この記事は初めて知りましたので、紹介を有難うございました!目を通したら、2012年10月の時点ではわりと有意義で濃い議論が繰り広げられていましたが、4月のものはヘンなイスラム贔屓が湧いていますね。特に移民問題を絡めるコメ主はおかしい。

 中世の欧州も古代ローマの栄華と比べれば、暗黒時代そのものでしたね。対照的にイスラム圏は黄金時代。前にmottonさんが、西欧と中東の関係と日本と中国の関係の類似性を挙げ、地政学的な必然によるものとコメントされていました。さらにキリスト教もイスラム教も文明の興亡の主要変数ではない、と断言していたのは鋭い。先のサイトのコメ欄に、そんな意見はありませんでした。
返信する
Unknown (Oleander)
2018-02-16 18:34:10
初めまして、「解題」と「本文」のあまりの乖離に、「ボケが始まったか。」と思い、本書の感想をググって、ここにやってきました。
ボケは始まっていないようで安心できました。ありがとうございます。

私がイスラムに本格的に関心を持ったのは、約1年前にエジプトを訪れてからです。最も印象に残ったのは、アブシンベル神殿でもピラミッドでもなく、観光地を警備する兵士のだらけぶりと第4次中東戦争を勝利と言い張る現地ガイドさんの言動でした。これでは、何度やってもイスラエルに負けるはずだと納得するとともに、「どうして、こうなった。」と興味を持ちました。
この本を始め、イスラム圏の問題について書かれた本を読むと、ムスリムの傲慢と中華の傲慢が重なって見えるせいか、イスラムと西欧の問題は、日本とCHINAに相似している印象を受けます。

ところで、解題で筆者とならぶ3悪人の1人として挙げられている Daniel Pipes 氏のHP(http://ja.danielpipes.org/about.php)を見て(これを日本語に訳している人がいてびっくりしましたが)、ムハンマド非実在説というのを知りました。7世紀の人なのでまさかと思いましたが、聖徳太子も諸説あるので、まったくの荒唐無稽とも思えないなというのが感想です。管理者様はこのことについて、なにか、ご存知でしょうか?
返信する
Oleander 氏へ (mugi)
2018-02-17 23:27:39
 初めまして、コメントを有難うございました。それにしてもユニークなHNですね。

 エジプトに観光されたとは羨ましい。アブシンベル神殿やピラミッドだけでも見応えがありますが、1997年にルクソール神殿でテロが起きたこともありました。wikiには書かれていませんが、テロリストたちはナイフで犠牲者の身体を酷く切り刻んでいたそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 エジプトの現地ガイドが第4次中東戦争を“勝利”と言い張るのは、やはり…ですね。緒戦で勝利したのは確かですが、結局はイスラエルが勝った。ユダヤ教の特別な祝日ヨム・キープルを狙っての不意打ちでしたが、そうやって戦勝気分に浸るから何時までもイスラエルに勝てない。

 監訳者・臼杵陽氏が巻頭で何とも批判的な解説をしていたのは気になりましたが、イスラム贔屓の左派知識人にとっては“悪人”扱いでしょうか。Pipes 氏は著者の弟子で恩師と同じくユダヤ系、家族ぐるみの付き合いがあるそうです。そのためネオコンと呼ばれることもあるようですが、イスラム過激派もネオコンに劣らぬ“悪人”でしょう。

 日本のクリスチャン及びキリスト教シンパはユダヤべったりが大半ですからね。Pipes 氏のサイトを翻訳している人物はキリスト教史の女性研究者です。とにかくPipes 氏を先生先生と呼んで崇めている。それは本人の自由ですが、何故か日本の保守系ブログを方々ウオッチしている。ユダヤ人はとにかく心理戦や宣伝戦に長けており、日本の知識人は簡単に騙され易いと言った人物もいました。

 ムハンマド非実在説ですが、この種の言説は昔から欧米の学者が唱えています。それを言えばイエス非実在説もありますが、信者による検証は極めて難しい。実在は認めていても、ライデン大学教授ラインハルト・ドズィは著書『イスラム』(1863年出版)で、イスラムの創始はムハンマドのヒステリーの結果と書いていたとか。
返信する