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皇帝たちの中国史 その八

2020-10-03 22:00:15 | 読書/東アジア・他史

その一その二その三その四その五その六その七の続き
 読者の中には元寇、特に対馬侵攻における島民虐殺を挙げ、やはりモンゴル人は残忍ではないか、という方もいるだろう。殺されなかった島民は、男女問わず200名ほどが奴隷として高麗王の宮廷に連行される。さらに捕虜とした女性の手の平に穴を穿ち、これを貫き通して船壁に並べ立てるという、類を見ない蛮行を働いている。
 但し元寇の兵士たちは高麗人が圧倒的多数で、他には契丹人、女真人などがおり、日本に攻めてきた者たちの大半は遊牧民ではなかったと著者は考えている。高麗人が対馬島民に蛮行を働いたのは想像に難くないが、今の北朝鮮に相当する地域の遼陽行省だけで、モンゴルが拉致した高麗人が60万人以上住んでいたという。

 遊牧民といえば徹底した男性優位社会で、女性は発言権もなく虐げられていると誤解している日本人は少なくないだろう。しかし、それは農耕定住民の大いなる誤解らしい。ハーンは選挙で選ばれるが、その時には母親の財産がモノをいうそうだ。
 日本の藤原家は外戚として父や兄が権勢を振ったが、遊牧社会では母親が直接、政治的にも動く。大集会で我が子を次のハーンに選出させるべく、客をもてなし振舞う。

 もちろん候補者本人が頭脳明晰、人格的に優れているなどの条件は必要だが、最後の決め手はやはりカネだったとか。同母兄弟もライバルだが、その中で選ばれるためには、財産持ちの母の意向が重要な鍵になった。
 モンゴルに限らず北方の遊牧・狩猟民の女性は強いそうだ。君主が亡くなり次の君主を選ぶには、散り散りバラバラの一族や各部族の長を集め集会を開かなければならない。後継者が決まるまではとりあえず妻が政治を行う。後継者が幼い場合も母(多くは先代の妻)が摂政としての役割を担い、男性親族が摂政となる日本とは対照的。さらに息子が成長した後も母が口を出すそうだ。

 第五章のコラム「モンゴル人はチベット仏教徒―モンゴルとチベットの深い関係」を、意外に思った読者は多かったはず。モンゴル人がチベット仏教徒であることは知っていたが、それほど敬虔な信者というイメージはなかった。しかし、モンゴル人は敬虔な仏教徒で、ラサ参りをし、ダライ・ラマを熱心に信奉、その発言に耳を傾ける人々だったことを本書で初めて知った。
 その六でも書いたが、モンゴル人民共和国はソ連からの抑圧のせいで、長らく宗教を禁止されており、中国は現代でも警戒し、モンゴル人にチベット仏教徒であることを公言させないようにしている。そのため南北どちらのモンゴル人も表立ってチベット仏教徒を名乗れなかったが、実はモンゴルとチベットの関係は現在でも親密という。

 社会主義国だった時代と異なり、現代のモンゴル国では堂々とチベット仏教が信仰できるようになった。ダライ・ラマが来日する時には、ウランバートルから大勢のモンゴル人がやってきたことも初めて知った。
 実は亡命政府のあるダラムサラ(インド)とモンゴルからの直線距離は日本とそれほど変わりない。「なぜ、わざわざ日本へ?」と思うだろうが、亡命政府は辺鄙な所にあり、行くのが大変だそうだ。日本の方が交通機関が発達しており、旅行が楽という。

 今でもモンゴル人の名前は殆どがチベット語という。女性名によくあるドルマは、チベット語で「女神」の意とか。司馬遼太郎と親交のあったツェベクマさんだが、チベット語で「花」の意。日本風に言えば花子さんなのだ。
 チベット側でも、自分たちの宗教や文化を尊重してくれるモンゴル人に悪い感情があるはずがない。これほど密接な関係を持つ両者ゆえ、中華人民共和国はチベットとモンゴルが共同戦線を張らぬよう、必死に分離を図っているそうだ。

 蛇足だが司馬遼太郎が訪中した時、彼がモンゴルに関心を持っていることを知った中国知識人が、「モンゴル?あんな文化の何もない所なのに?」と質問されたという。
 本書で初めて宮脇淳子氏の著作を見たが、本当に面白かった。氏の他の作品もこの先読みたくなった。

◆関連記事:「草原の記―司馬遼太郎のモンゴル記
中根千枝氏の見たチベット

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (鳳山)
2020-10-04 23:16:39
戦後の朝鮮人の蛮行、ベトナム戦争時の韓国軍の蛮行を見るとあの民族の残虐性が分かりますね。こんなこと書くと民族ヘイトだと言われかねませんが、歴史的事実ですからしょうがありません。
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鳳山さんへ (mugi)
2020-10-05 21:48:48
 元寇という用語ゆえ何やらモンゴル人が主体のイメージがありますが、実際は高麗人が中心だったのです。連中ほど歴史的事実を認めない認めない民族もないし、民族ヘイトと言えば黙ると思い込んでいる。私から言わせれば、それが何?ですね。日本人ヘイトをする輩に気遣いは無用です。
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高麗と現在の朝鮮の連続性 (madi)
2020-10-06 11:49:50
清朝や北方遊牧民族の血がかなりまじるので、現在との同一性がどの程度あるのか。1200年連続性のある日本とはかなり異なる不連続の国です。
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Re:高麗と現在の朝鮮の連続性 (mugi)
2020-10-06 22:33:00
>madi さん、

 元寇時点で高麗は王室からモンゴルと婚姻関係にあったし、拉致された高麗人も夥しいのでかなりモンゴルの血が入ったはずです。それ以降も女真族に拉致・奴隷化されていますが、現在との同一性があっても極めて薄いでしょう。残虐面では連続性がありますが。
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モンゴルの血 (motton)
2020-10-07 09:24:28
意外なのですが、朝鮮(少なくとも韓国)にモンゴルの血はあまり入っていません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ハプログループC2_(Y染色体)
の C2a(C-L1373)→ 特に C2a1a2(C-M48)がモンゴル(やツングース)なのですが、朝鮮に多いのは C2b(C-F1067)なのです。

# 朝鮮人の主流は、中国人と同じ O2 と、日本人(弥生系)と同じ O1b2 なのですが、朝鮮人の基層(朝鮮語の祖語の話者)は C2b かもしれません。

高麗滅亡後、高麗王家はその姓(王)の人間がいなくなるほど迫害されたという理由もあるかもしれませんが。(王家の傍流は「全」に姓を変えて生き延びたともいいます。)

また、新羅語→高麗語→朝鮮語の連続性は認められます。
もし言語が大きく変わるほど民族が入れ替わった場合、記録魔の中国や日本が書き記さないわけがないというのも傍証になります。

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Re:モンゴルの血 (mugi)
2020-10-07 22:26:17
>motton さん、

>>意外なのですが、朝鮮(少なくとも韓国)にモンゴルの血はあまり入っていません。

 この一文には驚きました。仰る通りC2は漢族よりも朝鮮族の方がやや多いですが、多いとされる北朝鮮で26.3%と四分の一くらい。モンゴルの血が入ったのは上層部に過ぎなかった?

 本書には李氏朝鮮の建国者・李成桂が実は咸鏡道出身の女真人だったことが載っていました。李成桂の父の名は李ウルス・ブハ。高麗に臣従しましたが、これぞ女真人の名です。李成桂の父が女真人だったことは韓国人には許せないようで、それを書いた岡田宮脇研究室のHPには怒りの投稿がガンガンあったそうです。

 批判者側は「当時は高麗人でも女真名やモンゴル名を持っていたのだから、証拠にならない」と苦しい反論をしていたとか。何が何でも否定したいらしく、李成桂=女真人だということは朝鮮半島ではタブーになっているそうです。

 李成桂は主君を裏切って殺害、高麗王族を族滅した王位簒奪者でした。これでは出自を隠蔽したくなります。ただ、言語面では連続性はあったようですね。
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Re:モンゴルの血 (motton)
2020-10-08 10:29:38
>多いとされる北朝鮮で26.3%と四分の一くらい。
その中でもモンゴル・ツングース系の C2a 系統は少なく、朝鮮固有?の C2b 系統が多いのです。(少なくとも韓国では。北朝鮮はほとんど調査できていません。)

李成桂の出身家系はあまり拘ってもと思います。

例えば、漢人王朝とされる宋の太祖趙匡胤の先祖は後唐の将軍ですが、後唐は突厥(トルコ)系です。
後唐→後晋→後漢→後周→宋は前王朝の有力者が建てた王朝です。(北朝の北魏から隋・唐と似た感じ。)
趙匡胤自身は漢人だったもしれませんが、その配下には(漢化した)突厥系は多くいたでしょう。
# 後唐から後周まで(加えて契丹の遼に)宰相として仕えた馮道という非常に興味深い人物もいます。
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Re:Re:モンゴルの血 (mugi)
2020-10-08 21:55:57
>motton さん、

 ハプログループから見る朝鮮の系統は興味深いですね。やはりモンゴル・ツングース系は意外に少なかった。朝鮮人にとってモンゴルの血が入っていることは絶対認められないでしょうが、天皇家も母系をたどると朝鮮半島に広がると狂喜しています。ならば植民地支配は正当性がある。

 大半の日本人は李成桂の出身家系には拘っていないと思いますが、朝鮮側のヒステリックな反応が面白くていじっているようにも見えます。ま、それくらいのしっぺ返しは当然でしょう。

 馮道という人物は初めて知りましたが、仕えた主君は「五朝八姓十一君」と称していたとはスゴイ。後世に朱子学的見地からは売国奴、変節漢と非難した者もいましたが、乱世にはこのような宰相が必要です。契丹王族の出でありながら、モンゴルに仕えた耶律楚材をふと思い出しました。
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