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中根千枝氏の見たチベット

2008-05-14 21:22:16 | 世相(外国)
 未読でも、『タテ社会の人間関係-単一社会の理論』(講談社現代新書)という書名を耳にされた方も少なくないだろう。著者・中根千枝氏は文藝春秋ムック『目で見る女性史-世界の美人』(昭和50(1975)10年号)に「女国”の伝統の継承者たち」と題したコラムを寄せている。30年以上前にせよ、中根氏によるチベット社会の描写は興味深い。

 中根氏は1953-56年頃にかけ、ヒマラヤ地方のインド国境の町や当時シッキム王宮のあったガントックで研究をされていたそうだ。そのため現地で、中根氏は多くのチベット系女性と知り合いになったという。シッキムのある王女はチベット貴族出の夫君をもち、ブータン首相夫人はチベット貴族の女性、ブータン王妃もまたチベット貴族だった。シッキム、ブータンの王家や貴族たちは伝統的にチベット貴族と婚姻関係を持ち、国は違えども同文化圏である。
チベット仏教”の名称で誤解を受けるが、チベット系のみならずモンゴル、満州族もこの宗教を信仰していたのだ。司馬遼太郎の『草原の記』に登場する魅力的なモンゴル女性ツェベクマさんの名は、チベット語で花を意味する。

 中根氏は現地で見たチベット女性の印象をこう書いていた。
非常に明るくのびのびとしていて屈託がなく、男子に対するコンプレックスが殆ど見られないことである。彼女らの行動や考え方を見ていると、およそどの社会にもある女性に対する社会的制約が全然感じられず、日常生活も極めて活動的である。「女だてらに」などという言葉はチベット文化圏には存在しない。あの裾の長い優雅なチベット服は日本の着物などと違い、豊かなスカートは自由に動き回れるのに適し、必要とあれば何時でも馬に乗ることが出来る。
 王女とか貴族の婦人といっても何度もヒマラヤ越えを経験しているし、政治、経済にも明るく、男子に比べいささかも遜色がない。中には夫君よりずっと活躍されている場合もある。所有地の管理、運営とか商売に自ら携わることは決して珍しくなく、常日頃何らかの仕事に携わっている。チベット史をひも解くと、女の地方長官なども出てくる…

 隋書唐書などの中国の史書には、現在のチベット自治区の東南、四川省に近い辺りに「女国」という国が記されている。その国では全ての政治の実権は女の手にあり(国王、大臣全て女)、男たちはその許でのんびりくらしているとある。ここまで来るとにわかには信じられぬが、中根氏はそのため女性の地位が高いチベット社会を絶賛している。チベットの男たちは日本人の目からすると大変フェミニスト、社会のマナーは全体的にレディ・ファースト、男尊女卑の歴史を持たないので、チベット男は女性に対する心の動きは漢族とかなり違って優しい…

 1965年、中根氏はチベット研究のため、チベット難民キャンプのあるヒマラヤの町マスリーに滞在したこともあったそうだ。そこで、かつてチベットの大蔵次官をしていたテリン氏の夫人が孤児収容所の運営を一手に引き受け活躍しているのを目撃している。氏は元大蔵次官夫人と知己になり、その献身的な奉仕と活躍に敬服したという。
 一方、“解放”後チベット“自治区”では農奴出の女性バサン(巴桑)氏が革命委員会副主任として、また中国共産党中央委員の地位に就いた。中根氏は'70年代に北京を訪問した際、バサン氏がその活躍、実力を高く評価されているのを知り、さすがチベット女性と嬉しく思ったとも書いていた。

 中根氏のコラムから、チベット女性の社会的地位が高いのが伺える。女の地方長官や所有地の管理、運営に携わっていたのが事実なら、これは儒教よりむしろヒンドゥー圏にちかい。ヒンドゥー文化圏も儒教同様男尊女卑だが、面白いことに女性君主を輩出しているのだ。
 しかし、現時点からすれば、中根氏のコラム内容には不可解な点がかなりある。氏はチベット難民キャンプに行き、難民たちの声を聞いているはずだが、その惨状について帰国後発表されたのか?また、バサン氏ような女性の活躍にせよ副主任であり、実権を握るのは漢族というのも社会人類学者である氏は見抜けなかったのか?旧ソ連同様中共も息のかかった少数民族の代表を傀儡として利用しているのに。

 学生時代、私は中根氏の代表作『タテ社会の人間関係-単一社会の理論』を読んだことがある。内容は殆ど忘れてしまったが、インドと日本の嫁を比較した箇所だけは妙に憶えている。インドの嫁は姑とも手放しで喧嘩をやるのに対し、日本の嫁は1人じっと耐えなければならない、日印の嫁のあり方は実に対照的…と記されていた。インドの嫁は夫や子供、隣人が見ている前で平然と姑と口論するのは事実であり、インドの小説にも日本では考えられないような暴言を姑に浴びせる場面があった。これだけ見れば、日本と違いインドの嫁の地位が高いと早合点する人も出てくる。だが、21世紀でも根絶されそうもない幼児婚や間引き、ダウリー(持参金)が少ないため殺害される惨状を、何故か氏は書いていない。

 歴史学者の故・樋口清之教授は江戸時代の人間関係に触れ、タテどころかヨコ社会だったと反論されていた。私も中根氏より樋口教授の説に同感した。どうも中根氏には他国の暗部は黙殺する反面、日本の問題を糾弾するという、日本の知識人特有の傾向を感じる。チベット難民キャンプを見ながら、難民たちの悲惨な体験を語らなかったのなら、有識者にあるまじき振舞いである。学会における“タテ社会の人間関係”ゆえに、氏は中共の恥部を口に出来なかったのかも。

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4 コメント

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「白い巨塔」 (のらくろ)
2008-05-14 23:28:00
>学会における“タテ社会の人間関係”ゆえに、氏は中共の恥部を口に出来なかったのかも。

おおいにあり得る話。我が国の「学界」が、前近代的徒弟社会であることは、タイトルに掲げた「白い巨塔」でも明らかだ。あれは医学界だけの話ではない。
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徒弟社会 (mugi)
2008-05-15 22:10:19
>のらくろさん

仰るとおり、我国の学会は前近代的徒弟社会がまかり通る組織だと思います。
中根氏の専門はインド、チベットだそうですが、これらの文化圏にもかなり問題はある。にも係らず、暗部に触れなかったのは極めておかしい。心なしか、フェミニズムのニオイを感じましたね。

そして、'70年代半ばなら、中共に批判的な見解など学者、文化人共に書けなかった筈。中根氏は「ウチの会社」の表現にタテ社会の典型を指摘していますが、教授さんも「ウチの学校」と呼ぶでしょ。学会のタテ社会に言及しなかったのは、同業者の庇い合い?
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山の神 (ハハサウルス)
2008-05-29 01:59:29
TB有難うございました。

江戸時代、特に江戸は男性の人口比率が高かった為、奥さんを“山の神”として結構大事にしていたとの話を読んだことがあります。言われているよりも実は女性にとってそう悪くはない社会だったのかなとも思ったりしています。

すみません、感覚だけで知識的裏づけはないのですが、「尼僧」が存在するということだけをとってもチベット仏教(「ラマ教」の方が正しいのでしょうか)
における女性の地位は低くはないと思っているのですが…。それに遊牧民族における女性の立場も結構悪くないと思うんですけど、実際はどうなのでしょうね。

>旧ソ連同様中共も息のかかった少数民族の代表を傀儡として利用しているのに。

プロパガンダの為にはするでしょうね。実際最近テレビでたまに目にする中共のスポークスマンの女性(名前は失念)は、確か朝鮮族の出身とか。彼女曰く「中国の少数民族政策は成功しています」とか…、笑っちゃいました。女性の方が国際的に“受け”がいいので、少数民族から登用するなら女性というのは政策的に納得できます。

多くの学者さんは、多くの芸能人同様、「政治的な発言」はしないものなのでしょうかね…!?「触らぬ神にたたりなし」的発想なのかしら。
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ラマ教 (mugi)
2008-05-29 22:05:59
>ハハサウルス様

仰るとおり江戸は男性過剰都市だったので、関西人から見れば異様な程の女性上位社会だったそうです。ただ、この事を日本史教科書では載せておらず、封建社会で虐げられ…の記載でした。

ラマ教は漢字で書くと喇嘛教となり、明代の中国でこう表記されるようになりました。この表記には淫祠邪教の意味合いもあり、現代では不適切としてチベット仏教と呼ぶのが主流です。
儒教圏より遊牧民の方が女性の発言権があります。だから中国でも時に遊牧民国家に政略結婚で王女を嫁がせ、操ろうとしました。

件のTV番組はテレ朝の「TVタックル」ですよね?中凶宣伝の女の名は張景子。ある主婦ブロガーさんも、この件を取り上げています。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid479.html

ただ、張景子も上部と異なる意見を言えば、家族が収容所送りになりますからね。朝鮮はもともと宗主国に女や宦官まで朝貢、貴族の娘まで大勢捧げていたのですし。中国様の命なら、勇んで火の中、水の中。

私は自己主張のできる欧米を讃える学者サンたちに言いたいですね。自分がしないこと、出来ないことを、他人に求めるな、と。
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