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司馬遼小説に見る秦一族

2006-05-11 21:18:23 | 読書/日本史
 人気雅楽師・東儀秀樹さんの母方の祖先は秦の始皇帝と言われる。始皇帝の裔(えい)功満王の子弓月ノ君が、山東百二十県の民を率いて日本に帰化したことは日本書紀にも記述があり、推古朝に至って秦川勝の名が現れる。司馬遼太郎の短編集『ペルシャの幻術師』(文春文庫)の中の「兜卒天(とそつてん)の巡礼」は秦一族の歴史を描いた作品だが、彼らは実は始皇帝とは何の縁もなく、実はユダヤ系のネストリウス派キリスト教徒との設定となっていた。

  これは司馬遼だけの推測ではなく、秦氏の祖先がユダヤ人だったという学説よりも奇説があった。戦前その説を立てた者に田村卓政やイギリスの女学者ゴルドン の名が小説にも見える。奇説を元に司馬遼は「兜卒天の巡礼」を書いたので、これは歴史ファンタジーとして楽しんだ方が良い。
 妻に先立たれた主人公の教授が、妻亡き後彼女が秦氏の末裔だったことを知る。死亡する直前の妻の発狂に強い衝撃を受けていた教授は、学者らしく妻の祖先を得心の付くまで調べるのが義務と思い込み、兵庫県赤穂郡比奈にある大避(おおさけ)神社を訪ねた。自身秦一族の子孫である神社の宮司は興味深い話をする。

 この神社は延喜式以来大避神社と書いたが、かつて大闢(だいびゃく)とも古記録にあった。大闢(だいびゃく)とはダビデの漢訳語で、つまり、この神社はダビデの礼拝所だった、というのが宮司の説なのだ。境内には井戸があり、その井戸の名がいすらい井戸。イスラエルの井戸、となる。太秦広隆寺にある秦川勝の象も大きな目と高い鼻の風貌で、蒙古型の扁平な造作でないらしい。
 これだけで秦一族=ユダヤ移民団とはとても言えず、こじ付けの空想と一蹴されても仕方ないが、作家とは空想で食っている職業なのでこのような発想が出来るのだろうか。

 秦氏が始皇帝の末裔を名乗った背景を司馬遼太郎は、なじみの薄い宗教の移民よりも中国の著名な帝王の子孫と称する方が先着の民族に対し万事好都合だからだ、と書いている。秦氏だけでなく応神天皇の頃、17県の民を率いて帰化してきた中国からの移民団の長は漢の皇族の劉宏の裔であると大和朝廷に届け出した。彼らも本当に劉宏と関係があったかは確かめようもない。

 ネストリウス派は神学論争で破れ異端とされて、信徒たちはサーサーン朝ペルシアや中央アジア、唐に逃れる。中国では現地に同化してしまうが、インドにも彼らは渡ったそうだ。1930年代でもインドにネストリウス派キリスト教徒の村があったのは『父が子に語る世界歴史』にも見え、著者のネルーさえも未だに彼らが存在していたことに驚いていた。
 ネストリウス派が異端とされ追放されたのは、公正な論戦よりも陰謀によるところが大だった。その陰謀の主役はアレクサンドリアの大司教キリルで、彼は415年にキリスト教狂信者に命じアレクサンドリアの有名な女哲学者ヒパチアを 誘拐して、教会の中へ引き摺り込み服を脱がせ、カキの貝殻で彼女の体を切り刻み殺害したこともある。原始キリスト教会はギリシア哲学を敵視したが、美貌で 人望もある若い女哲学者を妬んでもいたという。殺人を平然と下すキリルはネストリウスを異端に仕立てる謀略にも長けていた。ちなみにキリルは死後聖人とさ れた。

 青森県の三戸郡新郷村戸来(へらい)の地では「キリストの墓」があると称し、観光スポットとしてアピールしている。この話を紹介したサイトもあるが、キリストが日本で死んだとなると奇想天外ネタの領域だ。

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7 コメント

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秦氏 (Mars)
2006-05-11 23:42:15
こんばんは、mugiさん。



私の地元では、自称、始皇帝の子孫を名乗る秦氏の末裔で、英雄になった物もいます。それは戦国時代、一時期(数日)ですが、四国をほぼ制圧した、長宗我部元親(ちょうそがべ・もとちか)、その人です。彼の出自に関しては、私は眉唾ものですが、武勲はさすがですね。そして戸次川の合戦以降、滅びの道へ突き進むのですが。「土佐の出来人」か、はたまた、「鳥なき島の蝙蝠」か(信長談)。



ちなみに、長宗我部元親は「姫若子(ひめわこ)」と呼ばれていたのをご存知でしょうか?意味は文字通り、姫(女性)のような若子であり(性格は柔和ですが、覇気がないとも取れます)、その初陣は20歳を過ぎた後のときです。しかし、その初陣で、大きな武勲を挙げ、後の活躍を彷彿させるものがあります。



しかし、何ですね。戸次川の合戦以降の関ヶ原で西軍に組みした長宗我部氏は滅び、戸次川では四国勢の大将でありながら、無謀な作戦を命令し、ヤバイと見ると、味方を見捨てた仙石氏は、明治まで生き延びる。やはり、歴史の皮肉を感じざるを得ません。

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追伸 (Mars)
2006-05-11 23:48:38
長宗我部元親は初陣後、「姫若子(ひめわこ)」という汚名を返上し、「鬼若子(おにわこ)」と呼ばれたそうです。また、地元では、秦(はだ)という地名も残っています。

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秦氏の謎と出身をめぐる綱引き (hui)
2006-05-12 15:28:53
秦氏は謎の氏族とも言われ、さまざまな説があり興味が尽きないですね。



(個人的には、中国系新羅人の可能性が高いような気がするのですが)ズバリ「朝鮮人」と明言される方もいらっしゃるようで、さすがにそういう表現は不可能ではないかと思います。

新羅には古くから秦の移民が住み着いていたという伝承があり、朝鮮半島に中国の出先機関があった事などを考えると、(秦の始皇帝の子孫かどうかはともかくとして)秦の移民もしくは、朝鮮半島在住の中国系の一族が渡来した可能性が最も高いのではないかと想像します。



しばしば問題にされる『隋書』に、筑紫から東に行く途中に「秦王国」があったと書かれており、「其の人華夏と同じ」とも書かれています。「当時の朝鮮半島は中華の影響を強く受けており、そのため本場の中国人が『華夏と同じ』と評するのも頷ける」とする意見の方も散見されますが、当時の朝鮮半島の文化や人々の様子が「華夏と同じ」であったとは到底思えません。この秦王国がなんで「朝鮮人王国」と表現されるのか私にはよく解りませんです
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姫若子 (mugi)
2006-05-13 00:22:07
こんばんは、Marsさん。



長宗我部元親が始皇帝の子孫を自称していたのは知りませんでした。私は長宗我部についてほとんど知らなかったので、「姫若子」転じて

「鬼若子」となったのも初耳です。戦国武将が「姫」では面目ないですが、時機をうかがって「姫」のフリをしていたのでしょうか。

生きのびるのもまた力量ですよね。裏切りは卑劣でも、生き残り戦術の一つでもあります。



私の地元の戦国武将・伊達政宗も徳川幕府以降は、幕府に恭順でした。ひろさちやさんはエッセイでそれを「英雄も老いれば太鼓持ちになる」として批判してますが、だからこそ潰されなかったのです。事実、幕府は潰す機会を常に狙っていたのだから。

そのためか、現代でも伊達家の子孫は健在です。
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渡来系 (mugi)
2006-05-13 00:28:57
>huiさん



朝鮮半島には古くから中国の移民が来てますし、 伝説の箕子朝鮮は殷の紂王の一族の箕子が、殷滅亡後に亡命、建国となってます。

箕子朝鮮に限らず、亡命王族が住み着いたとしても、早々現地に同化して現地人意識を持つようになるのでしょうか?現代の在日にしても、日本に生まれ育ちながらも日本人の意識は薄いですよね。



ただ、血筋だけで民族を区別するなら、渡来系の人々は全て日本人にあらず、という事にもなりかねません。それなら清朝やムガル朝は中国やインドの王朝でなく、満州、トルコ民族の歴史に組み込まれてしまいます。



秦氏が渡来系なのは間違いありませんが、今のところ「朝鮮人」と断定する確証もありません。私はむしろ「朝鮮人説」を取りたがる人々の意図の方に関心があります。何でも朝鮮と結び付けたいのか、とも勘ぐりたくなりますが。
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大陸亡命者の脱出ルート (hui)
2006-05-13 18:03:10
mugiさん



>私はむしろ「朝鮮人説」を取りたがる人々の意図の方に関心があります。何でも朝鮮と結び付けたいのか、とも勘ぐりたくなりますが。



私もです(苦笑)



そもそも古代朝鮮半島には雑多な民族が存在し、南部には、倭人というか倭族と呼ばれる人々も多数暮らしていたのではないかと思います。その当時「朝鮮人」は存在していませんし、遺伝子レベルでも現代韓国人や北朝鮮人とは異なっているはずなのです。

秦氏のルーツにしてもそうですが、新羅人であったとしても、秦の遺民である可能性も高く、なぜそこが軽んじられているのかよく分かりません。当時半島には、大陸国家の遺民が多数移住して暮らしていたはずなのです。彼らが、戦乱や政治的理由により日本へ亡命してきた可能性は非常に高いと思うのです。



>亡命王族が住み着いたとしても、早々現地に同化して現地人意識を持つようになるのでしょうか?



ならないと思います、特に華夏の人は。

台湾(本省人)の人々も、何代前は福建省のどこどこ出身の誰…と即答できる人が結構いらっしゃいます。

中国人はルーツや家系に拘りますから、例え半島に在住していても「始皇帝の子孫」と言ったはずです。

今でも、孔子の子孫といわれる方が活躍されているぐらいですから。朝鮮半島には文献資料が少ない(=実は過去に拘らない性質なのかも?)ですが、中国人は文書をやたらと残しますし、先祖代々の言い伝えは侮れないと思います。



古代の半島在住者=現代韓国・朝鮮人とする考え方には非常に無理があると感じます。
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民族文字 (mugi)
2006-05-13 20:35:53
huiさん



朝鮮半島は古代から漢族だけでなく様々な民族が侵入してますね。女真、モンゴルも来ては拉致、強制連行も珍しくもない。そのまま住み着いた民族も少なくなかったはず。日本より混血が進んでいるはずです。



さらに韓国には12世紀以前のちゃんとした正史が一切残っていませんし、ハングル文字も公布されたのは、やっと1446年の李氏朝鮮4代世宗の時代になってから。朝鮮人が漢族以上に蔑視していたモンゴルさえも既に民族文字を作りました。

すでに民族文字を持ち、正史や物語を有していた日本に対して、何とか一矢報いたい感情が帰化人=現代韓国・朝鮮人の祖先の考えに直結するのかもしれません。



>古代の半島在住者=現代韓国・朝鮮人とする考え方には非常に無理があると感じます。

全く同感です。ただ、何でも朝鮮と結び付けたい人々は、無理してでもこじ付けを押し通すつもりでしょう。史料がなくとも捏造もやりかねない。
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