トーキング・マイノリティ

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世界の兎と亀の話

2006-07-22 20:23:15 | 読書/ノンフィクション
 イソップ物語の「兎と亀」の話なら、小学生でも知っている。日本では慢心して昼寝をした兎を引き合いにして、怠けず精進せよとの教訓に使われることが多い。だが、他の国々ではその解釈や話さえ異なっているのが、『昔話にはウラがある』(新潮文庫、ひろさちや著)に紹介されていた。

 17世紀フランスの詩人ラ・フォンテーヌはイソップの「兎と亀」を変形させて書いている。その寓話詩を一部紹介したい。
兎 はつまらん勝利は念頭になく、賭けに勝っても名誉にはならないと思い、遅く出発することこそ自分の体面を保つゆえんと考え、草を食み休息を取り、賭けとは 全く別のことに興じている。やがて相手がほとんど決勝点に達したと見るや、矢の如く飛び出した。が、その跳躍は無駄に終わった
 要するにフランス版では兎はわざと亀を先に走らせて、後から追い抜く予定だったが、スタートがやや遅かったので亀に負けてしまうというもの。体面を重んじたというのは17世紀らしいが、貴族精神で敗れたというのも面白い。

  一方イラン(ペルシア)の兎と亀は亀が勝つのは同じでも、その理由は油断した兎が昼寝をしたからではない。何と亀はゴールに自分そっくりの双子の弟を立た せておいて、競争に勝利するのだ。これではどんなに兎が早く走っても亀に負けるはずだ。日本人から見れば亀は卑怯としか思えないが、イランではこの亀の賢 さが讃えられるそうだ。ひろさんもイラン人からこの話を聞いて、「亀はズルイではないか」と抗議したが、イラン人は「この亀は頭がいい」と頑固に主張したとか。島国の日本と異なり“陸の橋”と言われ、常に異民族が侵入してきたイランでは悪やズルが付こうが、うまく立ち回る賢い者が賞賛されるのか。
 ただ、同じペルシア系でもゾロアスター教徒はインド、イラン問わず正直と評判だし、紀元前にしてもヘロドトスはペルシア貴族は正直を尊ぶ、と記している。

 そして、インド人の兎と亀に関する感想はこれまた日本人とはかなり異なる。インドでも休んだ兎が負ける結末は同じ。ひろさんが年配のインド人に聞いたら、「兎?兎はノー・プロブレン(問題ない)。悪いのは亀だ!」。不思議に思ったひろさんが問い合わせたら、インド人は軽蔑したような目つきでこう語った。
そんなの、亀が悪いことは分かるはずだ。亀は兎を追い越したんだろう。どうしてその時、“もしもし兎さん、目を覚ましたらどうですか…”と一声かけてやらなかったのだ?! その一声をかけてやるのが友情だろう。その亀に友情がないじゃないか―」

 年配のインド人にひろさんは反論した。「貴方の言うことはその通りだ。でも、これは兎と亀がゲームをやっているのだろう。ゲームであれば、油断している奴をわざわざ起こさなくてもいいだろう」。年配者はこれで引っ込んだが、脇から若いインド人が口を挟んだ。
お前は昼寝というが、そんなの亀に分からんだろう。いや、兎はひょっとして病気で苦しんでいるのかもしれない。起こしてやってはじめて病気か、怠けて昼寝をしているのかが分かるのだ。だから、やはり起こしてやるべきだ
 今度はひろさんが黙る番だった。続けて若いインド人はこう言い放った。「それともお前は、自分が勝つ事ばかり考えている亀を好きだというのか?そんな日本人、大嫌いだ」 これにはひろさんも落ち込んだそうだ。

  屁理屈の巧みさでは定評のあるインド人の主張は愉快だ。この言い分だけ見れば、いかにもインド人は勝ち負けにこだわらない印象があるが、実際は嫉妬心やラ イバル心はかなり激しく、それ故団体競技に不向きな民族性があるらしい。ひろさんは書いてなかったが、もし、中国人ならどう対処するだろう。インド式のや り方は宋襄の仁と嘲るだろう。

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4 コメント

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屁理屈者 (Mars)
2006-07-22 21:48:19
こんばんは、mugiさん。



例え寓話の話にしても、お国柄によって、とらえ方が違うのも、興味深いですね。

でも、一つ屁理屈を言わせてもらえば、「兎と亀」の話も、亀にとってはハンディ戦でしょうね。(陸亀も確かにいますが、)これが水中競争ならば文句なしに、だんちでしょう。それをとやかく言うのは、やはり負け○の遠吠えか、歴史にもたらればを言う、事実をまともに受け取れない者でしょう。



インド人の言いようも、また、興味深いですね。例え、勝負に負けたとしても、理由を相手の姑息などに求めるのではなく、自らなの至らなさを責めるのが日本人の多数ではないでしょうか。結局、薄れてきたにせよ、侍魂を受け継いだ日本人の強さはこれにつきると思います。確かに、最近は多々の問題があるにせよ、先の大戦の戦敗国が豊な生活を送り、自称を含めた戦勝国がその国をやっかむ。自らの成長なくして、相手の足を引っ張るだけでは、結局は自らは伸びないことに理解できないのでしょうか。



○杯にしても、審判のせいで負けた。だから、再戦しようという姿勢に理解できない、屁理屈者でした。

(野○は運がよかったにしろ、実力で勝ちあがったのです。試合の後、ルールに文句をつけるくらいなら、大会に出るな。また、最初から試合をするなと、日本人の多くは、そう思うのでしょうね。)

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やっかみ者 (mugi)
2006-07-23 20:39:51
こんばんは、Marsさん。



同じ兎と亀の寓話でも、国によりこれほど違うものなのか、私も驚きました。

確かに兎と亀ではハンディがありすぎます。しかし、イランの例はびっくりです。これは中国人も同じ傾向があると思いますね。

アーリア系インド人とイラン人は数千年前は同根の民族でしたが、後者は奇妙に中国人と似ているところがあります。それ故、“イラン人の中華思想”と影口も言われますが、中央集権、画一性、排他性は共通の先祖を持つインドとは異なる。



やっかむのは困った人間の性ですからね。マキアヴェッリも「人は心中に巣食う嫉妬心によって、褒めるよりもけなす方を好むものである」と言ってますが、私自身の性格からして納得。



ソウルオリンピックで、確かボクシングだったか、判定に不満な韓国選手がリング上でばたばた暴れていた光景は忘れられません。まるでデパートで玩具を買って欲しいとダダをこねている幼児そっくりですが、後で朝鮮民族は李氏朝鮮時代からこうだったと知り、隣国でも全く異なる気質に驚きと嫌悪を感じました。
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今回は簡単に (セリ摘み王キモト)
2006-07-24 22:56:46
タイムトライアルでは別ですが現在ではツール・ド・フランスみたいですね。



もっとも変え玉はいませんが(^_^;)。



昔は選手の何人かが電車に乗ったという話があります(-.-;)。
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ツール・ド・フランスでも (mugi)
2006-07-25 21:20:10
>キモトさん

ツール・ド・フランスでも電車に乗って、ズルを決め込んだ選手がいたのですか。

パラリンピックで実は五体満足の者が出ていた事があったのを憶えています。

古代オリンピックなどは、ルール無視が当り前でしたしね。
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