タリバーンが政権を取り、アフガンで女子が相次いで学校から締め出された頃、イスラム諸国はもちろん欧米よりも早くこれを女性への教育の機会を奪うものとして非難した国がイランだった。このニュースを聞いた時、何かの冗談かと思ったが、後にイラン・イスラム革命により女子への教育を積極的に行っていたことを知った。
革命後、そのイメージと裏腹にイランで女性教育は拡大され、女性の布教者や教育者を育成するため女子宗教学院が建設された。元来、宗教学院は男のウラマー(聖職者)を養成する教育機関で、女性は対象外だった。だが、人口の半数を占める女性にイデオロギーとしてのイスラムを浸透させるために女性の布教者が不可欠と考えたホメイニは、1985年、ゴムに初の大規模な女子宗教学院「ジャーメアットル・ザフラー」を開く。学院内には2百名近い留学生のための寮も完備、他国の女性も学んでいる。パキスタンやアフガンからの学院生が多いが、タジキスタン、イラク、タイ、ミャンマー、中国、アルバニアなどからも留学生が来ている。
女性学院生たちは卒業後、故郷で宗教教室の教師をしたり、女子修道学院の開設や女性向けの宗教集会で説教するなど、女性宗教者として活躍する。女性の就業機会の限られるパキスタンでは女子宗教学院の教師は憧れの職業であり、イランから帰国した女性たちが次々に宗教学院を開設している。レバノンでもイランの強い影響を受けた宗教学院には女性部門があり、女性布教者が養成されている。
2006年現在、イランでは少なくとも220以上の小規模、中規模の女子宗教学院があり、高卒以上の女性を受け入れている。また「ジャーメアットル・ザフラー」以外にも国外からの留学生がいる女子宗教学院もある。これらの学院はイラスム法学者養成が主な男子宗教学院と異なり、布教者の養成が中心だが、宗教学院が女子にも開かれるに至った意味は大きい。
wikiのイラン革命に「革命後の教育と女性の地位の実像」という項目があり、革命後の女子教育の飛躍的な拡充の詳細が記載され、革命のもたらした成果として識字率の上昇と女性専門職の誕生を挙げている。この項目は殆ど桜井啓子氏の著書『現代イラン-神の国の変貌』岩波新書からの引用であり、wikiの結びは「政治的腐敗を一掃し、国民福祉の拡充を通して平等を実現してきたイスラム革命は、人権抑圧の首謀者でないことも事実である」とかなり好意的な表現となっている。
しかし、wikiのイラン革命には「革命にはつき物であるが、旧体制の支持者と断罪された人々が多く処刑された」と負の面はあまり記載されていない。「ホメイニ」の箇所にはさすがに革命の苛烈なイデオロギーが描かれており、松本清張の『白と黒の革命』に革命政権樹立後、職場から女性を追放、チャドルをまとわぬ女性は「裸の女たち」と呼ばれたことが載っている。
wikiにはイランの高等教育を受けた女性の社会進出が強調され、どのような意図で編集されたのかは不明だが、どうも革命というだけで必要以上に美化したがる者がいるようだ。
革命後、女性の教育向上と社会進出が進んだのは事実である。だが、その決定的要因はむしろ革命よりイラン・イラク戦争だった。この戦争で多数の若者が戦死、教育や専門職に携わる者が不足したため、女性が是非必要とされたのだ。もし、あの戦争がなければホメイニはさほど女性の教育者や布教者を必要としたと思えず、タリバーン式に家庭に押し込めた可能性もある。そして女性の教育に先鞭をつけたのはパフラヴィー王の白色革命によるところが大きい。白色革命で王は女性参政権を認め、これはイスラム宗教指導者の怒りを買った。革命政権はシャリーア(イスラム聖法)に基づき、女性の結婚最低年齢を9歳と定めている。
国外の留学生を受け入れたりなど女性教育の拡充といえば、一見聞こえはよい。しかし、これは世界への“革命の輸出”の狙いもあり、「被抑圧者の救済」を実現するためのノウハウや物的支援の準備も含まれる。シーア派社会主義という「人民解放のイスラム」を掲げるイデオロギーの影響も見られ、イスラム圏では少数派として抑圧されてきたシーア派の多くがホメイニの追随者となり、物心両面の支援を期待したのだった。
この為各地のシーア派はイランとの関係により国家への忠誠を疑われ、国内で立場は悪化したり、イランからの支援や指導は結局のところイランの国益に沿ったものでしかない、という現実に直面することになる。
女性にも宗教学院を門戸開放した、と書けばいかにもイスラム社会らしいと思われる方が大半だろう。しかし、日本にもあるミッションスクールのように、宗教団体が学校を運営するのは珍しくはない。フランス亡命体験を持つホメイニは、まさかこれに着想を得たのか?
女性の布教者を使い、“革命の輸出”を図るのは共産圏も同じだ。女性の解放、地位向上を掲げた婦人団体などが典型で、彼女らは主体思想や毛沢東への信奉者も少なくなかったので、日本人はイランの有様を時代錯誤と笑えない。
■参考:『現代イラン-神の国の変貌』桜井啓子著、岩波新書
『シーア派-台頭するイスラーム少数派』桜井啓子著、中公新書
◆関連記事:「殉教者教育」
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革命後、そのイメージと裏腹にイランで女性教育は拡大され、女性の布教者や教育者を育成するため女子宗教学院が建設された。元来、宗教学院は男のウラマー(聖職者)を養成する教育機関で、女性は対象外だった。だが、人口の半数を占める女性にイデオロギーとしてのイスラムを浸透させるために女性の布教者が不可欠と考えたホメイニは、1985年、ゴムに初の大規模な女子宗教学院「ジャーメアットル・ザフラー」を開く。学院内には2百名近い留学生のための寮も完備、他国の女性も学んでいる。パキスタンやアフガンからの学院生が多いが、タジキスタン、イラク、タイ、ミャンマー、中国、アルバニアなどからも留学生が来ている。
女性学院生たちは卒業後、故郷で宗教教室の教師をしたり、女子修道学院の開設や女性向けの宗教集会で説教するなど、女性宗教者として活躍する。女性の就業機会の限られるパキスタンでは女子宗教学院の教師は憧れの職業であり、イランから帰国した女性たちが次々に宗教学院を開設している。レバノンでもイランの強い影響を受けた宗教学院には女性部門があり、女性布教者が養成されている。
2006年現在、イランでは少なくとも220以上の小規模、中規模の女子宗教学院があり、高卒以上の女性を受け入れている。また「ジャーメアットル・ザフラー」以外にも国外からの留学生がいる女子宗教学院もある。これらの学院はイラスム法学者養成が主な男子宗教学院と異なり、布教者の養成が中心だが、宗教学院が女子にも開かれるに至った意味は大きい。
wikiのイラン革命に「革命後の教育と女性の地位の実像」という項目があり、革命後の女子教育の飛躍的な拡充の詳細が記載され、革命のもたらした成果として識字率の上昇と女性専門職の誕生を挙げている。この項目は殆ど桜井啓子氏の著書『現代イラン-神の国の変貌』岩波新書からの引用であり、wikiの結びは「政治的腐敗を一掃し、国民福祉の拡充を通して平等を実現してきたイスラム革命は、人権抑圧の首謀者でないことも事実である」とかなり好意的な表現となっている。
しかし、wikiのイラン革命には「革命にはつき物であるが、旧体制の支持者と断罪された人々が多く処刑された」と負の面はあまり記載されていない。「ホメイニ」の箇所にはさすがに革命の苛烈なイデオロギーが描かれており、松本清張の『白と黒の革命』に革命政権樹立後、職場から女性を追放、チャドルをまとわぬ女性は「裸の女たち」と呼ばれたことが載っている。
wikiにはイランの高等教育を受けた女性の社会進出が強調され、どのような意図で編集されたのかは不明だが、どうも革命というだけで必要以上に美化したがる者がいるようだ。
革命後、女性の教育向上と社会進出が進んだのは事実である。だが、その決定的要因はむしろ革命よりイラン・イラク戦争だった。この戦争で多数の若者が戦死、教育や専門職に携わる者が不足したため、女性が是非必要とされたのだ。もし、あの戦争がなければホメイニはさほど女性の教育者や布教者を必要としたと思えず、タリバーン式に家庭に押し込めた可能性もある。そして女性の教育に先鞭をつけたのはパフラヴィー王の白色革命によるところが大きい。白色革命で王は女性参政権を認め、これはイスラム宗教指導者の怒りを買った。革命政権はシャリーア(イスラム聖法)に基づき、女性の結婚最低年齢を9歳と定めている。
国外の留学生を受け入れたりなど女性教育の拡充といえば、一見聞こえはよい。しかし、これは世界への“革命の輸出”の狙いもあり、「被抑圧者の救済」を実現するためのノウハウや物的支援の準備も含まれる。シーア派社会主義という「人民解放のイスラム」を掲げるイデオロギーの影響も見られ、イスラム圏では少数派として抑圧されてきたシーア派の多くがホメイニの追随者となり、物心両面の支援を期待したのだった。
この為各地のシーア派はイランとの関係により国家への忠誠を疑われ、国内で立場は悪化したり、イランからの支援や指導は結局のところイランの国益に沿ったものでしかない、という現実に直面することになる。
女性にも宗教学院を門戸開放した、と書けばいかにもイスラム社会らしいと思われる方が大半だろう。しかし、日本にもあるミッションスクールのように、宗教団体が学校を運営するのは珍しくはない。フランス亡命体験を持つホメイニは、まさかこれに着想を得たのか?
女性の布教者を使い、“革命の輸出”を図るのは共産圏も同じだ。女性の解放、地位向上を掲げた婦人団体などが典型で、彼女らは主体思想や毛沢東への信奉者も少なくなかったので、日本人はイランの有様を時代錯誤と笑えない。
■参考:『現代イラン-神の国の変貌』桜井啓子著、岩波新書
『シーア派-台頭するイスラーム少数派』桜井啓子著、中公新書
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