ジョイ・ディヴィジョンの1stアルバム『Unknown Pleasures』の1曲目、「Disorder」には、「a normal man(普通の人間)」としての感情を抱けなくなった人物が描かれています。とらえどころのない浮遊感が漂う「僕」の内的世界を表すのに、J・G・バラードの小説をふまえたフレーズが効果的に使われています。
I've been waiting for a guide to come and take me by the hand.
僕の手を取ってくれるガイドを待っていたんだ。
Could these sensations make me feel the pleasures of a normal man?
ある種の感覚が、僕に普通の人間としての喜びを感じさせてくれるだろうか?
These sensations barely interest me for another day.
この感覚はかろうじて僕に明日への興味を持たせてくれる。
I've got the spirit, lose the feeling, take the shock away.
僕は生き返ったけど、感情が無くなった、このショックを取り除いてくれ。
It's getting faster, moving faster now, it's getting out of hand.
それはどんどん速くなる、今やどんどん速くなって、手に負えない。
On the tenth floor, down the backstairs, into no man's land.
10階のフロアで、裏階段を見下ろすと、人気が全く無い。
Lights are flashing, cars are crashing, getting frequent now.
ライトが点滅している、車が衝突している、今や日常茶飯事。
I've got the spirit, lose the feeling, let it out somehow.
僕は生き返ったけど、感情が無くなった、何とか解放してくれ。
What means to you, what means to me, and we will meet again.
君にとっての意味、僕にとっての意味、そして僕たちは再び出会うだろう。
I'm watching you, I'm watching her, I'll take no pity from you friends.
僕は君を見ている、僕は彼女を見ている、君の友達の同情はいらない。
Who is right, who can tell and who gives a damn right now.
誰が正しい、誰が言える、誰が批判できる、今まさに。
Until the spirit new sensation takes hold, then you know.
精神と新しい感覚を得るまでだ、そうすれば君にもわかる。
I've got the spirit, but lose the feeling. 僕は生き返ったけど、感情が無くなった。
Feeling. 感情が。
「僕」はなぜガイドを待っているのでしょうか。それは、「a normal man(普通の人間)」としての喜びを感じられなくなっているからです。「these sensations」があれば何とかそれを取り戻せる、そのためのガイドを待っています。
「I've got the spirit, but lose the feeling」は、何度も繰り返され、詩のイメージを掴む鍵となっていると思います。「生き返ったけど感情が無い」という「僕」の状態は、どんな感じなのか、実感として掴みにくいですが、抜き差しならない状況であることは分かります。「take the shock away.」とありますが、何か「ショック」を受けてこの状況に陥っているのです。
第2連の「On the tenth floor, down the backstairs, into no man's land.」「Lights are flashing, cars are crashing, getting frequent now.」は、J・G・バラードの小説をふまえています。前者は『ハイ・ライズ』、後者は『クラッシュ』の世界に通じているとみられます。この二作と『コンクリート・アイランド』は、テクノロジーと人間の内面との関係を描いた「テクノロジー三部作」と言われています。
『ハイ・ライズ』は、40階建ての高層マンションが舞台です。最新の技術で造られた、至れり尽くせりの設備を持ち、誰もが快適に暮らせる住居のはずでした。しかし、「事実上マンションは、すでに上流、中流、下流という、三つの古典的な社会階層に分かれていた」(村上博基訳、ハヤカワ文庫SF p.72)という中、住民たちの心理は徐々におかしな方向へ進んでいきます。理性を無くした住民たちは暴力的な集団となり、恐ろしい事件が繰り広げられます。このマンションは、「十階のショッピング・モールを明瞭な境界として」(同p.72)とあるように、十階が分岐点となっています。「On the tenth floor, down the backstairs, into no man's land.」は、マンションが荒廃していく中、「十階のコンコースにひと気は絶えていた。」(同p.165)「十階までおりてきたとき、もうコンコースはほとんどからっぽだった。」(同p.121)という情景をふまえているとみられます。
『クラッシュ』は、交通事故をきっかけに、車の衝突と性的興奮が結びつき、自動車事故に異常な魅力を感じる人々を描いています。「cars are crashing」は、『クラッシュ』の世界を彷彿させます。
この詩の主人公「僕」は、バラードの小説の登場人物のように、アブノーマルな状況に追い込まれている、そんな想像が広がります。
第3連の冒頭「君にとっての意味」と「僕にとっての意味」が違う、というのも、「僕」がノーマルな人間ではないからでしょう。しかし、「僕らは出会えるだろう」というのは、「手をとってくれるガイド」が現れて普通の人間としての感覚を取り戻せるかもしれない、そこに希望を見ているからだと思います。精神を取り戻し、感覚を得る、そうなってノーマルな人間になるから同情も批判も無用だ、ということではないでしょうか。
「spirt」「sensation」「feeling」、この三つの言葉の繊細な意味の異なりは、詩の中で「僕」の内面を細やかに表現しています。生き返ったけど感情を無くし、ある感覚を取り戻し、ノーマルな人間に戻りたいという心理の不思議さは、バラードの小説のアブノーマルな人物たちのイメージと相俟って、より印象的なものとなっていると思います。
I've been waiting for a guide to come and take me by the hand.
僕の手を取ってくれるガイドを待っていたんだ。
Could these sensations make me feel the pleasures of a normal man?
ある種の感覚が、僕に普通の人間としての喜びを感じさせてくれるだろうか?
These sensations barely interest me for another day.
この感覚はかろうじて僕に明日への興味を持たせてくれる。
I've got the spirit, lose the feeling, take the shock away.
僕は生き返ったけど、感情が無くなった、このショックを取り除いてくれ。
It's getting faster, moving faster now, it's getting out of hand.
それはどんどん速くなる、今やどんどん速くなって、手に負えない。
On the tenth floor, down the backstairs, into no man's land.
10階のフロアで、裏階段を見下ろすと、人気が全く無い。
Lights are flashing, cars are crashing, getting frequent now.
ライトが点滅している、車が衝突している、今や日常茶飯事。
I've got the spirit, lose the feeling, let it out somehow.
僕は生き返ったけど、感情が無くなった、何とか解放してくれ。
What means to you, what means to me, and we will meet again.
君にとっての意味、僕にとっての意味、そして僕たちは再び出会うだろう。
I'm watching you, I'm watching her, I'll take no pity from you friends.
僕は君を見ている、僕は彼女を見ている、君の友達の同情はいらない。
Who is right, who can tell and who gives a damn right now.
誰が正しい、誰が言える、誰が批判できる、今まさに。
Until the spirit new sensation takes hold, then you know.
精神と新しい感覚を得るまでだ、そうすれば君にもわかる。
I've got the spirit, but lose the feeling. 僕は生き返ったけど、感情が無くなった。
Feeling. 感情が。
「僕」はなぜガイドを待っているのでしょうか。それは、「a normal man(普通の人間)」としての喜びを感じられなくなっているからです。「these sensations」があれば何とかそれを取り戻せる、そのためのガイドを待っています。
「I've got the spirit, but lose the feeling」は、何度も繰り返され、詩のイメージを掴む鍵となっていると思います。「生き返ったけど感情が無い」という「僕」の状態は、どんな感じなのか、実感として掴みにくいですが、抜き差しならない状況であることは分かります。「take the shock away.」とありますが、何か「ショック」を受けてこの状況に陥っているのです。
第2連の「On the tenth floor, down the backstairs, into no man's land.」「Lights are flashing, cars are crashing, getting frequent now.」は、J・G・バラードの小説をふまえています。前者は『ハイ・ライズ』、後者は『クラッシュ』の世界に通じているとみられます。この二作と『コンクリート・アイランド』は、テクノロジーと人間の内面との関係を描いた「テクノロジー三部作」と言われています。
『ハイ・ライズ』は、40階建ての高層マンションが舞台です。最新の技術で造られた、至れり尽くせりの設備を持ち、誰もが快適に暮らせる住居のはずでした。しかし、「事実上マンションは、すでに上流、中流、下流という、三つの古典的な社会階層に分かれていた」(村上博基訳、ハヤカワ文庫SF p.72)という中、住民たちの心理は徐々におかしな方向へ進んでいきます。理性を無くした住民たちは暴力的な集団となり、恐ろしい事件が繰り広げられます。このマンションは、「十階のショッピング・モールを明瞭な境界として」(同p.72)とあるように、十階が分岐点となっています。「On the tenth floor, down the backstairs, into no man's land.」は、マンションが荒廃していく中、「十階のコンコースにひと気は絶えていた。」(同p.165)「十階までおりてきたとき、もうコンコースはほとんどからっぽだった。」(同p.121)という情景をふまえているとみられます。
『クラッシュ』は、交通事故をきっかけに、車の衝突と性的興奮が結びつき、自動車事故に異常な魅力を感じる人々を描いています。「cars are crashing」は、『クラッシュ』の世界を彷彿させます。
この詩の主人公「僕」は、バラードの小説の登場人物のように、アブノーマルな状況に追い込まれている、そんな想像が広がります。
第3連の冒頭「君にとっての意味」と「僕にとっての意味」が違う、というのも、「僕」がノーマルな人間ではないからでしょう。しかし、「僕らは出会えるだろう」というのは、「手をとってくれるガイド」が現れて普通の人間としての感覚を取り戻せるかもしれない、そこに希望を見ているからだと思います。精神を取り戻し、感覚を得る、そうなってノーマルな人間になるから同情も批判も無用だ、ということではないでしょうか。
「spirt」「sensation」「feeling」、この三つの言葉の繊細な意味の異なりは、詩の中で「僕」の内面を細やかに表現しています。生き返ったけど感情を無くし、ある感覚を取り戻し、ノーマルな人間に戻りたいという心理の不思議さは、バラードの小説のアブノーマルな人物たちのイメージと相俟って、より印象的なものとなっていると思います。