イアン・カーティスはJ・G・バラードを愛読していました。「Disorder」のほかにその影響がみられるものとして、「Ice age」と「Atrocity Exhibition」が挙げられます。「Atrocity Exhibition」は、遺作となった2ndアルバム『クローサー』の冒頭を飾る曲です。「Ice Age」は、1978年の作品ですが、世に出たのはイアンの死後で、1981年に発売されたジョイ・ディヴィジョンの3rdアルバム『Still』に収録されています。『Still』は、イアンの死の2週間前に収録したライヴとスタジオ録音の未発表曲で構成されています。
1978年1月に自主制作のデビュー・アルバム『An Ideal For Living』が完成した後の5月、ジョイ・ディヴィジョンはデヴィット・ボウイやイギー・ポップが所属する大手レコードレーベルのRCAレコードからのデビューを前提にレコーディングを行うことになりました。イアンがジョイ・ディヴィジョンを売り込むためにせっせとRCAレコードに顔を出しており、その甲斐あって掴んだチャンスです(RCAレコードは彼の職場に近かったようです)。5月の3日から4日にかけてレコーディングが行われ、「Ice Age」のほか「They Walked In Line 」「Novelty」「Transmission 」「Interzone」「Shadowplay 」などを含む12曲が録音されました。そのうちの1曲は、条件として、N.F.ポーターの「Keep On Keepin' On」のカバーをするよう指示され、イアンは、ソウル・シンガーのように、とくに「ジェームス・ブラウンのように歌え」と求められました。しかし、うまくできず、次第に苛立ち、感情をぶつけ始めます。また、意に添わないのにシンセサイザーを入れろと強要されたことなどが原因となり、結局契約には至りませんでした。ファクトリー・レコードの第一弾となる『 A Factory Sample』(「Digital」と「Glass」が収録)が録音されたのは、その5ヶ月後の10月です。翌1979年の1月に発売されました。
「Ice Age」は、「直球のJ・Gバラードものか?」(ジョン・ウォーゼンクロフト『Still』ライナー・ノート)と評されています。「I've seen the real atrocities,(リアルな残虐行為を見た)/Buried in the sand,(砂の中に埋められ)/Stockpiled for safety,(わずかな者にだけ安全が蓄えられ)/While we stand holding hands.(その間僕たちは手をつないで立ちつくす)」という歌詞の、「リアルな残虐行為」「砂の中に埋められ」が、バラードの『残虐行為展覧会』に通じているとみられます。
『残虐行為展覧会』(工作舎・1980年・法水金太郎訳)は、一貫したストーリーを持たず、小さなエピソードのつながりで成り立っています。その中に、「ヴェトナムでのナパーム爆撃」「イーザリィ」(注:広島への原爆投下爆撃隊に加わったパイロット。大戦後精神病院に収容された。)「チンタオの入り江の浜に乗り上げたUボートの錆びついた船体」「アルバート・アインシュタインの脳波図」「J・F・K」「コンゴの残虐行為」「女装したアイヒマン」(注:ナチスの将校。強制収容所内における残虐行為のために1962年イスラエルにおいて処刑)というように、“残虐行為”を連想させるフレーズがくり返し示されます。舞台となっているのは近未来のどこかの都市であることが想像されますが、そこは浜辺の砂地です。「ばらまかれた砂と裂けたセメント袋のあいだに、古いタイヤとビール瓶が転がっている。」「あらゆる種類のガラクタが砂地には転がっている。」「砂丘の背後に隠れてしまった小屋」といった風景が、崩壊していく都市とそこに生きる人間の心象を象徴するように描かれています。
「Atrocity Exhibition」は、邦訳すると「残虐行為展覧会」で、バラードの小説『残虐行為展覧会』と同じタイトルです。こちらの方は、詩の中にはバラードの『残虐行為展覧会』を窺わせる部分は見られず、タイトルにだけ影響関係が見られます。しかし、「Asylums with doors open wide(ドアが広く開かれた収容所)/Where people had paid to see inside(人々は金を払って中を見た)/For entertainment they watch his body twist(娯楽として彼らは彼の身体がよじられるのを見る)/Behind his eyes he says, I still exist(瞳の奥で彼は言う、「僕はまだ生きている」)」という「僕」自身は、「残虐行為展覧会」の展示品の一つのようで、タイトルと詩の内容はどこか通じ合うものとして捉えられてきます。
「Disorder」において、バラードの小説をふまえていると思われる部分は、前回指摘しましたが、第2連の「On the tenth floor, down the backstairs, into no man's land.(10階のフロアで、裏階段を見下ろすと、人気が全く無い。)」「Lights are flashing, cars are crashing, getting frequent now.(ライトが点滅している、車が衝突している、今や日常茶飯事。)」です。前者は『ハイ・ライズ』、後者は『クラッシュ』をふまえており、この二作と『コンクリート・アイランド』は、テクノロジーと人間の内面との関係を描いた「テクノロジー三部作」と言われていることは既に指摘しました。この「テクノロジー三部作」の特徴について、集英社『世界文学大事典』の「J・Gバラード」項は、「テクノロジーとメディアに浸食された現代人の荒涼たる心象風景を描き」「都市の荒廃と暴力と無気味さを、科学時代の現代人の心象風景として追究する」ものだと説明しています。「Disorder」の歌詞の内容と照らし合わせてみると、「Disorder」はとくにテクノロジーとの関わりといったテーマを持っているわけではありません。あくまで、「僕」の不思議な心情や感覚がテーマです。テーマとして密接に関わっているわけではありませんが、しかし、バラードの小説から借りた言葉が、表面的に詩を飾っているだけでもないと思います。この歌詞とバラードの小説の世界は、もう少し密接に関わっているのではないでしょうか。
詩に描かれている「僕」の、通常の感覚ではない心情は、バラードの小説を彷彿させる言葉を重ねることでよりシュールなものになります。バラードは、「真のSF小説の第一号は……健忘症の男が浜辺に寝ころんで、錆びた自転車の車輪を見つめつつ、両者の関係性の究極的な本質をつきとめようとする、そんな物語になるはずだ」(山形浩生「J・Gバラード:欲望の磁場」太田出版『コンクリート・アイランド』に収録)といい、「人間の深層心理に潜む内宇宙を心象風景化した」(集英社『世界文学大事典』)作品を書きました。この「内宇宙(インナー・スペース)の探求」が、イアンがバラードから受けた影響ではないか、と思います。
1978年1月に自主制作のデビュー・アルバム『An Ideal For Living』が完成した後の5月、ジョイ・ディヴィジョンはデヴィット・ボウイやイギー・ポップが所属する大手レコードレーベルのRCAレコードからのデビューを前提にレコーディングを行うことになりました。イアンがジョイ・ディヴィジョンを売り込むためにせっせとRCAレコードに顔を出しており、その甲斐あって掴んだチャンスです(RCAレコードは彼の職場に近かったようです)。5月の3日から4日にかけてレコーディングが行われ、「Ice Age」のほか「They Walked In Line 」「Novelty」「Transmission 」「Interzone」「Shadowplay 」などを含む12曲が録音されました。そのうちの1曲は、条件として、N.F.ポーターの「Keep On Keepin' On」のカバーをするよう指示され、イアンは、ソウル・シンガーのように、とくに「ジェームス・ブラウンのように歌え」と求められました。しかし、うまくできず、次第に苛立ち、感情をぶつけ始めます。また、意に添わないのにシンセサイザーを入れろと強要されたことなどが原因となり、結局契約には至りませんでした。ファクトリー・レコードの第一弾となる『 A Factory Sample』(「Digital」と「Glass」が収録)が録音されたのは、その5ヶ月後の10月です。翌1979年の1月に発売されました。
「Ice Age」は、「直球のJ・Gバラードものか?」(ジョン・ウォーゼンクロフト『Still』ライナー・ノート)と評されています。「I've seen the real atrocities,(リアルな残虐行為を見た)/Buried in the sand,(砂の中に埋められ)/Stockpiled for safety,(わずかな者にだけ安全が蓄えられ)/While we stand holding hands.(その間僕たちは手をつないで立ちつくす)」という歌詞の、「リアルな残虐行為」「砂の中に埋められ」が、バラードの『残虐行為展覧会』に通じているとみられます。
『残虐行為展覧会』(工作舎・1980年・法水金太郎訳)は、一貫したストーリーを持たず、小さなエピソードのつながりで成り立っています。その中に、「ヴェトナムでのナパーム爆撃」「イーザリィ」(注:広島への原爆投下爆撃隊に加わったパイロット。大戦後精神病院に収容された。)「チンタオの入り江の浜に乗り上げたUボートの錆びついた船体」「アルバート・アインシュタインの脳波図」「J・F・K」「コンゴの残虐行為」「女装したアイヒマン」(注:ナチスの将校。強制収容所内における残虐行為のために1962年イスラエルにおいて処刑)というように、“残虐行為”を連想させるフレーズがくり返し示されます。舞台となっているのは近未来のどこかの都市であることが想像されますが、そこは浜辺の砂地です。「ばらまかれた砂と裂けたセメント袋のあいだに、古いタイヤとビール瓶が転がっている。」「あらゆる種類のガラクタが砂地には転がっている。」「砂丘の背後に隠れてしまった小屋」といった風景が、崩壊していく都市とそこに生きる人間の心象を象徴するように描かれています。
「Atrocity Exhibition」は、邦訳すると「残虐行為展覧会」で、バラードの小説『残虐行為展覧会』と同じタイトルです。こちらの方は、詩の中にはバラードの『残虐行為展覧会』を窺わせる部分は見られず、タイトルにだけ影響関係が見られます。しかし、「Asylums with doors open wide(ドアが広く開かれた収容所)/Where people had paid to see inside(人々は金を払って中を見た)/For entertainment they watch his body twist(娯楽として彼らは彼の身体がよじられるのを見る)/Behind his eyes he says, I still exist(瞳の奥で彼は言う、「僕はまだ生きている」)」という「僕」自身は、「残虐行為展覧会」の展示品の一つのようで、タイトルと詩の内容はどこか通じ合うものとして捉えられてきます。
「Disorder」において、バラードの小説をふまえていると思われる部分は、前回指摘しましたが、第2連の「On the tenth floor, down the backstairs, into no man's land.(10階のフロアで、裏階段を見下ろすと、人気が全く無い。)」「Lights are flashing, cars are crashing, getting frequent now.(ライトが点滅している、車が衝突している、今や日常茶飯事。)」です。前者は『ハイ・ライズ』、後者は『クラッシュ』をふまえており、この二作と『コンクリート・アイランド』は、テクノロジーと人間の内面との関係を描いた「テクノロジー三部作」と言われていることは既に指摘しました。この「テクノロジー三部作」の特徴について、集英社『世界文学大事典』の「J・Gバラード」項は、「テクノロジーとメディアに浸食された現代人の荒涼たる心象風景を描き」「都市の荒廃と暴力と無気味さを、科学時代の現代人の心象風景として追究する」ものだと説明しています。「Disorder」の歌詞の内容と照らし合わせてみると、「Disorder」はとくにテクノロジーとの関わりといったテーマを持っているわけではありません。あくまで、「僕」の不思議な心情や感覚がテーマです。テーマとして密接に関わっているわけではありませんが、しかし、バラードの小説から借りた言葉が、表面的に詩を飾っているだけでもないと思います。この歌詞とバラードの小説の世界は、もう少し密接に関わっているのではないでしょうか。
詩に描かれている「僕」の、通常の感覚ではない心情は、バラードの小説を彷彿させる言葉を重ねることでよりシュールなものになります。バラードは、「真のSF小説の第一号は……健忘症の男が浜辺に寝ころんで、錆びた自転車の車輪を見つめつつ、両者の関係性の究極的な本質をつきとめようとする、そんな物語になるはずだ」(山形浩生「J・Gバラード:欲望の磁場」太田出版『コンクリート・アイランド』に収録)といい、「人間の深層心理に潜む内宇宙を心象風景化した」(集英社『世界文学大事典』)作品を書きました。この「内宇宙(インナー・スペース)の探求」が、イアンがバラードから受けた影響ではないか、と思います。