愛語

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「Digital」に見るイアン・カーティスの詩と生活――(3)

2010-08-04 18:33:19 | 日記
まず、第一連を読んでみます。

Feel it closing in,      それが迫ってくる、
Feel it closing in,      それが迫ってくる、
The fear of whom I call,  僕が呼んでいる、
Every time I call       僕がいつも呼んでいる恐ろしいもの。
I feel it closing in,      僕はそれが迫ってくるのを感じる、
I feel it closing in,      僕はそれが迫ってくるのを感じる、
Day in, day out,       明けても暮れても、
Day in, day out,       明けても暮れても、
Day in, day out,       明けても暮れても、
Day in, day out,       明けても暮れても、
Day in, day out,       明けても暮れても、
Day in, day out.       明けても暮れても。

 「Feel it closing in,」――今まさに何かが近づいてくる、逼迫した感じがします。近づいてくる、この“it”とは何なのかが、この詩を読み解く重要なポイントになると思います。
 そこで問題になるのが、「The fear of whom I call,」の解釈です。邦訳本は「誰かに叫びたいほどの恐怖」と訳し、「Every time I call, I feel it closing in」を「叫ぶごとに、それが迫ってくるのを感じるんだ」と訳しています。『ザ・ベスト・オブ・ジョイ・ディヴィジョン』や『クローサー』コレクターズエディションなどの歌詞カードも同様に訳しています。しかし、「whom」は関係詞で、以下の「I call, Every time I call」は修飾節なのではないでしょうか(「Every time I call」の後に、テキストでは原著でも邦訳本でも、ピリオドもコンマもないのですが、ピリオドが落ちていて、ここで切れると考えます)。そして、「僕が呼んでいる、僕がいつも呼んでいる」ところの「恐怖」であると解しました。「whom」は人物に使われますが、“it”=「恐怖」が擬人化されているとみなします。
 “近づいてくるもの”が「叫びたいほど恐ろしいもの」か、「僕が呼ぶもの」かでは、かなり違いがあります。前者では迫ってくるものは忌むべきものと感じられます。しかし後者は、恐ろしい存在だけれども、「僕が呼んでいる、いつも呼んでいる」もので、ただ恐ろしいだけのものではないようです。一体それは何なのだろう、そんな疑問が起こります。

 第2連を読んでみます。

I feel it closing in,       僕はそれが迫ってくるのを感じる、
As patterns seem to form.  パターンが整ってくるにつれて。
I feel it cold and warm.     僕はそれを冷たくも暖かくも感じる。
The shadows start to fall.   影が落ち始める。
I feel it closing in,       僕はそれが迫ってくるのを感じる、
I feel it closing in,       僕はそれが迫ってくるのを感じる、
Day in, day out,         明けても暮れても、
Day in, day out,         明けても暮れても、
Day in, day out,         明けても暮れても、
Day in, day out,         明けても暮れても、
Day in, day out.         明けても暮れても。

 「I feel it closing in, As patterns seem to form. I feel it cold and warm.」の訳ですが、邦訳本では「それが迫ってくるのを感じる/形が整ってくるにつれ/それが寒くも暖かくも感じる」と訳されています。しかし、コンマとピリオドに注目すると、「I feel it closing in, As patterns seem to form. 」で切れ、「I feel it cold and warm.」となっています。なので、「形が整ってくるにつれ」は、「それが寒くも暖かくも感じる」に続くのではなく、倒置となって「僕はそれが迫ってくるのを感じる」に繋がり、「僕はそれが迫ってくるのを感じる、パターンが整ってくるにつれて。」となるのではないでしょうか。「それ」はたびたび現れ、その「パターンが整って」きたため、「それが迫ってくるのを感じ」られるようになったと解釈します。そして「それ」は、「冷たくも暖かくも感じられる」存在なのです。
 ここまでの抽象的な表現から、近づいてくるものは、外面ではなく内面にある存在で、深層心理で捉えられたものだという印象が強まります。
 「The shadows start to fall.」は単に周囲が暗くなるというのではなく、心の中に闇が広がる様子を表していると思います。“it”がいよいよ「僕」に近付いてきて、影が差すようになってきた、そんな感覚ではないでしょうか。
 「開けても暮れても」夜であろうと昼であろうと、心の中を闇が覆うような時、「それ」が迫ってきて、時によって、「僕」の心情によって暖かくも冷たくも感じられるのではないでしょうか。

 第3連を見てみましょう。

I'd have the world around,    僕は世界をくまなく手に入れようとした、
To see just whatever happens, 何が起こるか、まさに見るために。
Stood by the door alone,     ドアの側に一人で立った、
And then it's fade away.     その時、それは消えた。
I see you fade away.        君が消えていくのが見える。
Don't ever fade away.       消えないでくれ。
I need you here today.       今日君にここにいてほしいんだ。
Don't ever fade away.       消えないでくれ。
Don't ever fade away.       消えないでくれ。
Don't ever fade away.       消えないでくれ。 
Don't ever fade away.       消えないでくれ。
Fade away, fade away.       消えていく、消えていく。
Fade away, fade away.       消えていく、消えていく。
Fade away, fade away.       消えていく、消えていく。
Fade away.              消えていく。

 「世界をくまなく手に入れようとした、何が起こるか、まさに見るために」は、詩作におけるイアンの姿勢に通じていると思います。『An Ideal For Living』の歌詞についての記事で述べたように、イアンが「人間の苦悩ばかり読んだり考え」(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』)、人類が犯した過ち、そうした悲劇が繰り返される構造を捉え、描こうとしたことが表れているのではないかと思います。
 そして、「その時、それは消えた。君が消えていくのが見える。」とあります。「それ」=「君」で、「消えないでくれ」と必死に懇願しています。
 第1連の「The fear of whom I call,」の訳し方に関連して、「それ」が忌むべきものなのか「僕が呼んでいる」ものなのかという違いについて述べました。単に「それ」への恐怖を言っているとすると、第3連で消えていく「それ」に対して「消えないでくれ」と懇願するところに矛盾が生じてきます。「それ」と「君」が別々のものだとすると、ここで突然「君」が出てくることは、唐突に感じられます。しかし、「僕がいつも呼んでいる恐ろしいもの」、「迫ってくるのを感じ」ていた、「それ」=「君」が消えてしまった、消えないでくれ、という感情の動きだとすると、筋が通ります。
 “it”の正体は「僕」の深層心理に時折現れる「君」で、この詩はそんな「君」との関わりを表現していると解釈することができると思うのです。


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