愛語

閑を見つけて調べたことについて、気付いたことや考えたことの覚え書きです。

「Insight」――夢の終わり(1)

2011-09-14 20:53:13 | 日記
 「洞察」という題が付けられたこの詩は、「夢は終わる」「希望は無い」という絶望を歌っていますが、悲しみにひたることはなく、心情が淡々と綴られている印象を受けます。題の示す通り、感情に溺れず、少し離れたところから見ているような雰囲気があるように思います。

Guess you dreams always end.       夢はいつも終わる。
They don't rise up, just descend,      叶うことはなく、ただ降りてくる
But I don't care anymore,          でも僕は構わない
I've lost the will to want more,       何かを求める意志を無くしてしまった
I'm not afraid not at all,           僕はもう何も恐くない
I watch them all as they fall,         落ちていく夢を見ている
But I remember when we were young.   だけど覚えている、僕らが若かった時のことを。

Those with habits of waste,         浪費する人々は
Their sense of style and good taste,    彼らのセンスや嗜好の良さで
Of making sure you were right,       自分たちが正しかったことを確かめている
Hey don't you know you were right?    自分が正しいと思っているんだろう?
I'm not afraid anymore,            僕はもう何も恐くない
I keep my eyes on the door,         ドアを見つめたまま
But I remember....                だけど覚えている……

Tears of sadness for you,          君を思い流した涙
More upheaval for you,            君のためにもっと変わらなくては
Reflects a moment in time,         早く、ある瞬間を反映させるんだ
A special moment in time,          ある特別な瞬間を
Yeah we wasted our time,          そう、僕らは時間を無駄にした
We didn't really have time,          本当に時間が無かったんだ
But we remember when we were young.  だけど覚えている、僕らが若かった時のことを。

And all God's angels beware,        神の天使たちよ、気をつけろ
And all you judges beware,         全ての裁く者たちよ、気をつけろ
Sons of chance, take good care,      強運の子たちも気をつけろ
For all the people not there,        そこにいない全ての人々のために
I'm not afraid anymore,           僕はもう何も恐くない
I'm not afraid anymore,           僕はもう何も恐くない
I'm not afraid anymore,           僕はもう何も恐くない
Oh, I'm not afraid anymore.         ああ、僕はもう何も恐くないんだ

 第一連の「落ちていく夢を見ている」という様子は、諦観のようにも見えます。そして、第一連の最後の「But I remember when we were young.」について、デボラは『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』で「『だけど憶えているよ、僕らが若かった頃を』と、イアンはあたかも若い時を終えてしまったように年寄りじみて言った。」(第8章)と書いています。まだ20歳を過ぎたばかりの青年の言葉としては大げさな感じもしますが、夢を見ていた頃――10代の頃や、バンドを始める前との間に、物理的な時間の差ではなく、精神的に、大きな断絶があったということなのだと思います。余談ですが、この詩を読んでいると、ニック・ドレイク(1948-1974)の「Chello Song」に、

Strange face, with your eyes               青く誠実な目をした
So pale and sincere                     見知らぬ人
Underneath you know well                 あなたにはわかっている
You have nothing to fear                  恐いものなど何もないのだと
For the dreams that came to you when so young   若い頃に見た夢が
Told of a life                          人生は
Where spring is sprung                    美しく活気に満ちたものだと教えてくれたから

とあるのを連想します。若い頃に見た夢が今は無く、そして、恐いものが何も無いというところが共通しています。希望を持たないから何も恐れないという理屈は分かります。しかし、どちらについても、気になるのは“夢を見ていた若い頃”と“今”との関係です。かつて夢を見ていた頃のことは、全く否定されているわけではありません。また、過去を懐かしんで嘆いているようでもありません。“夢を見ていた若い頃”は、“今”と切り離されているのではなく、確かな形で“今”に含まれている、そんな感じがします。
 ニック・ドレイクについては、『Torn Apart―The Life of Ian Curtis』で、イアンと比較されていたことをきっかけに興味を持ち、聴くようになったのですが、詩も曲も、聞き込むほどに魅力的で、大好きになりました。また、詩は、いくつかイアンの詩と発想が似ているように感じるものもあり、これもその一つなのですが、機会があれば二人の世界観を比較してみたいとも思っています。今回は、『Torn Apart―The Life of Ian Curtis』第10章「Unknown Pleasures」に出てくる、ニック・ドレイクの記述を紹介してみたいと思います。
 第10章は、「Unknown Pleasures」の制作過程について書かれている章です。マーティン・ハネットの仕事がサウンドにもたらした影響について述べられ、「『Unknown Pleasures』は、ハネットのビジョンとイアンのボーカルを凝縮させた作品」であるとし、「ハネットが試みたのは、リスナーと彼らが聴いている声の間にある親密さを示すことだった」と書かれています。そして、「楽器とボーカルの分離は、リスナーに、ボーカルに対して通常とは違った響きをもたらし、シンガーがリスナーに向かって一人で歌っているような印象を与えた。のちにこのテクニックは、ニック・ドレイクとジェフ・バックリィ(1966-1997)のレコーディングとしばしば比較される」とあります。「楽器とボーカルの分離」とは、イアンのボーカルは楽器とは別に録音されていて、例えば「Insight」では、『必要な距離感を得るためにシンガーの声を電話線を通して録音している』(「Unknown Pleasures」コレクターズエディションのライナー・ノート)というようなアレンジが施されている、ということです。さらにこう続きます。「前者(ニック・ドレイク)は、ジョイ・ディヴィジョンが誕生する前に死んでいる。彼らの人生の悲劇、そしてイアン・カーティスの人生の悲劇が比類なきものであることは議論の余地がない、とりわけドレイクについては。彼は生前メジャーでの成功を得ることはなかったが、ドレイクの声、基本的にLo-Fi(引用者注:「ウィキペディア」によると、「Lo-Fi(Low-Fidelity)とは、音楽のレコーディングの際の録音状態、録音技巧の一つで、極端に透過なものではない録音環境を志向する価値観。転じて、そういった要素を持った音楽自体を表す言葉。対義語はHi-Fi。」)でレコーディングされた、その忘れられない特性は、リスナーを魅了し続ける、この繊細でミステリアスなアーティストは、彼が生きていた時よりも、21世紀になって、よりいっそう、広くその真価が認めらたのだ。」
 録音の技術についてはよく分かりませんが、リスナーの一人として、「リスナーに対してボーカルが一人で歌っているような印象」というのは何となく分かる気がします。「Transmission」は、多くの聞き手に対して呼びかけるような印象がありますが、「Insight」は独白を聞いているような感じがします。それは音響の効果も手伝っているのだと思いますが、詩の内容からもそういう印象を受けます。自分の内面を見つめ、「僕はもう何も恐くない」という繰り返しは、自分に言い聞かせているようにも思えます。