愛語

閑を見つけて調べたことについて、気付いたことや考えたことの覚え書きです。

『An Ideal For Living』とドイツ第三帝国――(4)

2010-06-02 20:51:51 | 日記
・「No Love Lost」
「No Love Lost」は直訳すると「失われた愛もない」という意味で、「嫌悪・憎しみ」を意味するイディオムです。この歌は、ジョイ・ディヴィジョンというバンド名と密接な関わりを持っています。
「No life at all in the house of dolls (人形の家には生命は無い)、No love lost 、No love Lost」という一節に出てくる、「the house of dolls (人形の家)」とは、「アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所に2年間収容されたポーランド出身の作家イェヒエル・デ・ヌールの著作『ダニエラの日記』(英訳題『The House of Dolls』)を指しています。デ・ヌールは強制収容所での体験をいくつか発表していますが、そのうち最も有名なのが『ダニエラの日記』で、強制収容所内でユダヤ人女性を性奴隷にする制度を描いています。作品のモデルは、ホロコーストで亡くなったデ・ヌールの妹だとされています。「Joy division」とは、この本に出てくるナチの性的慰安所の名称です。

 イアンは私に「ジョイ・ディヴィジョンとは、ナチスが女囚たちをドイツ兵のための娼婦としての役割をさせたことを意味するんだ」と言った。それを聞いて、私は身がすくんだ。ぞっとするほど悪趣味で、私は大多数の人がその意味を知らないでほしいと願った。……注意をひくためだけにそんな名前を選んだにすぎないと自分に言い聞かせているうちに、私は徐々にその挑発的な名に慣れていき音楽に集中するようになった。
(デボラ・カーティス『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』)

『An Ideal For Living』を録音した1977年の12月の時点では、バンドは「ワルシャワ」と名乗っていました。しかし、1978年の初頭、バンド名を「ジョイ・ディヴィジョン」に変更します。「ワルシャワ・パクト」というバンドが他にあり、混乱を避けるためでした。ジョイ・ディヴィジョンという名を思い付いたのは、バーナード・サムナーです。

 職場の奴が本を何冊かくれた。1冊は『ダニエラの日記』ナチの収容所の本だ。読まずにページをめくると、兵士の慰安私説の名が出てきた。俺は思った。“ひどく悪趣味だけど……パンクだ”
(ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』)

 また、バーナードは、映画『コントロール』の公開に寄せて行われたインタビュー(『ロッキング・オン』2008年4月号)で、「ジョイ・ディヴィジョン」という名を思い付いたことや、ヒトラー青年隊(ユーゲント)を彷彿させるレコードジャケットをデザインしたことに対して、次のように語っています。

 あらためて念を押すけど、僕は何もネオナチだったわけじゃないんだよ。歌のなかには、イアンが圧迫について歌ったものがあって、そこから浮かんだだけなんだ。当時はまだ若くてナイーヴだったから、そういう危険なイメージと戯れたかったんだと思う。……そうだな――何かショッキングなことでみんなの気を惹きたいという思いはあったろうね。「何がもっともみんなを不快にさせるか」っていう。それはセックス・ピストルズの影響だね。でもちょっと後悔しているよ。僕はまだ20歳そこそこだったから、それがどんなにひどく人の気分を害することになるかなんて想像がつかなかったんだ。そういう人に対しては申し訳なかったと思う。

 イアン・カーティスがドイツの歴史に関心を持っていたことは、既に述べた「Warsaw」「Leaders Of Men」の歌詞から分かることですが、こうしたイアンのドイツへの関心については、デボラ・カーティスが次のように記しています。
「得意科目の歴史と神学では優等賞さえもらえた。皮肉なことに、華やかで力強いドイツのことをあれだけ誉め称えていたのに、ドイツ語はOレベル(普通級)に合格しなかった。」(『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』)
 また、伝記『Torn Apart The life of Ian Curtis』には、当時彼らの周辺にいた関係者の一人、マーク・リーダー(ヴァージン・レコードのマンチェスター第1号店に勤めていた)が、「ジョイ・ディヴィジョン」の名を思いついたのはイアン・カーティスだと思っていた、という記述があります。彼がそう思っていたのは、イアンが『ダニエラの日記』を読んでいるのを見たことと、イアンのドイツに対する興味を知っていたからでした。ドイツに旅行したことを話すと、イアンはドイツについて熱心に聞いてきた、そして、特にドイツ第三帝国に対して関心があるようだったとマークは語っています。そうしたイアンの様子を見てマークが感じたのは、イアンがファシストであるということではなく、学校では教えない歴史のタブー、虐げられた不幸な人々について、異常な関心を持っている、ということだったとあります。
 引用したバーナードのインタビューの中に、「歌のなかには、イアンが圧迫について歌ったものがあって、そこから浮かんだだけなんだ」という発言があります。この、「圧迫について歌った歌」とは、「No love lost」のことではないかと思います。「No love lost」はまさしく、4曲のうち最も「圧迫」をテーマにしていると思うからです。