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愛語

閑を見つけて調べたことについて、気付いたことや考えたことの覚え書きです。

誤りの訂正と『スティル』の1989年盤

2011-07-31 17:51:47 | 日記
 前回の記事で、

A 詩集(映画『コントロール』)
B 歌詞カード――B1『サブスタンス』(『ハート・アンド・ソウル』2004年)
           B2『ザ・ベスト・オブ・ジョイ・ディビジョン』(『スティル』1981年『コントロール』サウンドトラック2008年)

と書いてしまいましたが、この『スティル』は、2008年に日本で発売された「コレクターズエディション盤」です。前記事の方は訂正しました。
 『スティル』が、本国イングランドでファクトリーからレコードとして出たのは1981年ですが、日本では1984年にリリースされたようです。これがCDとして発売されたのが1989年(UK盤は1988年)で、そこに付された歌詞カードを確認したところ、2008年のコレクターズエディション盤の歌詞カードとは異なるものでした。
 1989年『スティル』の歌詞カードは、日本語訳もついていなくて、英文の方もあちこち「......」となっていて、これだけだと恐らく内容はほとんどつかめないと言っていいと思います。
 「Transmission」の出だしを見ると、

Radio, life transmission (repeat)
Listen to the silence, let it ring on
............... run
We could have a fine time
Living in the ........
Let the planned destruction
Waiting fo our sign, sign

というように、はなはだ不完全で、聞き間違い(太字部分)も多いです。そんなわけで、他のものとの異同を逐一示すのは省略します。問題の第5連に該当する部分はどうなっているかというと、

I would go on as though nothing was wrong
But as for these days, we remained all along
Stayed in the same place .....
Doing its time
Dance, dance .....

となっています。系統としてはB2に入ると思います。2008年に発売された「コレクターズエディション盤」は、新たに1980年2月20日にハイ・ワイコム・タウン・ホールで行われたライヴ音源を付し、歌詞カードも作り直され、日本語訳を付けたようです。

「Transmission」のテキストについて――(1)

2011-07-27 21:06:52 | 日記
Radio, live transmission.                 ラジオ 生放送
Radio, live transmission.                 ラジオ 生放送

Listen to the silence, let it ring on.          沈黙に耳をすまし 響かせよう
Eyes, dark grey lenses frightened of the sun.     眼が、暗い灰色の瞳が太陽を恐れている
We would have a fine time living in the night,     僕たちは夜に楽しい時を生きた
Left to blind destruction,                  盲目的破滅に身を任せ
Waiting for our sight.                    見えるようになるのを待っている

And we would go on as though nothing was wrong.   僕たちは何も間違ってなかったかのように振る舞った
And hide from these days we remained all alone.    孤独だった日々を隠し
Staying in the same place, just staying out the time.  同じ場所にいる、まさに時を超えて
Touching from a distance,                  遠くから触れ合う
Further all the time.                     より深く いつでも

Dance, dance, dance, dance, dance, to the radio.   踊れ、踊れ、ラジオに合わせて
Dance, dance, dance, dance, dance, to the radio.   踊れ、踊れ、ラジオに合わせて
Dance, dance, dance, dance, dance, to the radio.   踊れ、踊れ、ラジオに合わせて
Dance, dance, dance, dance, dance, to the radio.   踊れ、踊れ、ラジオに合わせて

Well I could call out when the going gets tough.    つらくなったら叫べばいい
The things that we've learnt are no longer enough.  学んできたことは役に立たない
No language, just sound, that's all we need know, to synchronise love to the beat of the show.
                                  言葉はいらない、サウンドだけ、ショーのビートに愛をシンクロさせよう
And we could dance.                     そしてダンスを

Dance, dance, dance, dance, dance, to the radio.   踊れ、踊れ、ラジオに合わせて
Dance, dance, dance, dance, dance, to the radio.   踊れ、踊れ、ラジオに合わせて
Dance, dance, dance, dance, dance, to the radio.   踊れ、踊れ、ラジオに合わせて
Dance, dance, dance, dance, dance, to the radio.   踊れ、踊れ、ラジオに合わせて


 以上は、デボラ・カーティス『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』所収の詩集をテキストとし、拙訳を付けたものです。これまでもテキストとしては全て詩集を採用してきました。『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』には、詩集のテキストについて、何をもとにしているか明示されてはいませんが、冒頭に「Love Will Tear Us Apart」のオリジナル自筆原稿の写真が載せられていたり、未発表の習作らしき詩も収録されているところから、オリジナルの自筆原稿が採用されているのではないかと考えます。これまで流布して来たのはCDの歌詞カードですが、以前の記事でも触れましたが、外人アルバイトが曲を聴いて書きとりをしながら作成されているので、そもそもテキスト自体があやふやで間違いも多いのです。「Transmission」は、ジョイ・ディヴィジョンを代表するヒット曲で、1988年リリースのシングル集『サブスタンス』や、2008年リリースの『ザ・ベスト・オブ・ジョイ・ディビジョン』などに収録されています。いくつかのテキストを比較してみると、次のような系統に分かれます。

A 詩集(映画『コントロール』)
B 歌詞カード――B1『サブスタンス』(『ハート・アンド・ソウル』2004年)
           B2『ザ・ベスト・オブ・ジョイ・ディビジョン』(『スティル』コレクターズエディション盤2008年
                                           『コントロール』サウンドトラック2008年)
 『サブスタンス』は恐らく「Transmission」の歌詞カードとして最も長い期間にわたり、多く流通したものではないかと思います。『ザ・ベスト・オブ・ジョイ・ディビジョン』は映画『コントロール』公開直後にリリースされたもので、ベスト盤と銘打っているので、新規のファンの間で、多く流通しているといえるものではないでしょうか。
 『コントロール』の原作は『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』で、劇中登場人物たちがカバーしている歌詞も、テキストは『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』所収の詩集のようです。しかし、このベスト盤も、『コントロール』のサントラも(映画は詩集に拠っていますが)、詩集とは異なるテキストとなっています。そして、これらB2系統の特異なところは、第5連の部分が全く異なっているということです。この、全く異なっている第5連が何かについて、今回とくに取り上げてみようと思います。
 では、詩集と歌詞カードB1、B2の異同を比較してみます。略号として『サブスタンス』を『S』、『ザ・ベスト・オブ・ジョイ・ディヴィジョン』を『B』とします。◆に簡単なコメントを付しました。

 第2連
Listen to the silence, let it ring on.
Eyes, dark grey lenses frightened of the sun.
We would have a fine time living in the night,
Left to blind destruction,
Waiting for our sight.

 2行目S』Eyes dark, relentless, frightened of the sun
B』は「relentless」(形容詞)が「relentness」(名詞)になっています。
 ◆訳はともに「黒い瞳、無慈悲で 太陽を恐れている」ですが、「無慈悲」が浮いていて、意味が通じにくいです。

 4行目SBe left a blind destruction,
B』Left a blind destruction,
 ◆訳はともに「盲目的破滅を残して」となっていますが、文章として意味がよくわかりません。

 第3連
And we would go on as though nothing was wrong.
And hide from these days we remained all alone.
Staying in the same place, just staying out the time.
Touching from a distance,
Further all the time.

 1行目S』『B』「And」無し
 2行目S』Hide from these days the remain all alone
B』Hide from these days we remain all alone
 ◆訳はともに「今という時代から隠れて孤立したまま」で、ここは詩集と大きく意味は変わらないと思います。
 3行目S』Staying in the same place, just staring at the tide
B』Staying in the same place to stand out the tide
 ◆訳はともに「同じ場所にとどまり 潮流に逆らい」で、詩集とは意味が変わりますが、意味が通じなくはないです。

そして、問題の第5連です。
Well I could call out when the going gets tough.
The things that we've learnt are no longer enough.
No language, just sound, that's all we need know, to synchronise
love to the beat of the show.

 2行目S』The things we've learned are no longer enough
 ◆詩集と意味は変わりません。
 そして、問題の『B』の第5連は、こうなっています。
I would go on as though nothing was wrong (ぼくは何も間違っていないという顔をして進んだ)
And hide from these days when the music goes on (今という時代から隠れて 音楽が流れているときに)
Staying in the same place, we're sparing no time (同じ場所にとどまる ぼくらには時間がない
Gift who could value no-one inside (贈り物 誰にも価値がわからない 中には誰もいない)
And we could dance, dance, dance (そしてぼくらは踊れる 踊る 踊れ)
Dance to the radio (ラジオにあわせて踊れ)

「Shadowplay」の「you」――(3)

2011-04-27 21:33:58 | 日記
 「Shadowplay」は、ジョイ・ディヴィジョンの初のTV出演の際(1978年9月20日)に演奏された曲です。その際、4人が演奏する映像に、グラナダ・テレビの報道番組で、凶悪事件や汚職事件などをリポートする「ワールド・イン・アクション」からの、モノクロの都市の映像がかぶせられました。
 歌い出しの「To the centre of the city where all roads meet, waiting for you,」からは、都市の風景が視覚的に印象付けられます。それは、ドキュメンタリー映画『ジョイ・ディヴィジョン』で描かれていた、かつての繁栄の残像のような、コンクリートの塊だらけの、無機質なマンチェスターだったり、あるいはどこか他の、似たような都市の風景かもしれません。とにかく、具体的で、視覚的なイメージを与えていると思います。
 次の2行目「To the depths of the ocean where all hopes sank, searching for you, 」から、その印象は一転します。「全ての望みが沈む海の底」「動きの無い沈黙」など、都市が抱える闇と、その中にいる「僕」の絶望が描かれます。表面的な都市の風景の背後に、深い闇の世界が広がっていきます。TV出演の際に使われたモノクロの都市の映像は、そんなイメージを触発するものとして効果的だったのではないでしょうか。マーティン・ハネットの施した、サイケデリックで独特な浮遊感を持つ音も、表層と深層、現実と非現実、そういったものが交錯する微妙な感覚を引き立てていると思います。
 そんな中で、この詩において重要な意味を持つと考えられる「僕」と「君」の関係が描かれていきます。前述したように、その関係はとても親密です。その「君」がいる場所ですが、それは現実の世界なのでしょうか。それとも、「僕」の心の中なのでしょうか。これは、どちらにもとれるように思います。いずれにせよ、二人の関係を象徴していると思われるのが、第2連1行目の、「In the shadowplay, acting out your own death, knowing no more, 」です。
 影絵芝居で「僕」によって演じられる「君」は、「僕」の影のような存在で、都市の闇や「僕」の心の闇の象徴のようにみえます。「death」をはじめとして、詩の中には「君」の死を暗示する言葉がちりばめられています。「君」と「僕」は、「生か死か」という極限において強く結びついています。二人の存在は、別個のものではなく、支え合い、響き合っている、そんな風に思えます。そうしたところから、法月綸太郎の小説のように、ドッペルゲンガーを連想することもできそうです。
 「僕」が「君」を待っている場所、探している場所は、「全ての道が交差する街の中心」、「全ての望みが沈む海の底」、「動きの無い沈黙」ですが、これらは、通常は気付かない「影」のような存在に出会う場所なのではないでしょうか。ふだんの生活では意識から切り離されているけれども、実は、「僕」の存在に密接に関わっているもの、そうしたものとの関係を見据える、それが、「In a room with a window in the corner I found truth.」という、「僕」が見つけた真実ではないかと思います。
 光には必ず影ができるけれども、ふだんは、明るく照らされている方ばかりを見がちです。例えば死は、常に生の影にあるものですが、ふだん意識することはあまりなく、忘れがちです。極限状態に陥ってはじめて意識される死は、実は「Atmosphere」でイアンが歌っているように「See the danger,(危険に目を向けろ)/Always danger,(常に危険は存在する)」というものではないでしょうか。
 また、繁栄には必ず影が存在します。詩の中に出てくる暗殺者は、権力とか、体制とか、「力」の象徴として捉えられるように思うのですが、その影には、その力に虐げられている人達がいます。「僕」は「力」に迎合してはいないようですが、「君」を犠牲にしてしまったようです。同じように、人がたまたま生きているということには、誰かの犠牲が、影がつきまとっている――例えばイアンは、成功のためにデボラを犠牲にした、とも考えられますし、ロックスターとしての自分のために、平凡な自分を犠牲にした、とも考えられます。これは、自分と家族とか、自分と友人とか、あるいは自分の中の正義感といったように、いろいろなものに置き換えて考えさせられます。
 イアンはナチスのホロコーストをはじめとして、人類の受難ということについて非常に関心があり、そういったことについてばかり、読んだり考えたりしていました。これは、『An Ideal For Living』とドイツ第三帝国――⑦の記事でも紹介しまたが、『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』の第8章のデボラの記述から窺えます。ペーパーバックだとp.90に載っていますが、邦訳本では脱落してしまっている部分なので、拙訳で引用します。

 彼はナチスドイツについて書かれた一組の本を買って帰ってきたが、主に読んでいたのはドストエフスキー、ニーチェ、ジャン・ポール・サルトル、ヘルマン・ヘッセ、J・G・バラード、J・ハートフィールドによる反ナチスの合成写真本“Photomontages of the Nazi period”、この本はヒトラーの理想の蔓延を生々しく証明したものだ。J・G・バラードの“Crash”は、交通事故の犠牲者の苦しみと性衝動を結びつけたものだ。イアンは空いた時間の全てを人間の苦難について読んだり考えたりすることに費やしているように感じられた。歌詞を書くためのインスピレーションを求めていたことは分かっていたが、それらは皆、精神的肉体的苦痛を伴う不健康な妄想の極みだった。私は話をしようと試みたが、記者たちと同じように扱われた――無表情で、沈黙するだけ。イアンが唯一それについて話した人物は、バーナードだった。

 第8章は、『Unknown Pleasures』が発表された頃のことが主に書かれていますが、デビュー作『An Ideal For Living』に顕著なドイツ第三帝国への関心からみても、こうしたイアンの傾向は、それ以前からあったと思われます。
 人間の苦難――そうした過去の犠牲の上に、現在の人類の存在はあり、そして今後も繰り返されないとは限らない、とも考えられます(例えばイングランドは、かつて犠牲にした植民地の人々の犠牲の延長上に存在している、そんなふうに考えることができるでしょう)。
 一人の人間が生きているということに必ず寄り添っている影――その影との関係を描いたのが「Shadowplay」ではないかと思います。自分の存在に関わる、そんな縁を凝視することで自覚される「truth」は、個の意識だけを増長させ、自分と他の関係に無頓着だと、気付き得ないと考えさせられます。

「Shadowplay」の「you」――(2)

2011-04-13 21:37:17 | 日記
 第2連1行目「In the shadowplay, acting out your own death, knowing no more,」の、「knowing no more,」は、「これ以上分からない」という意で、「君」の消息が全く分からない、知るすべもないということです。そんな中、影絵芝居で「僕」が演じる「君の死」により、「君」の「死」が暗示されます。続く2行目には「暗殺者」が登場します。「君」は、もしかしたら暗殺者によって殺されたのではないかという連想が生じてきます。
 2~3行目の「As the assassins all grouped in four lines, dancing on the floor, /And with cold steel, odour on their bodies made a move to connect,」という情景からは、『An Ideal For Living』にも描かれ、イアンがかなり影響を受けていた、ドイツ第三帝国が思い出されます。暗殺者の背後にいて、命令を下す独裁者、圧政者とか、そんな存在を彷彿とさせます。
 4行目「And with cold steel, odour on their bodies made a move to connect,」は、『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』邦訳本では「そして刃物とともに、彼らの身体のにおいが動いて結びついた」と訳されているのですが、これだとちょっと意味が分かりにくいように思います。「made a move」は「行動した」、「connect」は「つなぐ、関係する、協力する」で、「協力するよう迫ってきた」ということではないでしょうか。5行目「But I could only stare in disbelief as the crowds all left.」は、「僕」が彼らと手を組むこと、または服従することを拒否したので去っていった、と解します。
 そして、ここで、暗殺者たちと「僕」の関係はどういうものなのかという新たな疑問が生じます。暗殺者たちの目的は何なのでしょうか、彼らも「君」を探しているのでしょうか。そして第3連に続きます。
 第3連の1行目に「I did everything, everything I wanted to,」とあります。「僕がやりかかったこと」とは何なのか。その一端が2行目の「I let them use you for their own ends, 」に表されているのではないかと思います。ここには、「彼ら」と「君」と「僕」の関係が仄めかされています。「彼ら」を滅ぼすために、彼らに「君」を利用させた――「君」の存在は「彼ら」を破滅へ導くことへ関わっているようです。「彼ら」とは暗殺者たちで、あるいはその背後にいる存在も含まれているかもしれません。「僕」や、多くの人々を圧迫する恐るべき者たちで、それを滅亡させるために利用されたのが「君」ではないでしょうか。こうして、「君」への関心が高まってきます。
 どうやら、「君」は「僕」の犠牲になったようです。そして「僕」は半ば絶望し半ば希望を抱きながら「君」ともう一度出会えるのを必死で待っているのです。「君」は「僕」の生命に関わる重要な存在です。「君」の不在は「僕」の危機、そして絶望に深く関わっています。「僕」は、「君」を利用し、犠牲にした後でそのことに気付いた――もしくは、分かっていたにも関わらずそうさせてしまった――いずれにしても「僕」は暗殺者たちの直接の被害者ではなく、共犯とは言えないまでも何らかの責任を負っているらしいことが、第3連まで読むと分かってきます。こうした、自責の念と自らの破滅の予感は、イアンの、とくに晩年の詩における特徴的な要素であると思われます。
 第3連まで読むと、「君」と「僕」は運命を共有しているような、一心同体のような密接な関係を持つものとして印象付けられてきます。「Atmosphere」についての記事で、
“「Dead Souls」に、「A duel of personalities」とあるような、「内なる人格同士の闘い」が「Atmosphere」のテーマではないか”
と書きましたが、もしかしたら「Shadowplay」の「君」と「僕」も、内なる人格同士という関係ではないかという想像が生じてきます。興味深いのは、ドッペルゲンガーを扱った、法月綸太郎の「シャドウプレイ」というミステリー(短編集『パズル崩壊』所収、1999年・集英社)です。この短編集には、「トランスミッション」というタイトルの小説もあり、こちらには「イアン・カーティス」の名前も出てきます。また、本の扉のところに「Twenty Four Hours」の歌詞の一節が引かれています。以下、ネタバレになりますので読む予定の方は飛ばして下さい。
 ミステリー作家が、ある日高校の日本史の教師である友人の「僕」に、電話でドッペルゲンガーについて尋ねてくる、というのが発端です。二人は、芥川龍之介が見たドッペルゲンガーをはじめ、日本やヨーロッパの文学・伝承などに表れた“分身”について語り合います。作家は、ドッペルゲンガーを使ったミステリーの構想を話します。登場人物は、作家が主人公で、その友人として「僕」も登場してきます。
――ある日、作家にそっくりな人物が現れます。自分が全く行った覚えの無い場所での目撃情報を聞き、初めはドッペルゲンガーが現れたのかと、作家は考え、友人の「僕」も同意します。そんな時、作家が殺したいほど憎んでいる人物が殺される事件が起こります。そして、そのちょうど同じ時刻に、遠く離れた場所で、生きていれば重要な容疑者となるはずの作家が事故で死に、殺人事件は迷宮入りになります。
 事件・事故から半年ほどたって、一人の男が「僕」を訪ねてきます。死んだ作家にそっくりなその男は、作家の遠縁にあたる者で、事件の起こる少し前に作家の周りに出没するようになり、ドッペルゲンガーかと思われていたのは、実はその男だったことが分かります。しかも、「僕」は男と話しているうちに、ふと、目の前にいるのは、死んだはずの友人の作家なのではないかと感じます。本当は死んだのは“分身”の方だったのではないか、“分身”を使った完全犯罪だったのではないか、と。

 そんな可能性が仄めかされ、主人公と“分身”の存在が混乱する感じで話は終わっています。それどころか、現実とミステリーの境界までもが、登場人物が重なっているために曖昧になっています。
 この小説は、単にジョイ・ディヴィジョンの歌と同じタイトルをつけたというだけではなく、かなり詩の内容に精通して書かれている印象を受けます。「I let them use you for their own ends,(僕は君を利用させたんだ、彼らの破滅のために、)」というように、“分身”を利用した殺人、そして、「僕」と「君」は「生」か「死」かという窮極の関係で結びついています。確かに、この詩も含め、いくつかのイアンの詩を読んでいると、「内なる人格同士」の対立はかなり深刻なものだったのではないか、と思わされます。ふと、もしかしたらイアンはドッペルゲンガーを見たのではないだろうか、などと思ったりもします。が、「君」が「僕」自身かどうかはともかく、この詩が描いている「僕」と「君」との関係は、複雑です。想像力が掻き立てられるまま、もう少し考察してみたいと思います。

「Shadowplay」の「you」――(1)

2011-04-06 20:03:07 | 日記

To the centre of the city where all roads meet, waiting for you,    全ての道が交差する街の中心で、君を待っていた、
To the depths of the ocean where all hopes sank, searching for you,  全ての望みが沈む海の底で、君を探していた、
I was moving through the silence without motion, waiting for you,
動きの無い沈黙の中を僕は移動していた、君を待ちながら、
In a room with a window in the corner I found truth.            隅に窓が一つある部屋で、僕は真実を見つけた。


In the shadowplay, acting out your own death, knowing no more, 影絵芝居で君自身の死を演じた、何も分からないまま、
As the assassins all grouped in four lines, dancing on the floor,    暗殺者たちが4列に分けられ、フロアで踊っていた、
And with cold steel, odour on their bodies made a move to connect,
そして刃物と彼らの身体の臭気が協力するよう迫ってきた、
But I could only stare in disbelief as the crowds all left.     でも僕は不信の目を向けるだけで、群集は去っていった。


I did everything, everything I wanted to,                 僕は全てをやった、やりたかったことの全てを、
I let them use you for their own ends,                  僕は君を利用させたんだ、彼らの破滅のために、
To the centre of the city in the night, waiting for you,        その夜、街の中心で、君を待っていた、
To the centre of the city in the night, waiting for you.        その夜、街の中心で、君を待っていた。

 
 1連が4行、3連で合計12行の構成になっています。まず、第1連について。1行目の「To the centre of the city where all roads meet, waiting for you,」から、街の風景がぱっと目に浮かびます。長いイントロの後にこのフレーズが歌われるのですが、音楽から受けている感覚の中に、言葉から受ける視覚的な感覚が入ってきて、一気に歌の世界に入り込むことができます。この部分は、1978年4月にRCAレコードで録音されたバージョン(海賊版と、4枚組のボックス・セット『Heart And Soul』のdisc3に収録されています)では、「To the centre of the city where all roads meet looking for you,」となっています。「waiting for you,」が「looking for you,」となっているのはこの箇所のみで、1連3行目、3連3、4行目はRCAバージョンでも「waiting for you,」となっています。 「looking for you,」、そして1連目2行目にある「searching for you,」に比べて、「waiting」には、そこにたたずんでいる、という印象を受けます。1行目は、動的な印象を与える「looking for you,」よりも、静止画として入ってくる「waiting for you,」の方が、イメージしやすいように思います。また、1行目の「waiting」から2行目の「searching」と、静から動へ移行する方が、メリハリがあるようにも思います。
 RCAバージョンと『Unknown Pleasures』を比べると、ボーカルがかなり変わったことが分かります。前者の声のトーンは高く、軽く、投げやりな感じで、いかにもパンクバンドのボーカルです。対して、後者は低く響く声で、暗くて重い印象です。“イアン・カーティスの声”として一般にファンがイメージする声になっています。曲に漂う緊張感が全く異なっていて、聞き比べることで、ハネットとの出会いによって変わった「声」を実感できます。「Shadowplay」の歌詞の世界が、より深まって伝わってくるように感じられるのです。
 2行目には、「To the depths of the ocean where all hopes sank, searching for you,」という、絶望的な状況が描かれています。そして、3行目「I was moving through the silence without motion, waiting for you, 」と続くのですが、この「silence without motion(動きの無い沈黙)」とは、どういう状況なのでしょうか。これは、“あらゆる動きが静止している沈黙”、“全てが静止している沈黙”ということだと思います。「silence without motion」とは、2行目で示された絶望の象徴のような風景で、周囲に生命感の無い、無機的な世界を表しているのではないでしょうか。虚無の中を漂っているような、「僕」の不安定な心情や焦燥感を感じます。

 第1連を読んで、まず思うのは、「待っている」「探している」“君”とは誰なのか、ということです。この「君」と「僕」との関係がこの詩のテーマになると思います。そして、4行目の「In a room with a window in the corner I found truth.」という、絶望の中で見つけた「真実」とは何なのでしょうか。絶望の中での一筋の希望なのか、それとも絶望が真実であるということでしょうか。ただ、「君」をひたすら待ち続けている、探し続けているという「僕」の行動の切実さは伝わってきます。そこには、虚無感が漂う中で必死に時間を前に進めようとしている「僕」の意志が感じられるのです。