結論 聖体について 2019-03-15 23:45:26 | ミサ日記 ようは聖変化の時にひざまづく努力をすること、 拝領の時にひざまずく、口で受ける努力をすること、だよな。 神様は見ている。 だから、出来なかったからと言って責めたりはしないはず。 また、今度頑張ればいい。 ただそれだけのことかな。
教会のミサ日記 その2 灰の水曜日、洗礼志願式 2019-03-10 19:41:30 | ミサ日記 今日は、灰を水曜日に受けられなかった信者が灰を受けました。 本来は水曜日に受けるものと神父様は強調しておりました。 働いている人は、ほぼ受けられませんね。 今日は、洗礼志願者の入信式でした。 今だからこそ、代父、代母の役割は重要です。 代父、代母の役割は形骸化してしまいました。 代父、代母は洗礼までの代父、代母ではなく一生涯その人が天に召されるまで代父、代母であるべきです。 それは、神から与えられた役割だと思っていいと思います。 その責任は大変重要だと思っております。 私は、今日、洗礼志願者となった人達が無事に洗礼式を済ませ、神の子供としての一歩を踏み出せるように祈っております。 また、成人洗礼の方は堅信も受けますから一気にカトリック信者としてのハードルは上がります。 洗礼も堅信も神様へ向かう通過点に過ぎませんから、これからですね。 自分の十字架をしっかり担って主に従っていってください。
教会のミサ日記 2019-03-03 20:37:21 | ミサ日記 今日、ミサの終わりに神父様がこう言った。 「家庭で祈る祈りの小冊子を作ったから持っていって祈ってください。」 実際はもっと説明があったのではありますが、割愛させていただきます。 過去、私が教会に通っている間、「祈ってください。」と神父様が私達に呼びかけたことはなかった。 上からの通達なので仕方なく言っているのだろうか? 教会の危機を自らが感じて言っているのだろうか? 祈らないカトリック信者などありえるのだろうか? 私達には祈らなければならない多くの理由があります。 そして、祈りとはこの世でできる最も美しい行為だと思います。