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John note~ヨハネのひとりごと

のんびりと気楽に書いてます。訪問し頂いた方に感謝。不定期。
書きたい時がきたら集中的に書くかもしれません。

ヨハネの雑記~そうなのかなぁ

2020-01-11 00:57:49 | カトリックのひとりごと その2

今のカトリック教会の信者の意識として、女性はヴェールをかぶらなくていい、ヴェールをかぶるのは洗礼をうけてまもない人がそうするものだと。

ひざまずく、ひざまずかないはそれぞれの姿勢もあるし、神父様が何も言わないから、強制されるものではないと。

まあ、いろいろあるけど、一言言いたい。

あなたに神様への信仰はあるのか?と。

もし、あなたの前にイエズス様が現れたとしたら、どういう態度になるのか想像してほしい。

想像した所で、聖体ってなんだっけ。

神様ですよね。

あの丸い外観のもとに隠れていらっしゃるイエズス様ですよ

ね。

私達のためにあのむごい受難を体験されたイエズス様がそこにはいます。


緑のスカプラリオの使徒 レオ・スタインバック神父

2020-01-02 22:18:40 | カトリックのひとりごと その2

あったことのない恩師レオ神父です。

対人恐怖症で苦しんでいた時、レオスタインバック神父に手紙を書きました。

緑のスカプラリオを送って頂きました。

そのなかに、「uも(たぶんyouと書きたかったのだと思う)これを身につけて祈ってください。」と、直筆で書いてくれました。

私は、これをずっと祈っていました。

これがなかったら、私の人生は変わっていたのかもしれません。

あの日以来、私は緑のスカプラリオを手放したことはありません。

そして、緑のスカプラリオは多くの人に渡っていきました。 

恩師の最後の生涯は波瀾に満ちていましたが、今は幸福な時を神様と共に生きていることでしょう。 

私は、現在は緑のスカプラリオを事情により無料配布していませんがチャロクロさんという方がやってくださっております。

取りつぎもいたしますので興味のある方はコメントをお願いします。

緑のスカプラリオは誰でも持てます。

緑のスカプラリオの恵みは持っている人の信頼度によってかわります。

もらった人が祈らないなら、あげた人がその人の分を祈ることが出来ます。

祈り方は

聖マリアの汚れなき御心よ、今も臨終の時も我らのために祈りたまえ。アーメン。


全能神教会って何?

2020-01-02 00:09:39 | カトリックのひとりごと その2

なんだろう?

Twitterにてフォローしてくれるのだか?

いまいちよくわからなくて、詳しく調べる気にもならない。

しかしながらなぜ、キリスト教を分けたがるのだろうか?

もともとキリスト教は一つしかなくて、イエズス様は、ぺトロの上に教会を立てるといい、ぺトロに教会の鍵を渡し、教皇とした。

ぺトロの後継者がいるのは、カトリック教会であるからキリスト教といえばカトリックが正当教会なのだと思う。

私は、カトリックしか知らないから何とも言えないが、しかし、カトリック以外にはいく気にならないのだ?

 


告解をいつするか!?

2019-12-30 17:32:57 | カトリックのひとりごと その2

カトリック信者なら告解を一年に一回はやらなきゃならないという決まりがあったと思う。

で、告解について考えてみた。

クリスマス前後に罪のゆるしの秘跡への招きがなされる。

自分もしようと準備をしようと思ったが仕事が忙しく、また、めまいが治らなく、それどころではなかった。

今もめまいは続いている。

以前は、準備して教会にいったものの、神父様は現れなかった。

告解には、タイミングがあると改めて思った。

確かにクリスマスイブ前や、四旬節には必要かと思う。

でも、聖体拝領したいがための回心の決意のない告解や、そういう時期だから的な告解ならしないほうがよいと思う。

回心してまた再度頑張りますと心に決めた時が告解の時だと思う。

だから私は告解していなくても聖体拝領する。

自分の罪を認識しながらも、神様の憐れみを信じ、自分の罪よりも神様の憐れみが大きいことを認め、聖体をいただかなければ明日からの元気がでないと神様に嘆願する。

告白の保留だ。

決して正当化されないことだが、神様はわかってくれていると思う。

中途半端な告白より神様は喜んでくださると思う。

なので、日々自分の時を狙っている。

 


十字架の聖パウロ

2019-12-28 23:28:20 | カトリックのひとりごと その2

最近、十字架の聖パウロに目がとまる。

十字架の聖パウロは御受難会の創立者だ。

聖ジェンマや悲しみの聖母の聖ガブリエルは有名だ。

十字架の聖パウロは本を書いていない。

この中の言葉は、日頃の言葉をまとめたものらしい。

 

「試練を直視してはなりません。それが家庭の雑用からくるものであろうと、はたまた他の苦痛であろうとも。そうです、むしろ十字架につけられた愛、至愛なるイエズスのみ顔を眺めなさい。イエズスは悲しみと苦しみの王なのです。

このように行うと、すべてが甘美に思われます。心を高く神に上げなさい。」