Invitation to W★ING

<東日本大震災>で被災された皆さまに心からお見舞い申し上げるとともに一日も早い復興をお祈り申し上げます。

66年目の春

2011-03-10 16:00:24 | 日記
◆何の気無しに昨年の今頃のブログを見返してみた。というのも昨日はテレビで盛んに<東京大空襲>の事をやっていたからです。1945(昭和20)年3月10日……”終戦”の5ヶ月前の出来事である。
昨年の3月11日のブログに,私の母親が語った”体験談”を書いたけど……その当時の戦争”体験者”はかなり少なくなっているのだろうし,後20年もすれば完全に居なくなってしまうであろう,と思う。
そういう意味では貴重な”体験者”だと思うが,そんなに生易しいものではなかったみたいだ。昨日,テレビで<東京大空襲>の古い映像が映し出されると,母親はふと当時を思い起こす様に喋りだした。
母親は当時まだ20歳……今もある日比谷公会堂の中に勤めていた《同盟通信社》があった訳だが,ちょうど3月10日は”夜勤”だったそうだ。電話交換台でオペレーターをやっていたのは,母親と石井さんという女性の二人だったそうだ。
石井さんとは今も親交があって……60年以上の付き合いになる。その石井さんと勤務をしていると”空襲警報”のアナウンスがあったそうだが,それから暫くしたら「ゴー,ゴー」という連隊をなすアメリカの戦闘機の騒音が聞こえたという。
音が遠ざかった後に屋上に上がって周りを見渡すと,下町の方は真っ赤に染まっていたという。下町は焼け野原になったそうだが,亀戸に住んでいた親戚がこれ(空襲)を受けてしまって,家は全焼……一面が火の海に化してしまった,と聞く。
そして,その余りの熱さに耐え兼ねた親戚の人達は”隅田川”に飛び込んだそうだが……川の中には無数の死体が浮いていたと,祖母や母親に語ったそうだ。その親戚は一晩中かかって,当時祖母と母親が住んでいた大崎まで歩いて来たという。これにはさすがに祖母も驚いてしまった様だ。
先日のブログに記した大剛さんの手紙にも有った様に,今の日本は”平和ボケ”と”金の亡者”が蔓延(はびこ)ってしまってるが……リビアを始め”戦争”の状況にある国々もある。二度と戦争はあってはいけないのだが,先人が”戦争”を乗り越えて築いてきた”この国”を今一度見つめ直す時かもしれない……。<茨城>

※写真は隅田川(浅草側)から東京スカイ・ツリーを望む