楠クリーン村のブログ

山口県宇部市・楠クリーン村のブログです。

子どもたちが学んだ言葉にできない体験

2012年08月21日 | 若者の見る田舎の景色~インターン奮闘記~
27羽になった鶏

 楠クリーン村で飼っていた鶏が30羽から27羽になった。
 7月28日、29日で開催した「食の自給キャンプ」の講習会イベント(とその予行演習)で3羽の鶏を絞めたからだ。
 鶏を絞める瞬間は、それまでワイワイしていた大人たちの雰囲気も、賑やかだった子供たちも沈黙してしまった。
 それは生き物の命がなくなることは、特別なことだからだ。
 「自分の中にも、同じように宿っている命が失われる」それが、どういうことかわからない。
 わからないから、なんだか怖いし、悲しい。
 きっとみんなそんな気持ちだったのではないだろうか、と想像している。
 命をいただくと言う事はどういうことか。
 僕らが100喋っても伝えられないことを、鶏の命と引き換えに教えてもらった。
 この日、僕は約2年ぶりに肉食を解禁した。


飼うことは食べること

 実は僕自身も鶏をさばくのは、初めての体験だ。
 捌く鶏を選ぶ時に、「僕が捕まえた鶏が、確実にもうすぐ死ぬんだなぁ」と考えると、鶏を追うのを少し躊躇ってしまった。
 でも、待てよ。
 生きている以上は鶏もいつかは死ぬ。
 大切なことは、どうやって殺すかと同じぐらいに、どうやって命をまっとうさせてあげるか。
 飼うことは食べることだ。
 この覚悟がないのなら、生き物を飼う資格はないと思った。
 スーパーに行けばパックに入って身動きもしない、すぐに調理できる鶏の肉が売っている。
 でも、僕たちはあの鶏冠が生えていて、鳴き叫ぶ鶏がそのお肉になっていることも、それに命があったこともわからないまま育っている。
 「最近の子は、何もできないし、物を粗末にする」と嘆く大人たちやおじいちゃん世代も、平気で食べ物を食べ残す。
 若い世代には体験の場がないし、大人の世代に魂がないのなら、子供たちに大切なことは教えられない。


この鶏をいただきます


真剣に鶏に向き合う少年


食べるために、羽をむしりとるところ


無駄なことではあるまい

 イベント二日目は、アメリカの先住民族が使っていたテントの「ティピー」風テント作りを行った。
 森で木と竹を伐採し、それを使って三角テントの骨組みを作り、布団用シーツを被せたら完成だ。
 身の回りの物で住居が作れれば、自信と安心が生まれる。
 予想通り、開始1時間以内で、子供たちは、テント作りから自分たちの遊びに興味が移り、弦でブランコを作る子、竹を切ってきて椅子を作る子、棒で地面をほじくり返す子、そこら辺で寝る子・・・と正に自由気まま。
 「子供たちは無駄なことをする」と考える大人は無粋で、「これは大事だよ」と学校で詰め込まれ、教えてもらったことは今、実生活でほとんど役に立っていないことをご存知だろうか。
 でも子供たちは気ままなことをしていても、ふざけているわけではない。
 鶏を解体するとき、それまで無口で自分からイベントに関わろうとしていなかった子が、自分から手をあげて、鶏の解体に参加した。
 彼のその目は真剣そのものだった。
 周りを取り巻く参加者の目も真剣だった。
 僕はその真剣さが嬉しかった。


木陰で涼しい、住処になりました

 今や時代の激動期。
 将来、日本や世界がどうなるかなんて過去の延長線上からは、想像することはできない。
 だからこそ、日本や地域を背負って立つ子供たちには、この先、日本や世界どんなことになっても自分たちの力で生き延びる力を身につけてほしいと願ってやまない。


弦で遊び始める子供たち。都会では絶対できない体験


自分たちで作った竹の食器で流しソーメンも楽しみました!


ソーラーパネルの前で記念撮影!

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