この懐かしき本たちよ!

まだ私の手元に残っている懐かしい本とそれにまつわるいろいろな思い出、その他、とりとめのない思いを書き綴りたい。

#318 中島貞夫著 河野真吾編「遊撃の美学 映画監督 中島貞夫」5

2006年08月05日 | 映画、ドラマ

この本「遊撃の美学」の第2章「東映京都製作所助監督」の最初のページには、中島監督と夫人と二人の写真が載っている。彼が結婚したばかりの時、彼の東映京都製作所助監督の2年目に撮った写真だろうと思われる。美しい夫人である。彼も若々しい。気力あふれた青年であることが写真からも感じられる。とてもよい写真だ。この写真は古いくぐり戸の前で撮られている。私はなぜかこのくぐり戸に記憶があるような気がするのである。私の記憶違いかもしれないが。

1960年に私が就職して最初の勤務地である京都に住むようになってからすぐ、私は中島夫妻の新宅を訪問しているのである。この本によれば、この年に中島夫妻は結婚したようである。

私は遠い私の記憶をたどっている。私は東映の京都撮影所に行っている。受付の人に言われて自分で行ったのか、それとも撮影所の誰かがそこに案内してくれたのかよく覚えていないが、私は「マキノ組」という表札のついた部屋で一人でいる。学校の小さな教室のようなところで、がらんとしている。人が出払ってしまっている。黒板には何かスケジュールが書いてある。撮影のスケジュールなのであろう。

やがて撮影所の誰かが来て、中島助監督の撮影スケジュールが長引いて戻ってこれないと言いに来た。大部屋の?女優さんたちが歩いているのをきょろきょろと見ながら撮影所の中を歩いて外に出てきた。私の記憶はここで途切れている。

次に私の記憶しているのは、国宝第1号で有名な弥勒菩薩のある太秦の広隆寺の前の古い家である。私の問いにその家の人が中島さんは新しい家に引っ越したと私に答えてくれている。その家にくぐり戸があってそのくぐり戸が私には中島夫妻の写真の背景のような気がするのである。

これが私が撮影所に行く前だったのか後だったのかも今はよく覚えていない。

次の場面は、私が夫妻の新居を訪ねている。新築のアパートである。私が中島夫人に会ったのはこれが最初である。私は彼と何を話したのかよく覚えていない。京都や奈良の仏像の話も彼が私にしてくれたような気がする。美空ひばりも出演する映画で役者が急に足りなくなったためか、彼が十手を持った取り方になっているロケ風景の写真を笑いながら見せてくれている。こんなことまでやらされるのだと話してくれたのであろう。私たちが話している途中に彼の煙草が切れたといって、夫人が歩いてしばらくかかる煙草屋に行って買ってきたのを思い出す。かいがいしく夫につくす妻というような感じであった。独身の私にはうらやましい光景であった。

中島夫妻は中学の同級生だったらしい。ご本人から聞いたことであろう。中島氏が大学の「ギリシャ悲劇研究会」で公演するようなときにも手伝いに来ていたらしい。まるで一心同体のような二人であったらしい。

次に私が思い出すのはこれから7~8年ほど後のことであろうか。私は正月休みに中島監督宅を訪れていた。私の妻と幼い息子も一緒であった。 (次回につづく) 
画像:「遊撃の美学 映画監督中島貞夫」ワイズ出版より 


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