この懐かしき本たちよ!

まだ私の手元に残っている懐かしい本とそれにまつわるいろいろな思い出、その他、とりとめのない思いを書き綴りたい。

#831「中島貞夫監督の人生の贈りもの」(5)

2014年06月12日 | 映画、ドラマ

学園祭でのページェント(屋外寸劇)が終わった直後にクラスのみんなと一緒に撮った懐かしい写真を掲載するつもりだった。しかし、この写真の掲載は当面取りやめることにした。

従って掲載していない写真について説明するというおかしなことになるが、これも一興かもしれない。人間の想像力は素晴らしい。

写真がおかしいというわけではない。みんな20歳代前半の生き生きとした魅力的な顔ばかりである。「これが俺の若かりし日の姿だ!」と自慢するタネに使えるかもしれない。しかしブログ持つ性格からこの際大事をとっておくことにした。前号の写真よりも顔が鮮明に写っていることもある。

写真がないとおかしいことになってしまうが、勝手ながら写真が掲載されているようなつもりで、解説を読んで頂くことにしよう。

この写真に写った30人ほどのクラスメートの諸兄姉、ページェントに出演した仮装のままの者もいるし、普通の服装のままの者もいる。

学生服姿がほとんどだが、これは仮装ではない。このころ、大学生もみな学生服を着て大学に通った。応援団というわけではない。

所謂角帽(上が四角の形の学生帽)をかぶっている者が多いが、これも仮装ではない。通学する時に冠っていたのである。少なくとも、入学した直後はほとんどみんな、角帽をかぶって通学した。

しかし、秋のこの学部のこの学園祭のころには、角帽をかぶって歩くのが何かきまりが悪く思え、角帽をかぶらない学生も少なくなかった。

帽子と言えば、前列2列目ぐらい(この写真は4列か5列に並んで写っている。)に角帽とは思えない(今でも駅でよく見る)丸い帽子をかぶったK君がいる。これはまさしく国鉄(今のJRのこと)の職員の帽子である。「♫汽笛一声新橋を・・・・・・」でも歌ったのであろう。

セーラー服の女性が写っている。Sさんだ。これは?勿論仮装である。出征軍人を日の丸の旗を振って見送る女学生の仮装である。「♫我が大君に召されたる、命栄えある朝ぼらけ・・・・・・」出征兵士を送る歌を歌ったのであろう。 同じ女子学生のYさんは普通の服装をしている。普通の服装ですむ役を引き受けたのであろう。

私たちのクラスには女子学生が3人いた。それぞれに優秀な方たちであった。私ははるか遠くから見上げていた。

そういえば、女子学生の3人のうちの1人のIさんがこの写真には写っていない。どういうわけなのだろうと考えた。彼女はいつもクラスの催しには他の2人と同じように積極的に参加していた。クラス雑誌の表紙は彼女が書いたものである。(参照*「クラス雑誌 Die Jugenden」←クリック)

Iさんは、この時の学園祭では、所属していたサークル、文研(文学研究会)の劇、「アンチゴーヌ」のスタッフで衣装を担当していた。その関係で忙しくて、このページェントには出てこれなかったのだろうか。(参照*「アンチゴーヌ」←クリック)

 肝心の中島貞夫監督はどういう姿で写っているだろう。

TVや本などで彼の顔を見知っている人はすぐ見つけられるであろう。

勿論、彼が学生服など着ているはずはない。

前列の向かって右から3人目、背広の上にコートを来た紳士が中島監督である。しかるべき所に、しかるべき姿で写っている。

多くの人が知っているこの人には肖像権の心配はいらないであろうが。

中島監督の向かって右隣にひょろりと写っているのが、不肖、私である。仮装かどうかと聞かれれば仮装である。弊衣破帽でマント姿。マントはもうこの頃の学生は着ていない。それに着ている学生服はちょっとお粗末である。断っておくがこれは仮装である。私は貧しいながら普通は私はこれよりもう少しましな学生服を着ていた。(笑)

ひょろりと高く見えるのは痩せていたのと、みんなとちがって私は仮装の下駄をはいていたからであろう。楽しそうな顔をしていない。これについてはまたこのブログに書く機会もあることであろう。

(本当に写真を掲載していないのが残念である。写真は現存しているので将来クラスの皆さんのおおかたの賛意を得て掲載できる日を待つことにしよう。・・・・・)                                      

                                             (つづく)

 

 

 


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