このブログ、「かくも長き不在」などと書いて、これからはせいぜい精勤に書いて行こうと思ったのだが、何と前回に書いたのが3月のはじめである。
私本人はいつも頭の中で始終書き続けているのでそんなに「不在」であった気がしないのである。自分ながら驚いている。
昨年の暮に私が放射線治療で病院に通っていたことを知っている友人の中には、その後私の経過が芳しくないのではないかと心配して下さる方もいる。これではいけない。どうせ駄文しか書けないのだから、書き続けて行こうと思っている。おかげ様で放射線治療の結果はすこぶる良好で、すっかり元気になっている。
先日、朝日新聞の夕刊の「人生の贈りもの」の欄に映画の中島貞夫監督へのインタービュー記事が7回に亘って掲載されていた。楽しく読んだ。中島貞夫監督については以前にも(もう8年も前になる)このブログで書かせて頂いたことがある。いつでも見事な生き様をしておられる。
第1回目の朝日新聞の記事の最後に、中島貞夫監督についてのごくごく簡単な紹介がある。折角だから引用させていただこう。
「なかじま・さだお 1934年生まれ。59年に東映に入社。映画61作品の監督をつとめた。各地の映画祭の審査委員や、今秋開催の京都国際映画祭の準備委員として活躍している。」(2014年4月28日付朝日新聞夕刊 「人生の贈りもの」より
7回のそれぞれには、次のような見出しがつけられている。
第1回 エロもヤクザも人間の本質描く
第2回 特攻隊を美化する構想に猛反発
第3回 ギリシャ悲劇研究から時代劇へ
第4回 「ヌードになって」汗だくで説明
第5回 テレビが描かないヤクザを「実録」
第7回「御大」千恵蔵 本物の役者だった
第8回 新作は時代劇 撮影所育ちの「逆襲」
そしてそれぞれについている写真はよく考えられたもので感心した。以下がそれである。
第1回 客員教授をしている立命館大学の学生たちに実技指導している同氏
第2回 幼い時の父親と一緒のお祭りのひとき
第3回 東映入社1ヶ月後に京都撮影所に赴任する同氏。(東京駅ホームで後に結婚する夫人や大学の仲間と一緒の写真)
第4回 同監督の監督としてのデビュー作「くの一忍法」の完成記念 スタッフ達と。
第5回 「日本暗殺秘録」を撮影風景。同監督、田宮二郎、千葉真一と。
第6回 菅原文太と話す同監督
(今気がついたのだが、この朝日新聞の記事は朝日新聞 DIGITAL(ネット)でそのまま読むことが出来るようである。上記の私の説明は不要だったということであるが、このままで書き進むこととしよう。)
画像:筆者撮影