雑談まみれ

2006-01-13 04:43:52 | Weblog
 「脂ハゲ・リンカーン」というダジャレが唐突に頭に
浮かび、「わ。これは我ながらうまくできてるなぁ。だ
がもうだれか先に思いついた人間がいるかもしれん」
とグーグル使ってサーチし、0件なことを確認してちょ
っと嬉しくなった午前4時半。そしてわたしは今年の
誕生日で43才。

 ふと、「俺の人生どうしようもないな」と思った瞬間
ではあった。平均的な43才というのは、子供の進学
問題でカミサンと夫婦喧嘩したりしているのがノーマ
ルなはず。こんな大人になっているとは正直予想の
外であった。

 ノストラダムスの大予言が、最初にブームになった
のは小学校中学年の頃であった。例に漏れず、わた
しも地球滅亡の月といわれた1999年の7の月に何才
になっているかを指折り数え、「あ。俺36才だ。きっと
妻や子供もいて、家族守ろうと必死になってるんだろ
うな」と、家族のためにヒーロー然と頑張るお父さんに
なってる自分を漠然と想像していた。あにはからんや、
1999年の7の月はなにも起こらず平穏に過ぎ、今はは
や2006年、あれから7年もたっているのに脂ハゲは家
族を持つ気配などかけらもない。死ぬまでこのままな
んだろなと思うとちょっぴりアンニュイ。

 起承転結がきっちりしていることが名文の条件という。
これは下手すると人生についてもあてはまる。「他人に
人生を語る」というのは、かなり快感を感じるアレである
が(語られる方が快いかどうかはまた別問題だが)、その
場合やはり起承転結がキッチリとしてる方がインパクト
があるだろう。起→貧民として生まれついた。承→悪い
ことばかりやってた。転→高校ですばらしい先生と出会
い、今までの人生を反省した。結→今では年商数十億
の社長である。みたいな。なんか書いてて「だからあな
たも生きぬいて」やら「ヤンキー先生」やらがこの方程式
に乗っ取ってることをふと感じる。

 このアレでいくと、わたしの人生は現時点でどの部分
なのか。起も承も転も結もない、腐ったブログの典型み
たいな人生なのか。それとも映画キッズリターンのラス
トシーンの名台詞、「まだ始まってもいねえよ」なのか。
どっちにしろ、あまり他人に語るべき人生ではない。

 キャバクラで隣席の会話にふと耳を傾け、それが「俺
に言わせりゃよォ」のフレーズが1分に数回出てくる自
信満々の方だったりすると、心の中であざけりつつちょ
っぴりうらやましく感じるが、これも自分の人生に語るべ
きことがあまりないからかもしれない。ビバ自慢オヤジ。
わたしもなんとかして、少しはあの手のひとに近づきた
いと思う。

嘘の氾濫

2006-01-12 21:30:38 | Weblog
1/9付け日刊ゲンダイより
「東京のキャバ嬢は地方からの出張者の誘いに弱い。
たまにしか東京に来ないため、ストーカーされる心配
がないからです。ボクはいつも”長野から月二回出張
で来るんだ”と説明します。すると不思議なことに、キ
ャバ嬢は閉店後に食事に付き合ってくれます」

 世の中にはデマや嘘というものが数多くあり、まあそ
れ自体は珍しいことでもなんでもない。掲示板などとい
うモノにいりびたっているネットオタにとって、「嘘を嘘と
見抜けないひとに掲示板を使いこなすのは難しい」とい
う、西村ひろゆき氏の名言は常にこころの中に刻み込
まれている。しかしいくら注意していても、デマというの
はこちらをだまそうと巧妙な仕掛けをこらしてくるものな
のだ。

 しかし冒頭にあげたような「大嘘」が、ある程度の知
名度を持つメジャー系の夕刊紙に堂々と載ってるとい
うのは・・・・いったいだれをだまそうとしているのか。い
まさら水慣れしてないオッサンをだまして恥かかせてだ
れか得をするのか。

 キャバオタのハシクレとして一言言わせてもらうとだ、
冒頭の記事は100%の大嘘である。一見の店行って、
アフター付き合ってくれるような奇特なキャバ嬢を見つ
けるより、100万くらいの宝くじに当たる方がはるかに
楽ではないだろうか。ものすごい幸運にめぐまれれば、
そういうキャバ嬢と出あうことも可能かもしれない。だが
それは、そのキャバ嬢があなたのことを「かっこよくてお
金にきれいで話も面白いから」見做したからであって、
決して「地方出身者だから後腐れがない」と思ったから
ではない。

 キャバ嬢が客とアフターに付き合うのは、1に営業、2
に休息である。「この客とアフター付き合えば来店回数
がもっと増えるかもしれない」と思って付き合うか、「この
お客さんと酒飲む分には気を使わなくて済む」と思うか
らか、どっちかなのだ。「このお客さんとは後腐れがなさ
そうだから付き合おう」などと思うアホウはまずひとりも
いない。そんな客とアフターするよりはとっとと帰ったほ
うがはるかに楽だからだ。

 しかし水慣れしてないひとが上記の記事読んだら、ま
さかとは思うが本気にしてしまうひとが出るかもしれな
い。モテナイ高校、大学生が、雑誌の「モテマニュアル」
を本気にしてしまう如く。活字やテレビに思ったほどの信
頼性はないということを、人間はもっと若いうちに思い知
るべきなのかもしれない。

新春企画 キャバクラ漫才2

2006-01-11 05:16:33 | キャバクラ
「えー、例によって漫才ですがー」
「なんかテンション低いな」
「いや、そんなことはないスよ。あなたが隣にいればわた
しのテンションはいつもヨーロレイヒー」
「いきなりヨーデルを歌うな!」
「なんといいますかね、やはりこの、今までにない新しい
漫才の形式を生み出したいですし」
「たしかに新しいものを生み出すてのは大切やな」
「今までの漫才というのは、第一の目的はお客様にいかに
うけるかということでしたが、この漫才は違いますよ。なにし
ろ第一の目的は、あなたを口説いて一緒にホテル行っても
らうことですから」
「まだそんな邪な考え持っとるのか!」
「いや、ほらわたしあなたのこと大好きだしー」
「なんで目が死んでるねん」
「でもこういう台詞、ギラギラとした目で言われても嫌でしょ
うが」
「たしかにな。全身からやりたいオーラ出してるお客さんたま
におるけど、ああいうのは引くな」
「そこんとこいくとわたしなんかは、やりたいとか全然思って
ないですからね。単に一緒にホテル行きたいだけで」
「おんなじやないかい!」
「いやいや、違いますって。わたしは単にあなたと二人でホ
テル行って、差し向かいでババ抜きしたいだけですから」
「それが40過ぎのオッサンの言う台詞かい!」
「知人にあなたを紹介する時、俺と彼女はホテルで二人っき
りでババ抜きした仲なんだぜと」
「そんな紹介のされかたは死んでも嫌や!」
「ババ抜き楽しいのに」
「こだわるなー。だいたいババ抜きなんてふたりでやっても
オモロないやん」
「わかってませんね。たまに二人でやるババ抜きの面白い
ことときたら。わたしなんかいつも一人でやってますから」
「そんなモンひとりでやるなーっ。だいたいババ抜きやる
友達もおらへんのかいな」
「友達? 必要ありませんね。よく聞いてください・・・いい
ですか、この世界に必要なのは、僕と私だけなんですよ」
「あたしの居場所ないやんそれ! アナタとかキミとかオマ
エとか言えや!」
「す・・すみません・・・大至急居場所作りますんで・・・どーぞ」
「バスの補助席はいややーっ。あれ座るの窮屈やし」
「まあ住めば都ともいいますし」
「なんでやねん。あんたわたし口説くのはいいけど、そういう
とこが信じられへんねん。聞いたで。他のキャバクラにも結構
通うてるという話やんか」
「えー、あれはあれ、それはそれ、わたしはわたし、あなたは
あなた」
「変な宗教にでもはいったんか」
「口説いたっていいじゃないか、にんげんだもの」
「ええことあるかい! あんたモテへんクセに、ふらふらふら
ふらしてるんやもの。そんな人間信用でけるかいな」
「たしかに飲み屋には複数行ってますけど、口説いてるのは
あなただけですよ」
「また目が泳いでるやん」
「いや、マジでわたしの女性関係なんて、潔癖なことこの上も
ないですよ。たとえて言うと織田ユージくらい。・・・・一部不穏
当な比喩があったことをお詫びいたします」
「詫びるなそんなこと!」
「いや、なんか芸能界のダークな部分にふれた気がする。訂正
します。わたしの女性関係は潔癖です。たとえて言うとジョージ・
マイケルくらい潔癖です」
「織田ユージの後にジョージ・マイケルの名前を出すな! そっ
ちの方がよっぽど不穏当やん」
「とりあえず、わたしが女性にモテないということがわかってい
ただければ」
「アンタが女にモテるとはハナから思っとらんがな」
「本当にね、今のわたし、あなたが急に店とんだりしたら結構
煮つまりますよ」
「なんかキャバクラの他に気晴らし見つけたらいいやん」
「いや、わたしは一途な男なんです。あなたとホテルでババ
抜きするまでは・・・・・」
「それがキショい言うてるやん」
「はっきり言いますけど、わたしの脳の中では、わたしが反町、
あなたが松嶋ですから」
「脳腐っとるなー。あんたのどこが反町やねん」
「こぉ、顔が反ってるところとか・・・」
「反町もアンタも顔反ってないから。アンタの顔は丸くてデカ
くて脂でハゲやから。漬物樽の上に置いたらおいしい漬物が
漬かりそうな顔やから」
「あなたの目にはそう見えるのかぁ・・・・」
「一億一千万人の日本人すべての目に、おなじように見えると
思うで」
「とりあえず、これからの自民党政権の行方についてですが」
「なんでそこまで強引に話題を曲げるねん!」
「四十数年、見たくない現実からは目をそらせて生きてきました」
「自慢げに言うなそんなことを!」
「・・・これで彼女、少しはホテルへ行く気になったろうか・・・・」
「ならへんならへん。ちゅーか、自分の気持ちをだれに語りかけて
るねん」
「ほら、主人公の気持ちを読者にわからせるためには独白も有効
な手段ですから」
「主人公の独白言うより、たまに電車で見かける、ぶつぶつ独り
言つぶやいているオッサンにしか見えへんで」
「まあ、わたしの通常の会話って九割以上独り言ですから」
「だから友達作れやあんたあっ!」
「・・ほら、僕ってとっつきにくい部分があるじゃないですか。高貴と
いうか孤高というか・・・」
「頭ハゲちらかして何言うてるねんコイツ。アンタのどこが高貴や
ねん。駅前で雑誌を100円で売ってるひとと同じ雰囲気かもし出
してるやんか」
「たまに空き缶拾いやらないかって誘われますけどね」
「誘われるなそんなモン!」
「わたしとしては、むしろダンボール拾いを希望してるんですが」
「・・・もぅ何も言わん。やれ。頑張って日本一のダンボール拾い
になれや」
「・・・もしも僕が、頑張って日本一のダンボール拾いになったとした
なら、その時は僕と一緒に人生を送ってくれますか」
「そういうことを真剣な目で言うな! なんであたしがダンボール
拾いと人生送らなあかんねん」
「でも、これからの環境問題を考えるうえで、ダンボールのリサイ
クルってとても重要な課題なんですよ」
「それはそうかもしれんけどな、その問題とあたしとアンタが付き
合うかということと何の関係があるねん」
「無関係というのもひとつの関係ですから」
「もうええわい!」
「どうも失礼しました~」



ジャンク飯

2006-01-09 21:55:10 | Weblog
 また食べ物ネタであります。嵐山光三郎「文人暴食」
の影響が強い強い。

 さて昨日の朝飯は松屋の豚めし、本日の朝飯は水道
橋の立ち食いそばとジャンクフードばかり食べておりま
す。両者とも一杯290円、価格的には最低ランクの外食
ですな。どんな材料使って、どんな調理をしてコストを下
げているのか、あまり正解は知りたくないのが正直なと
ころ。

 しかしこのような、「半ば工業製品」のような食べ物で
も、なんとか顧客にはおいしく見せようという戦略が多々
ある。たとえば吉野家であれば、かつての「牛丼一筋八
十年」のコピーに代表される、「伝統」「老舗」のイメージ
とか。あたり前の話だが、伝統があるからって飯がおい
しいというわけではないのだが。

 ラーメン屋さん、ラーメン職人、麺の達人等、「腕のいい
職人がこだわりながら作ってる」というイメージを貼り付け
るものも多い。実際に作られる製品としての生ラーメン、
インスタントラーメンに必要な熟練というのは、店売りのラ
ーメンに関する熟練とはまったく別の種類のモノであるに
違いないのだが、いざスーパーの店頭で商品を手に取る
と、そんなことを忘れてしまうのがまた不思議である。出
前一丁、チャルメラの、即席ラーメン界のロングセラーふ
たつも、「職人イメージ」を前面に出したネーミングであっ
た。

 もうひとつのアレとして、その食品が本場モノであること
を強調させようという場合もある。即席ラーメンでいえば「サ
ッポロ一番」なんてのがそうである。ラーメンの札幌、そば
の信州、深大寺なんてのは、ブランドとして立派に通用す
る。しかし神戸らんぷ亭なんて牛丼屋があるが、あの店の
牛丼に神戸牛が使われているはずもなく、たぶんランプ肉
も使われてはいないと思う。あくまで「神戸風に作った」て
ことなんだろうが、こう考えると詐欺ギリギリではある。

 安い食べ物ほど、高級感や「手間がかかってる」ことを強
調しようとするのが不思議である。貧乏人が金を持つと、上
滑りした高級感ばかり求めたがるのと、根は一緒と言えるか
もしれない。

冬の中山

2006-01-08 21:46:26 | Weblog
 一昨日の金曜はキャバクラ初め、そしてきのうは競馬
観戦初めと、日常生活が次第に戻ってまいりました。こ
の調子で徐々に社会復帰していくのが自然でありましょ
う。いきなりハレ→ケへの転換というのはやや難しい。

 しかしきのうの中山、いやその寒いのなんの。中山観
戦するようになってはや10年、こんなに寒い年はなかっ
たように記憶する。なんか、空気の冷たさの根本がどう
も普段の年と異なるようだ。「刃物のやうな冬がきた」と
いう高村光太郎の形容があるが、普通の年をカミソリだ
とするなら、今年はどうも鉈の切味。寒さの前にたたき
つぶされる感じがする。マジで。

 寒い時に食う中山の食い物といえば、地下のレストラン
プラザにある下辰のカレー丼に勝るモノなし。炊きたての
あつあつご飯に、醤油味のだし汁でやわこく煮込んだ豚
バラ肉を数枚乗せ、さらにその上からだし汁を混ぜてじっ
くり煮込んだカレーの汁をかける。マイルドなカレーとだし
汁の微妙な調和、そこに加えて豚バラ肉の気持ちよい脂
身である。「ほっぺたが落ちる」なんて形容では足りない
足りない。けっこういろんなそば屋でカレー丼を食うのだが、
この店のカレー丼以上のカレー丼には、いまだ出あったこ
とがない。

 あとはちりめん亭の中華そばににんにくドバドバ、というの
も定番である。豆板醤もいれ放題なので、寒い時にはやや
量を多めにしてみたりする。冷えた体にちりめん亭の中華そ
ば。至福でありますよ。

 冬の競馬というのは、ぐりぐりの人気馬がいざ体重計った
ら前走から20kg増、なんて例が少なくない。コメントでは厩
務員などが、「調子はいい意味で平行線」なんて言ってる馬
に対してこの体たらく。馬体の太め、細めなんてのは、数字
だけでは判断できない。実際に下見所で馬の現実を見ない
と無理なのだ。たとえ10数kg体重が増えていたとしても、馬
体的にはまったく太めでないと見做される場合もある。こんな
わけで冬場の競馬は現場に出張るのがいちばんということに
なる。とてつもなく寒いけどね。

 土曜は、わざわざ現場に出張った甲斐あってほんのちょっ
とであるが収支はプラスであった。きょうは新聞のみで予想
したため負けである。はたして明日はどうなるか。なんとか
現場に出張らずとも、あたり馬券多数手にしてみたいもので
ある。

 

バレンチノの氾濫

2006-01-07 05:35:07 | Weblog
 キャバクラにハマってから、ブランド品に関する知
識がかなり蓄積されてきたわけだが。

 といっても時計と一部バッグ、サングラスにネクタ
イなどと、さすが動機の根源がキャバクラ、プレゼン
トしたりあるいはされたり系のモノの知識しかないの
であった。いまだに洋服、特に紳士服に関して知識
はゼロに近い。スーツプレゼントされたりすることは
ないし、自分で買うのは専らアオキや青山でありま
すので。

 しかし「ブランド品」の定義というのはなんだろう。ヴ
ィトンのバッグやエルメスの時計、ブルガリの財布が
ブランド品であることは論を待たない。セリーヌのネク
タイ、なんてのも当然ブランド品であろう。しかしレノマ
の時計とか、あれブランド品なのかと。あと昔懐かしい
ピエール・カルダンなんてのも。(今ヤフオクでサーチか
けたところ、レノマの時計、新品で4,000円、しかもそれ
でも入札者なし)

 バレンチノというブランドがある。なんかイタリアではそ
れなりの知名度を持ったブランドらしいのだが、このバレ
ンチノという姓、日本でいえば佐藤鈴木並にありふれた
ものなのか、類似ブランドというか、それらしく見せたもの
が無茶苦茶に多い。わたしの愛用している、小銭でパン
パンに膨らんだ茶色のボロ財布、これはダイクマ町田店
にて860円で購入したものなのだが、それでもアンドレ・
バレンチノ PARISとブランド名がはいっている。しかしこ
れを「ブランド品なんだ」で押し通すのはいささか無理が
ある気がする。だいたい、バレンチノって名前でパリって
のはそもそもちょっとアレだ。

 この手のバレンチノがらみのブランド、時計に関しては無
茶苦茶に多く、「バレンチノ」をキーワードにヤフオクでサー
チかけるとものすごい数が。しかも「アイザック・バレンチノ」
だ「マリオ・バレンチノ」だ「バレンチノ・ドマーニ」だ、これま
た種類がたくさんある。うさんくさいことこのうえもない。
 
 駅の中などで、財布やバッグの安売りをしていることがあ
る。コーチの財布か、と思ってよく見るとデザインがCでなく
Gになってるパチ風味全開のモノなどよく見かけるが、あれ
もいちおうなんか知らないがブランド名があるんですな。ああ
いうのは、むしろメーカー名というのが妥当なのかもしれない
けど。

 しかし世に氾濫しているバレンチノ、本当にデザインにたず
さわっているのは何人なのか。広東語を流暢にあやつるオジ
サンだったらどうしよう。というか、その可能性マジ高いよなぁ。
 

今年の抱負

2006-01-05 22:08:05 | Weblog
 さて仕事も二日目ともなりますと、体も充分に慣
れてきて・・・・と言いたいとこですが、眠いはだる
いは風邪気味だはろくなことがないですな。帰宅
して風呂にはいってご飯食べたあとキーボードか
ちゃかちゃ。このひと時が唯一のいこいというのは、
あまり幸福な状態ではないのはたしかであります。

 40超えたら本年の抱負もクソもないし、おぎやは
ぎがある番組で言っていた「今年の目標は現状維
持です」というのが、自分にも完全にあてはまる。と
いうか、努力してジタバタしないと落ちる一方であっ
たりするのが、これまたとても情けない。瞬発力の
部分で、40男は20代の敵ではないのだ。

 「老成」という言葉があり、年老いたら年老いたな
りの美点が備わるはずだとかつては思っていたが、
あれ、老人すべてに当てはまる言葉ではないのね。
人生においてさまざまな経験をし、それをスキルとし
て蓄積している人間だけが「老成」できるのであって、
のんべんだらりと日々を過ごしていた人間というのは、
年は食っても「老成」はできない。いい年こいても煩
悩をたっぷりと抱え込み、「道に迷っているばかり」な
のだ。

 というわけで本年の抱負。なにはなくとも現状維持。
親父&お袋も70超え、いつお迎えがきても「若死にで
すねぇ」とはいえない年である。わたしも今年で43、厄
年もとうとう越してしまった。こんな衰える一方の人生
で、「現状維持」できるのであれば、それがなんといっ
ても一番である。

 いまのところ耳の衰え、歯の劣化はないが、目の衰え
はそろそろ開始されている気がする。老眼鏡かけて世間
様にでしゃばる、というのはわたし的にはあまりしたくな
い行動ではある。

 ま、いちばん衰えているのは性的な欲求であり、わたし
もだんだんと「枯れてきてるな~」と実感する。まーアレだ、
「性的な煩悩がなくなれば、世界悩みの1/3は消滅する」
というのがわたしの持論だ。その意味ではけっこう、「永遠
の現状維持」の世界にはいってきているのかもしれない。

 


 

新年四日目

2006-01-04 22:37:54 | Weblog
新年も四日。仕事はじめということで初出勤。つーて
も完全に通常勤務であり、普段の仕事日となんの変
わりも無い。十年くらい前は、「顔合わせ」ということで
出勤は9時過ぎ、新年の挨拶したあと10時くらいか
ら一杯やって12時には帰宅、という優雅な1日だった
のだが。こういう「のんびり感」が、「ギスギスした真面
目さ」にとって変わられていくのはとてもアレだ。

 郵便配達も通常のパターンに戻り、年末ギリギリに
投函したであろう年始状の第二陣がポツポツと届く。と
いってもわたし宛のは一枚もなく、宛名はすべてオヤジ
のものである。わたしはといえば、子供の頃から年始
状というモノが面倒で仕様がなく、積極的にはなにも書
かず、「来たモノにのみ返信する」ということを三十年繰
り返した結果、本年わたし宛の年始状はたったの二枚
という事に相成った。しかも一枚は焼肉屋、もう一枚は
二十年前の新入社員研修の時以来会ったことのない同
期入社の方である。ここ二十年毎年年始状だけは送っ
てくるのだが、いったいなにを考えているのか。こわいの
でこの方には返事を書いたことがない。

 しかし本年43歳にもなるオッサン宛ての年始状が、た
った二枚てのは世間体的にどうなのかと。よく、定年間際
のオッサンが年始状の数を数えつつ、「会社やめたら、こ
の年始状の数も少なくなるのだろうな」などとつぶやくシー
ンがドラマによくあるが、俺などは会社勤めちゃんとしてる
のに二枚である。なんかもお、自分という存在が次第次第
に希薄になっているような感じだ。ドラえもんの石ころ帽子
みたいなものなのかもしれない。

 キャバクラのねーさん方からは年始状でなく年始メール
がいくつか。普通の営業メールであれば、一括メールなど
というのは興ざめの代表格だが、年始メールだとそういう
気がしない。これも考えてみりゃ当然の話で、年始状とい
うのは印刷で定型的な文面を送るのがむしろ通常。一括
同報メールと根本は変わらないからだ。

 しかし、正月三が日なぞというのは、基本的にキャバ嬢
も休みのはずである。そういう純粋なプライベートタイムに、
わざわざメールを送ってくださるのは、たとえ一括メールで
も嬉しいものである。逆に、こっちからはなかなかメールで
きない。「折角の休暇中、脂ハゲ客からメール送ったらあん
まいい気持ちはすまい」ということをつい考えてしまうので
すな。

 そういうわけで、わたしがすすんでメールを送らない理由
はこんな風だ。てなわけで指名嬢のみなさん、本年もよろ
しくと、本ブログをもって新年の挨拶に代えさせていただく。

三度目の電車男

2006-01-03 21:37:48 | Weblog
 とりあえず今日は外出もせず電車男に耽溺。最終
回を、キャバクラ行って見逃していたため今日は真剣。
伊藤美咲って美人だなあと思いつつ、いや、でもこの
手の清潔清楚な美女というのは観賞用だよな、やっ
ぱ俺はもちっとこぉ生々しい感じの女性がいいな、叶
美香とか、ああ、叶美香がエルメス役やってたらこの
ドラマも感じがまるで変わるのだろうな、つーか、ネッ
トで知り合った女性が実は叶美香だった、とかいう設
定のドラマがあったらうけるな、とか、雑念にひたりつ
つ見ていたが、やっぱ泣いた。久米田康治なら「あざ
とい」というひとことで片付けてくれそうなシーンが複
数あったが、それでも脂ハゲは涙ぐむのであった。

 このブログで電車男ネタするのもこれで三度目であ
り、しつこいといやしつこいのだが、ネット使って最初
にハマったのが掲示板という人間だから、やっぱり何
度も語らずにはいられない。見も知らぬ人間に支えら
れるということ、その発言が無責任であっても、という
か、無責任であるからこそ尊いということ。「掲示板の
戯言に従って行動して、失敗してもだれのせいにもで
きない」などということをしたり顔して説く人間もいるが、
そんなのはごく当然の話だ。掲示板の意見というのが
ひとつであるはずはなく、幾通りかの意見のうち、どれ
を選択するかはまさしく「自己責任」であるからだ。

 こういう映画、小説漫画で、「キャラの成長」というの
はひとのこころを動かす定石のひとつであるが、電車
男でもそれはあてはまる。主役の電車だけではない、
ヒロインのエルメスも、そして「無責任な応援」を続ける
無数の名無しもだ。このストーリーがここまでヒットした
のも、「主役になるのは無理難題でも、応援する側の
名無しにならばなれるかもしれない」という微妙な錯覚
を、見る側に心地よく引き起こさせるからではないだろ
うか。

 ネットはじめてすでに8年、単に年を食っただけで、変
化といえば腹のぜい肉の増え具合と顕著な毛髪の減
少くらいのわたしであるが、それでも、明日にはこういう
エピソードのスレッドにぶち当たり、自らの成長の糧に
できるかもしれない。無理に変わろうとする気は毛頭な
いが、自然にひととしてのキャパシティが大きくなるなら、
それを拒絶する気持ちはない。そうすりゃ、少しはキャバ
クラでモテるようになるかもしれない。結局考えることは
それだったりする。器ちっちゃいなやはり。

新年二日目

2006-01-02 21:28:02 | Weblog
 しかし新年二日目。きょうもまたなにをすることもなく
終了。スポーツ新聞でさえ休刊というのが痛いですな。
曇天からは暖かい日光が降り注ぐこともなく、寒さは一
段と厳しく、やはり布団の中にはいりこんでバラエティ
番組と電車男の1日。時間の無駄といえばたしかに無
駄であります。

 ふと思い立ち午前10時頃外に出てみる。なに、トー
スト用の食パンが足りなくなりそうなので買いに行った
だけであります。最近のスーパーというのは二日オー
プンというのが大部分で、中には元日から営業してい
る店だって少なくはない。わたしの子供時代と比較す
ると隔世の感。コンビニもないし、普通の店は三が日
休みだし、モノの売買をしている店といえば神社周辺
の焼きそばや磯辺焼きの露店くらいのものであった。

 だからこそ、年末の買いだめや日持ちのするおせち
料理というのが必要だったのだろうが、21世紀も5年
過ぎた今、元日の1日間を我慢すればなんということ
もない。「おせちもいいけどカレーもね」という名台詞が
前世紀にあったが、いまじゃカレー食ってる人間の方
が多くはないかと想像できる。

 考えてみれば、「長年続いた風習」というのも、このよ
うな「経済的な変化」によって、なんらかの影響をうける
のであろう。思えば、昔は「モチといえば正月」の食べ
物であったはずだが、サトウの切り餅の普及により、1
年中食べられるモノになった。つまり、「正月の食べ物」
という観念が薄れ、その結果「正月モチを食おうとする
のは年寄りばかり」という現象が起こっているのではな
かろうか。世間一般の「モチ」に対する評価の変化とい
うのはよくわからんが、少なくとも「賃モチ」の看板や張
り紙は、わたしの子供の頃よりは激減している気がする。

 コンビニの普及と、スーパーの元旦営業が広まれば、
間違いなく「おせち料理」は一般家庭から駆逐されるだ
ろう。あの、味よりも「保存性」を重視した料理が、次第
に廃れていくのはまた時代の流れではある。「正月はカ
レー」というのが日本の習慣として確立されるまで、あと
少しだと思う。その場合正月くらい、ホテルニューオータ
ニ特製の豪華なカレー缶詰でも。

賀春

2006-01-01 20:50:07 | Weblog
 無事に年が越せまして、みなさま、謹賀新年。本年
もひとつお付き合いを願いたいと。

 本日はまる1日ほとんど布団にくるまってぬくぬくとし
ておりまして、いや、この寒い冬の日に心地よいこと心
地よいこと。もともと動くのが嫌いな怠けモノ、ああ、ニ
ートというのはこういう毎日を送れるのか、そりゃこんな
境遇に肩までつかりたくなるのも無理はないなと。ただ
一方で、競馬やキャバクラ、時計集めといった金のかか
る趣味は手放さねばならず、その意味ではややストレス
がたまるかもしれない。セコセコ働いてスズメの涙な目
腐れ金を手に入れる、というのがわたしの身の丈にあっ
た生活なのだろう。こういう場合において、わたしの「器
の小ささ」「向上心の無さ」は武器になる。いやな武器で
はあるが。

 しかし1日中お笑い番組を見続けというのも、これはこ
れで正月の楽しみのひとつになっている。朝から晩まで
フジテレビを見続け。お笑い評論家ではないので特に感
想もないが、爆笑問題の太田、やや煮詰まり加減なのが
気になる。躁鬱系が明らかなひとみたいなので、追い込
まれなきゃいいのだが。大きなお世話ですけどね。

 明日はスポーツ紙も休みという、全面的な新聞休刊日で
あり、きょうの出来事はこまめにTVのニュース見てチェック
するしかないのだが、やっぱ事故がいろんな所で起こって
いるなあと。あいかわらずモチをのどに詰まらしている年寄
りは出るし。

 この「雑煮で死ぬ年寄り」というのは、すでに20年前ツー
ビートが漫才のネタにしていた存在であり、それこそレギュ
ラーあたりが、「年寄り雑煮でまた死んだ、ハイ!」とあるあ
る探検隊のネタに使用してもおかしくないのだが。また来年
の元旦にも、おなじような年寄りが出るんでしょうな。わたし
の両親がそうならないことを祈るばかりだ。しかし、なんで年
寄りは元旦に雑煮を食いたがるのか。命賭してまで食いたい
ものかアレ。

 まあ「食」に対する煩悩というのは深いものではあるが。わ
たしも、中性脂肪高いのにやっぱりカルビばかり食ってるし。
「命より食い気」というのは案外真実なのかもしれない。