一人旅と一人酒こそ生き甲斐で、その他は全て好むと好まざるとにかかわらずやってくる日常だと以前申しました。そのような考えが確立してからというもの、職場のことについてはおくびにも出さなくなって今日に至ります。しかし今日は柄にもなくその話題に触れます。唐突に持ち出したのは、前の職場で今の業務を始めて以来、今月で通算10年の節目を迎えたからに他なりません。
それでは今の業務について語るのかというとさにあらず。節目を迎えて思い出すのは、その直前に在籍していた最初の職場です。新卒一括採用という社会の枠組から落伍し、二十代を棒に振った後、三十路にして初めて勤めた職場だということについては以前も述べました。希望に満ちた新生活のつもりが、蓋を開ければ苦々しい思い出の年月だったということについても。一年間無給でいいと頭を下げて入ったはよいものの、結局は金銭的に困窮し、わずか二年で降参という顛末でした。
何より大切なのは身軽さ、次いで生活に困らない程度の金だという自身の価値観については、常々このblogでも語っているところではありますが、その「生活に困らない程度の金」がどうにも得られなかったというのが直接の理由です。自分はまだやれるという若さ故の思い上がりもありました。しかし今になって振り返ると、それ以前に自分の実力が全く話にならなかったのが実態です。全く無の状態から育ててもらったにもかかわらず、何一つ還元できないまま辞めるという不義理を働いたことについては、終生自責の念にかられることになるでしょう。
当時は気付かなかったこととはいえ、ある意味料理人のごとき徒弟の世界でした。たとえ薄給でも歯を食いしばって続けていれば、桃栗三年柿八年の諺通りに実を結び、いずれは小さいながらも自分の城を構えるといった人生があったのかもしれません。
もちろん、十代の少年が小僧として入るならともかく、自分にとって年齢的に厳しい選択だったのは事実です。人生は一度、一国一城の主と気楽な勤め人のいずれか一方しか選べないとすれば、後者に収まった現状に不満はありません。それにもかかわらずこのような仮想をしてしまうのは、やり残したことがあまり大きかったからでしょう。それに加えてボスが他界し、二度と埋め合わせができないという事情もあります。
最初の職場での経験が、今の業務に直接役立っているわけではありません。しかし、繰り返し教えられた「人生の一回性」という考え方は、「今しかできない方を選ぶ」という自身の価値観の基礎となっています。世間の風潮に左右されず、信念と矜恃を持ち続けるという姿勢は、その後仕えた経営者とは異質な、しかし自分にとっては最も共鳴できるものでした。自分の場合、矜恃、信念という以前の単なる「こだわり」の域を脱しないのが現状ながら、そのような価値観の一端だけでも受け継ぐことができたのは、せめてもの恩返しといったところでしょうか。
自分と同じく無表情、それでいながら不機嫌さは表に出やすい、一見すると取り付きにくいボスでした。しかし、箸にも棒にもかからなかった自分を使ってくれたのは、似たもの同士に対する他人事ならぬ感情があってのことだったのかもしれません。遠き日の厚恩を胸に抱いて臨む新年です。
それでは今の業務について語るのかというとさにあらず。節目を迎えて思い出すのは、その直前に在籍していた最初の職場です。新卒一括採用という社会の枠組から落伍し、二十代を棒に振った後、三十路にして初めて勤めた職場だということについては以前も述べました。希望に満ちた新生活のつもりが、蓋を開ければ苦々しい思い出の年月だったということについても。一年間無給でいいと頭を下げて入ったはよいものの、結局は金銭的に困窮し、わずか二年で降参という顛末でした。
何より大切なのは身軽さ、次いで生活に困らない程度の金だという自身の価値観については、常々このblogでも語っているところではありますが、その「生活に困らない程度の金」がどうにも得られなかったというのが直接の理由です。自分はまだやれるという若さ故の思い上がりもありました。しかし今になって振り返ると、それ以前に自分の実力が全く話にならなかったのが実態です。全く無の状態から育ててもらったにもかかわらず、何一つ還元できないまま辞めるという不義理を働いたことについては、終生自責の念にかられることになるでしょう。
当時は気付かなかったこととはいえ、ある意味料理人のごとき徒弟の世界でした。たとえ薄給でも歯を食いしばって続けていれば、桃栗三年柿八年の諺通りに実を結び、いずれは小さいながらも自分の城を構えるといった人生があったのかもしれません。
もちろん、十代の少年が小僧として入るならともかく、自分にとって年齢的に厳しい選択だったのは事実です。人生は一度、一国一城の主と気楽な勤め人のいずれか一方しか選べないとすれば、後者に収まった現状に不満はありません。それにもかかわらずこのような仮想をしてしまうのは、やり残したことがあまり大きかったからでしょう。それに加えてボスが他界し、二度と埋め合わせができないという事情もあります。
最初の職場での経験が、今の業務に直接役立っているわけではありません。しかし、繰り返し教えられた「人生の一回性」という考え方は、「今しかできない方を選ぶ」という自身の価値観の基礎となっています。世間の風潮に左右されず、信念と矜恃を持ち続けるという姿勢は、その後仕えた経営者とは異質な、しかし自分にとっては最も共鳴できるものでした。自分の場合、矜恃、信念という以前の単なる「こだわり」の域を脱しないのが現状ながら、そのような価値観の一端だけでも受け継ぐことができたのは、せめてもの恩返しといったところでしょうか。
自分と同じく無表情、それでいながら不機嫌さは表に出やすい、一見すると取り付きにくいボスでした。しかし、箸にも棒にもかからなかった自分を使ってくれたのは、似たもの同士に対する他人事ならぬ感情があってのことだったのかもしれません。遠き日の厚恩を胸に抱いて臨む新年です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます