日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

あれから七年経ちました

2011-02-28 23:33:35 | 旅日記
四週しかない二月はことさらに早く過ぎて、気付けば晦日を迎えました。日付が変わる前に、このblogの開設と並んで、二月に迎えたもう一つの節目について記録しておきたいと思います。というのは、我が職業人生が遅い遅いスタートを切ったのが七年前のこの月なのです。

川崎の市役所にほど近いオフィスビルの2F, ボスを入れても5人だけの小さな職場が、我が職業人生の振り出しでした。ニートとして二十代の後半を棒に振り、箸にも棒にもかからなかった自分が、知り合いのつてを頼って、一年間給料は要りませんと頭を下げて、やっとの思いで巡り合ったのがこの職場でした。しかし、希望に燃えた新生活も束の間、現実の壁にぶち当たるまでにそれほどの時間はかかりませんでした。唯一にして最大の問題は「生活が成り立たない」ということでしたorz
もともと給料度外視の修行のつもりだったとはいえ、その厳しさは想像以上のものがありました。学生時代のバイト未満の時給では、自活など論外なのはもちろんのこと、家計費も満足に入れられず、社会保険もなければクレジットカードも持てないという有様で、「ワーキングプア」という言葉が世間に広まる以前から、その立場を時代に先駆けて体験したことになります。最終的にはこの金銭面、生活面の問題が壁となり、五年はやりますと宣言して入った職場を、わずか二年足らずで辞めるという結末を迎えるのですが、今振り返っても苦々しい思い出ばかりの年月でした。
とはいえ、苦々しさとともに思うのは、当時の職場とボスに対する感謝です。電話の受け方一つ知らない「平成の浦島太郎」と称されるほど世間知らずだった自分を、全くのゼロから育ててもらったのは他ならぬこの職場だったのですから、感謝こそすれ恨むことなどあろうはずもありません。もし七年前にボスが声をかけてくれなければ、自分は今もワーキングプアとして地を這っていたかもしれません。それだけに、生きるためにはやむを得ない選択だったとはいえ、世話になった職場をわずか二年で辞めなければならなかったことに対する申し訳なさというものは今でも残っており、おそらく終生消えることはないでしょう。職場とボスに対する感謝についてももちろん同じです。

そのボスは自分が職場を去って二年ほどして急逝し、当時の職場も今はなく、結局面と向かって感謝の言葉を伝えることもできないままに終わってしまいました。しかし、そのことをどんなに嘆こうとも、時計の針が戻るわけではありません。今の自分にできることは、受けた恩義を石に刻んで、自分なりの職業人生を究めて行くことなのでしょう。奇しくも今月は三つ目となる今の職場に移って二年半、ここから先は自分にとって未知の領域です。これまで一度として果たせなかった「石の上にも三年」の壁を突破するのが、せめてもの恩返しになりそうです。
このblogでは折に触れて「ワーキングプア」などと自虐的に申してまいりましたが、それは自分の中では常に感謝の念と二つで一つになったものです。節目の二月が終わろうとする今、自分の中でけじめを付ける意味でも、今はなき職場とボスに対する感謝を一度は書き留めようと思い立ち、あえて柄にもないことを書き連ねた次第です。ボスからは様々な人生訓を教えられました。自分自身、その教えを必ずしも活かしているとはいえませんが、今も時折思い出す言葉の数々です。ボスを偲んで献杯…
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