正月の活動が定着したのは、宿泊事情によるところが大です。列車と高速道路の混雑が報道される一方で、宿はどこへ行っても空いていることに気付いてきました。その結果、日頃なら手が出ない価格帯の宿に、格安で泊まれる場合も出てきます。前夜泊まったホテルフジタがそうでした。ただし、あくまで宿代には金をかけないのが自分の方針です。以降はもっぱら安さと利便性が宿選びの基準となります。今回もハイパーインメイアップの世話になりました。
おはようございます。昨晩は日付をわずかに跨いだところで宿に戻りました。直ちに休み、外が明るくなってきたのに気付いて起き上がると、七時過ぎに朝日が射してくるという顛末です。
出発以来、雲が多めで日が陰りがちの天候が二日にわたって続きました。しかし、今朝は関東平野を彷彿させる雲一つない青空が広がっています。長距離移動をひとまず終え、現地での活動に注力できる状況で、待望の冬晴れとなったのは好都合です。晴れたら再訪したいと思っていた場所がいくつかあります。忙しい一日となりそうです。
出発以来、雲が多めで日が陰りがちの天候が二日にわたって続きました。しかし、今朝は関東平野を彷彿させる雲一つない青空が広がっています。長距離移動をひとまず終え、現地での活動に注力できる状況で、待望の冬晴れとなったのは好都合です。晴れたら再訪したいと思っていた場所がいくつかあります。忙しい一日となりそうです。
四国での走行に備えて給油を済ませ、中央局で年賀状の第二陣を投函し、さらには一風呂浴びてようやく投宿。奈良から230kmほど走り、出発からの走行距離は約800kmを超えました。通算21万kmまではあと400kmあまりに迫っています。
現在の気温は6度で、昨晩奈良に着いたときが4度でした。ただし、本日は到着が三時間近く遅いという違いがあります。鳴門に着いた時点では8.5度あり、これが昨日とほぼ同じ時間帯の気温です。西へ下るにつれて暖かくなってきたのを実感します。この先の移り変わりも楽しみです。
現在の気温は6度で、昨晩奈良に着いたときが4度でした。ただし、本日は到着が三時間近く遅いという違いがあります。鳴門に着いた時点では8.5度あり、これが昨日とほぼ同じ時間帯の気温です。西へ下るにつれて暖かくなってきたのを実感します。この先の移り変わりも楽しみです。
大鳴門橋で四国へ渡りました。その足で早速訪ねたのは鳴門公園です。
去年はここの展望台から、大鳴門橋と満月が重なる劇的な光景に出会いました。今夜の月齢は27日、つまり月が昇ってくることはありません。あのときの眺めに及ばないのは承知しており、実際その通りの結果となりました。とはいえ橋と海峡だけでも十分よい眺めではあります。
去年はここの展望台から、大鳴門橋と満月が重なる劇的な光景に出会いました。今夜の月齢は27日、つまり月が昇ってくることはありません。あのときの眺めに及ばないのは承知しており、実際その通りの結果となりました。とはいえ橋と海峡だけでも十分よい眺めではあります。
読み通り、兵庫との県境を越えたところで東の空に月が昇ってきました。明石海峡大橋が見えてきたのは日付が間もなく変わろうとする頃です。月は神戸側の袂の上空に浮かんでおり、橋をくぐり抜けた次の瞬間、ケーブルと主塔を照らしていた明かりが消えました。月はその後側方、後方へと移動していき、駿河湾でも西の空にとどまっていました。朝焼けの空を背にした富士山と愛鷹山も絵になっており、めくるめく場面の連続でした。四国からの帰りはやはりこれだと改めて実感した次第です。
今週末は誕生日に重なります。特に今年は、四十代の前半から後半に突入する節目でもあるだけに、盛大に祝うことができればそれに越したことはありません。とはいえ、毎週誕生日を祝っているようなものといってもよいだけに、活動すること自体を目的化するつもりもありません。今のところ週末の天気予報がよろしくないため、我が家で心静かに省みるのも一案と考えているところです。
今週末は誕生日に重なります。特に今年は、四十代の前半から後半に突入する節目でもあるだけに、盛大に祝うことができればそれに越したことはありません。とはいえ、毎週誕生日を祝っているようなものといってもよいだけに、活動すること自体を目的化するつもりもありません。今のところ週末の天気予報がよろしくないため、我が家で心静かに省みるのも一案と考えているところです。
全行程終了です。「サンライズ瀬戸」で帰ります。
去年の秋に乗車したとき、瀬戸大橋にさしかかるやいなや、東の空に月が昇ってくるのが見えて感嘆したことがあります。その名場面の再現こそならなかったものの、今夜は今夜で悪くありません。岡山を基準にすると、今夜の月の出は22時52分です。兵庫との県境にさしかかった頃、東の空に下弦の月が現れて、以後それを追いかけながら走ることになります。月と明石海峡大橋が重なれば最高でしょう。駿河湾の朝焼けともども楽しみです。
★坂出2145/サンライズ瀬戸(5032M)/708東京
去年の秋に乗車したとき、瀬戸大橋にさしかかるやいなや、東の空に月が昇ってくるのが見えて感嘆したことがあります。その名場面の再現こそならなかったものの、今夜は今夜で悪くありません。岡山を基準にすると、今夜の月の出は22時52分です。兵庫との県境にさしかかった頃、東の空に下弦の月が現れて、以後それを追いかけながら走ることになります。月と明石海峡大橋が重なれば最高でしょう。駿河湾の朝焼けともども楽しみです。
★坂出2145/サンライズ瀬戸(5032M)/708東京
ほぼ150kmを走破して高知駅に戻りました。車を返して帰りの列車に乗り込みます。
一度走った経路なら所要時間も読みやすくなってきます。今日の復路についてもそうでした。去年走った実績から、安芸市街から高知まで、まっすぐ走れば一時間強で着くのが分かっていました。出発地が遠くなることを考えても、二時間弱あれば戻れるだろうと予想して、それはおおむね的中しました。しかし、最後の最後に冷汗をかきそうになりました。
営業所で手続を終え、駅に向かった時点で20分を少し回っていたでしょうか。それでもまだ若干の余裕があったため、土産を買おうとKIOSKに立ち寄りました。しかる後に改札をくぐろうとしたところ、発車の時刻が記憶していたよりも三分繰り上がっていました。今春の改正で時刻が変わっていたのでした。五分前を目安に動いたからよかったものの、それ以上悠長に構えれば乗り遅れていたかもしれません。今回も終わってみれば紙一重でした。
★高知1931/しまんと8(58D→2008D)/2127坂出
一度走った経路なら所要時間も読みやすくなってきます。今日の復路についてもそうでした。去年走った実績から、安芸市街から高知まで、まっすぐ走れば一時間強で着くのが分かっていました。出発地が遠くなることを考えても、二時間弱あれば戻れるだろうと予想して、それはおおむね的中しました。しかし、最後の最後に冷汗をかきそうになりました。
営業所で手続を終え、駅に向かった時点で20分を少し回っていたでしょうか。それでもまだ若干の余裕があったため、土産を買おうとKIOSKに立ち寄りました。しかる後に改札をくぐろうとしたところ、発車の時刻が記憶していたよりも三分繰り上がっていました。今春の改正で時刻が変わっていたのでした。五分前を目安に動いたからよかったものの、それ以上悠長に構えれば乗り遅れていたかもしれません。今回も終わってみれば紙一重でした。
★高知1931/しまんと8(58D→2008D)/2127坂出
さらに北上して馬路村に入りました。トンネルと高架橋、さらには線路までが残ると聞くも見当たらず、集落の入口に車を止めて見回したところ、道から一段下がった崖の斜面に張り付くかのごとく、コンクリート橋の遺構が線路ともども残っていました。それにつながる形でトンネルの坑口も残っています。これまでに現れた遺構にしてもそうですが、いずれも森林鉄道にしてはかなり立派な構造物です。今日まで生き長らえたのもそのおかげでしょう。
まだ全体の半分も回り切れてはいませんが、さらに粘ると帰りの移動が厳しくなります。切りのよいところまで走れたため、これ以上先には進まず引き返します。残りは次回の課題ということにしておきましょう。高知を訪ねる楽しみがまた一つ増えました。
まだ全体の半分も回り切れてはいませんが、さらに粘ると帰りの移動が厳しくなります。切りのよいところまで走れたため、これ以上先には進まず引き返します。残りは次回の課題ということにしておきましょう。高知を訪ねる楽しみがまた一つ増えました。
明神口橋から先は、右岸を走る県道が線路の跡をなぞる形に変わりました。一目で分かる遺構は少数ながらも、アーチ橋とガーダー橋を立て続けに渡る箇所があります。釜ヶ谷桟道と釜ヶ谷橋がそれです。いずれも鉄道時代の橋を流用しつつ、上部を拡幅しているのが特徴で、特に後者のガーダーと橋台は至近距離から観察できます。
エヤ隧道から進むにつれて道がますます狭くなり、上流の橋の袂に「軽自動車以下」の看板が出現。やむなくそこから右岸に渡り、しばらく走ると赤いトラス橋が見えてきました。同じく重要文化財の明神口橋です。
地図の上ではこの橋と下流側のトンネル二ヶ所が隣接しているようだったため、橋の袂に車を置いて、線路の跡を歩きました。ところが思ったよりも大変でした。一つ目のトンネルこそすぐそばだったものの、その先のトンネルまで片道20分もかかってしまったのです。
しかし、あのまま車を走らせるより、こうした方がよかったのでしょう。何しろ舗装は荒れ、苔生して落ち葉が積もり、さらには至る所に落石と倒木が転がっている有様です。しかも、片側は河原へ向かって落ち込んでおり、ガードレールもありません。思ったほどの狭さではなかったものの、車一台どうにか通れる幅しかなく、転回どころか離合さえ難しそうでした。落石と脱輪、さらには対向車にも怯えながら延々走れば、相当肝を冷やしたのは間違いありません。それを思えば往復小一時間歩くのもやむなしです。
地図の上ではこの橋と下流側のトンネル二ヶ所が隣接しているようだったため、橋の袂に車を置いて、線路の跡を歩きました。ところが思ったよりも大変でした。一つ目のトンネルこそすぐそばだったものの、その先のトンネルまで片道20分もかかってしまったのです。
しかし、あのまま車を走らせるより、こうした方がよかったのでしょう。何しろ舗装は荒れ、苔生して落ち葉が積もり、さらには至る所に落石と倒木が転がっている有様です。しかも、片側は河原へ向かって落ち込んでおり、ガードレールもありません。思ったほどの狭さではなかったものの、車一台どうにか通れる幅しかなく、転回どころか離合さえ難しそうでした。落石と脱輪、さらには対向車にも怯えながら延々走れば、相当肝を冷やしたのは間違いありません。それを思えば往復小一時間歩くのもやむなしです。
三時が迫ったところでようやく本題に入りました。安田から魚梁瀬森林鉄道の遺構をたどります。最初に訪ねるのはエヤ隧道です。
安田川の右岸に沿って魚梁瀬へ向かう県道の対岸に、車一台分の細い道が並行しており、そのまま走っていくと沿道に石積みの坑口が現れます。明治末期に建設された、国指定重要文化財の代物です。同じく重要文化財に指定された遺構が、ここを含めて実に十八ヶ所もあります。踏査に六時間半かかったという先人の記録からすると、今から全てを回るのはおそらく無理でしょう。とはいえ、全てを回ることに対して強いこだわりまではありません。今日のところは時間の許す限り北上して行くつもりです。
安田川の右岸に沿って魚梁瀬へ向かう県道の対岸に、車一台分の細い道が並行しており、そのまま走っていくと沿道に石積みの坑口が現れます。明治末期に建設された、国指定重要文化財の代物です。同じく重要文化財に指定された遺構が、ここを含めて実に十八ヶ所もあります。踏査に六時間半かかったという先人の記録からすると、今から全てを回るのはおそらく無理でしょう。とはいえ、全てを回ることに対して強いこだわりまではありません。今日のところは時間の許す限り北上して行くつもりです。
なまじ時間に余裕があると、つい寄り道してしまうのが悪い癖です。安芸の城下町に立ち寄ります。
前回訪ねた一帯には、庇のような装飾を施した蔵と商家が建ち並んでいましたが、あれは線路の南側でした。後々知ったのは、反対側に武家屋敷が残った一帯があるということです。情報を頼りに水路と並行する細い道を進むと、水路が一旦尽きたところに駐車場があって、そこに車を置いて散策できるようになっていました。壁面の装飾は同様ながらも、塀があるのが武家屋敷の違うところです。瓦のような平たい石を積み上げて塗り固めた、博多塀によく似た練塀もあれば、背丈ほどの細い竹で作った生垣もあり、いずれについても一風変わった佇まいです。
前回訪ねた一帯には、庇のような装飾を施した蔵と商家が建ち並んでいましたが、あれは線路の南側でした。後々知ったのは、反対側に武家屋敷が残った一帯があるということです。情報を頼りに水路と並行する細い道を進むと、水路が一旦尽きたところに駐車場があって、そこに車を置いて散策できるようになっていました。壁面の装飾は同様ながらも、塀があるのが武家屋敷の違うところです。瓦のような平たい石を積み上げて塗り固めた、博多塀によく似た練塀もあれば、背丈ほどの細い竹で作った生垣もあり、いずれについても一風変わった佇まいです。
自動車専用道の助けも借りつつひた走り、早くも安芸市内に入りました。ただし、先を急ぎすぎても面白くありません。赤野休憩所に立ち寄ります。
日没後も含めると、ここを訪ねるのは三度目ということになりますが、展望所といわずに休憩所と称する理由が何となく分かってきました。展望所を名乗るには眺めがいささか惜しいからでしょう。高台から東を向いて、琴ヶ浜の長い長い砂浜と松林を一望できるのはよいものの、砂浜が直線的で、地形の起伏が乏しいため、写真に撮ると思ったほど絵にならないのがここの特徴です。
しかし、今日の絵柄はあながち悪くありません。水彩画のような雲が空全体に広がる中、浜辺に小さな釣り船が一艘だけ浮かんでいて、空と海の広さを実感できるのです。画面上では米粒大にしか見えない、ごくごく小さい船というのに、それだけで眺めが大きく変わるのが不思議ではあります。
日没後も含めると、ここを訪ねるのは三度目ということになりますが、展望所といわずに休憩所と称する理由が何となく分かってきました。展望所を名乗るには眺めがいささか惜しいからでしょう。高台から東を向いて、琴ヶ浜の長い長い砂浜と松林を一望できるのはよいものの、砂浜が直線的で、地形の起伏が乏しいため、写真に撮ると思ったほど絵にならないのがここの特徴です。
しかし、今日の絵柄はあながち悪くありません。水彩画のような雲が空全体に広がる中、浜辺に小さな釣り船が一艘だけ浮かんでいて、空と海の広さを実感できるのです。画面上では米粒大にしか見えない、ごくごく小さい船というのに、それだけで眺めが大きく変わるのが不思議ではあります。
おはようございます。先週末に横須賀を訪ねたとき、久々にかなりの数をはしご酒しました。その経験から導かれたのは、一軒につき酒二合まででとどめておき、もう一本、もう一品という状況で早めに切り上げるのが吉という事実です。今回高知を訪ねるにあたっても、小刻みな継投策で臨む方針を立て、一軒目の「葉牡丹」ではその通りにしました。しかし、「一釣」と「どんこ」ではいずれも三合いただいてしまい、危険水域が迫ってきました。さらに一軒はしごすれば、翌日に禍根を残すと判断して切り上げるという顛末です。「ぼくさん」にも行きたいのはやまやまのところ、三回連続の素通りとなってしまいましたorz
自制心が働いたのは、翌日レンタカーで活動するつもりだったからでもあります。二日目の天候が振るわなければ、「葉牡丹」が開くのを待って一杯やり、午後は琴電にでも乗りにいくつもりでした。しかし、好天ならば昼から酒など食らっている場合ではありません。二日目も晴れそうなことがほぼ確実な情勢となったため、場合によっては呑み屋を切ることも辞さない覚悟で、「葉牡丹」にも「どんこ」にも昨日のうちに行っておいたというのが真相です。早く切り上げられれば一杯やってから帰りの列車に帰りの列車に乗りますが、そこまでの時間は残らないかもしれません。
自制心が働いたのは、翌日レンタカーで活動するつもりだったからでもあります。二日目の天候が振るわなければ、「葉牡丹」が開くのを待って一杯やり、午後は琴電にでも乗りにいくつもりでした。しかし、好天ならば昼から酒など食らっている場合ではありません。二日目も晴れそうなことがほぼ確実な情勢となったため、場合によっては呑み屋を切ることも辞さない覚悟で、「葉牡丹」にも「どんこ」にも昨日のうちに行っておいたというのが真相です。早く切り上げられれば一杯やってから帰りの列車に帰りの列車に乗りますが、そこまでの時間は残らないかもしれません。