佐保路/不退寺山門/F3
平城天皇は譲位した後、平城京の東北の地に、「萱葺の御殿」と呼ばれる御殿を造営しました。その後、平城天皇の第五皇子・在原業平朝臣が萱葺の御殿跡を精舎とし、自ら聖観世音菩薩像を刻んで、堂宇を建て、本尊として安置し不退寺と名付けました。
山門(重文)は鎌倉時代の銘がある建築で、どっしりとした築地塀を左右に控えて、この寺の格式を物語る堂々たるものです。
六歌仙の一人で美男子の業平の歌は多いですが、百人一首の
千早振る 神代もきかず 龍田川 から紅に 水くくるとは
最近は案内標識も整備され迷うことはありませんが以前は結構わかりにくかった。 不退寺へ迷はずに来て花野かな 千里
平城天皇は譲位した後、平城京の東北の地に、「萱葺の御殿」と呼ばれる御殿を造営しました。その後、平城天皇の第五皇子・在原業平朝臣が萱葺の御殿跡を精舎とし、自ら聖観世音菩薩像を刻んで、堂宇を建て、本尊として安置し不退寺と名付けました。
山門(重文)は鎌倉時代の銘がある建築で、どっしりとした築地塀を左右に控えて、この寺の格式を物語る堂々たるものです。
六歌仙の一人で美男子の業平の歌は多いですが、百人一首の
千早振る 神代もきかず 龍田川 から紅に 水くくるとは
最近は案内標識も整備され迷うことはありませんが以前は結構わかりにくかった。 不退寺へ迷はずに来て花野かな 千里