暗峠へ/往馬神社/F3 2008-01-28 08:45:29 | スケッチ この社は、生駒谷の一宮、10月10日の火祭りで知られる往駒大社。 ここから暗峠へ麓の古寺をたづねながら登ります。暗峠への道は、井原西鶴は追剥がでると「世間胸算用」に書いています。また芭蕉もその晩年の秋ここをこえて 『菊の香に暗がり越ゆる節句かな』と詠んでいます。
暗峠へ/往馬神社/F3 2008-01-28 08:45:20 | スケッチ この社は、生駒谷の一宮、10月10日の火祭りで知られる往駒大社。 ここから暗峠へ麓の古寺をたづねながら登ります。暗峠への道は、井原西鶴は追剥がでると「世間胸算用」に書いています。また芭蕉もその晩年の秋ここをこえて 『菊の香に暗がり越ゆる節句かな』と詠んでいます。
額田部・安堵/広瀬神社拝殿/F3 2008-01-25 06:32:57 | スケッチ 広い境内に檜皮葺きの拝殿。「水の神」を祀っています。横を流れる大和川の治水の神様です。近くにある瀧田大社は「風の神」、また生駒にある往駒神社は「火の神」です。
額田部・安堵/広瀬神社一の鳥居/F3 2008-01-22 10:48:39 | スケッチ 奈良に生まれ育ってながいのですが、この神社のははじめて行きました。 五百メートルもあろうかと思う木々に囲まれた立派な参道には驚きです。奈良では、春日大社、大和神社に匹敵するでしょう。 この神社の二月の砂かけ祭は五穀豊穣を祈る奇祭でふるい歴史を持っています。
額田部・安堵/飽波神社 2008-01-19 06:49:54 | 絵画 富本憲吉記念館から西に、かつての斑鳩から飛鳥へ聖徳太子が通ったという太子道があり、この道沿いに、飽波神社があります。安堵総社とも呼ばれ、安堵の氏神となっています。聖徳太子にまつわる言い伝えが数多く残るこの神社は、境内には聖徳太子が太子道を通る際に座ったと伝えられる石があります。
額田部・安堵/富本記念館 2008-01-16 08:29:05 | スケッチ 風格のある門構えをくぐると、地元の名家だった富本家の広い敷地が見渡せる。大和の民家の伝統的な様式で再建した。憲吉が活躍した安堵時代、東京時代、京都時代や、作品別の作品が展示されています。 訪れた俳人秋桜子の句 中庭や 永き日よどむ 竹と石
額田部・安堵 富本記念館/F3 2008-01-13 20:56:51 | スケッチ 富本憲吉は安堵出身の陶芸家で、大正から昭和にかけて陶器の世界に新しい美の境地を切り開き、人間国宝第一号に指定されました。クスノキの大木の右手が本館。代々大庄屋で、堀に囲まれた陣屋風の門です。
額田部・安堵 中家住宅/F3 2008-01-10 06:42:05 | スケッチ 敷地は二重の深い堀で囲まれ、外堀と内堀の間は鬱蒼とした竹林が生い茂っています。昭和43年国の重要文化財に指定されています。
額田部・安堵 中家住宅/F3 2008-01-07 08:38:28 | スケッチ 代々庄屋格と伝えられる民家。中家住宅は1万㎡にも達する。正確な建築年代はわからないが、家系譜などによれば1659年に建てられたものと推定されいます。典型的な大和棟の主屋です。主屋と表門などが重要文化財に指定されています。 なお、同家には1576(天正4)年に漬けられたという梅干しがあるといいます。
額田部・安堵 光妙寺/F3 2008-01-04 08:10:23 | Weblog 「国中」と呼ばれる奈良盆地中央部の平端・額田部付近をたづねます。 絵は来迎寺境内です。近くに聖徳太子創建といわれる地名にもなっている額安寺もありますが、いずれも建物は新しく、絵になりにくい。