奈良大和路水彩スケッチ散策

奈良・大和路の風景を寺社仏閣中心に水彩スケッチ探訪

「北山辺の道」の紅葉/正暦寺土蔵

2009-12-29 07:23:53 | スケッチ
「北山辺の道」の紅葉/正暦寺土蔵/F3
本堂の一角に土蔵があります。寺宝を入れているとは思えませんが、ちょっと絵になる風景景です。
菩提川さかのぼりつゝ秋深し 無涯子

今年の最後にの投稿になると思います。有り難うございました。
よいお年を!

「北山辺の道」の紅葉/正暦寺本堂

2009-12-26 07:00:02 | スケッチ
「北山辺の道」の紅葉/正暦寺本堂/F3
奈良の「錦の里」と呼ばれる正暦寺は、正暦3年(992)、一条天皇の発願により兼俊僧正が創建し、当初は86の堂塔伽藍を数えましたが、たびたびの兵火に焼かれ、明治の廃仏殿釈によって荒廃し、現在は福寿院客殿や本堂、鐘楼などにわずかに面影をとどめています。参道にそって流れる菩提仙川の清流は、と紅葉はみごとな紅葉で埋まりまり、臨時バスが出るほどです。
本堂の左側に万葉歌碑があります。
経たてもなく 緯きぬも定めず 娘子らが 織るもみちに 霜な降りそね 1512(大津皇子)

北山辺の道」の紅葉/弘仁寺

2009-12-23 06:58:00 | スケッチ
「北山辺の道」の紅葉/弘仁寺/F3
弘仁5(814)年、嵯峨天皇が夢で霊山を見て、それを公卿、小野篁に伽藍を建てさせ弘仁寺と名付けました。このように、この寺は平安時代からの歴史を持つ古刹で、本尊の虚空蔵菩薩は「知恵の虚空蔵さん」と呼び親しまれ、13歳になった子供が知恵を授かりに参詣する十三詣りの風習で知られています。若き空海がこの修法を行ったともつたえられていますが、室町時代、松永久秀の兵火にかかり、貴重な文書をほとんど焼失してしまいました。
いまの本堂は、寛永6年(1629)、僧宗全により再興されたものです。

「北山辺の道」の紅葉/円照寺本堂

2009-12-17 07:24:01 | スケッチ
「北山辺の道」の紅葉/円照寺本堂/F3
桜井から天理までの道を「南山辺の道」、天理から奈良までを「北山辺の道」とよんでいます。「北山辺の道」の沿道には紅葉の美しいお寺が散在します。数枚ご覧下さい。

円照寺、山村御殿呼ばれる美しい尼寺で、中宮寺、法華寺とならぶ大和三門跡の一つです。後水尾天皇の第一皇女文智内親王により創建され、現在でも華道「山村御流」の家元として広く知られています。また、三島由紀夫の小説「豊饒の海」に登場する月修寺のモデルといわれ、清らかな参道や付近の小道には別格の趣がただよいます。