奈良大和路水彩スケッチ散策

奈良・大和路の風景を寺社仏閣中心に水彩スケッチ探訪

来迎寺/F3

2007-08-30 05:03:29 | スケッチ
 周りは木がうっそうと茂り暗い石段の上にある。
 奈良時代に行基が開基したともいわれるが、摂津の多田源氏一族が草庵を結んだのが事実上の創建となるようで、この寺は多田来迎寺ともよばれている。
 現在の本堂は1629(寛永6)年の再建といわれる。本堂内の木造善導大師坐像は、国重文であります。
 絵は階段を上がったところにある山門。
 

都祁氷室神社/F1

2007-08-27 10:46:17 | スケッチ
 今回から4回、奈良盆地東部三重県に近い、「大和高原・都祁」を紹介します。子供の頃の「都祁」は山奥の感覚でしたが。今年「奈良市」に合併され、直通のバスも通るようになりました。

 社伝によると5世紀前半允恭天皇の時代の創祀といわれています。
 この地は標高500メートルぐらい、冬の氷を氷室に保存し夏になるとそれを朝廷に献上していました。
 皇室の崇敬がことのほか厚かった氷室神社は、氷に関する一切の守護神として祀られることとなりました。
 古代の氷の用途としては、飲食のほか皇室の殯などの際の死体の保存用に使われたといいます。
 神社は、山口神社など他にもあり、いずれもよく整備されていて、
「神さぶる都祁」の地です。

唐古・鍵遣跡/F3

2007-08-21 06:49:21 | Weblog
 昭和11年、国道の建設にあたって唐古池の土をとる工事が行なわれたとき、池底から多くの弥生式土器とともに石器や木器・多くの竪穴もみつけられた。土器は器形・装飾など変化にとみ貴重な原始絵画、彩色を残すものもあって、弥生時代の農耕生活の実態をあきらかにしたものとして注目されて、全国的のも有名な遺蹟。
 シンボルの楼閣は渦巻状のユニークな屋根飾りが特徴となってて、邪馬台国の「楼観」を思わせる構造になっています。平成六年、同遺跡で見つかった土器に描かれた絵をもとに復元されました。
 今いでし 土器に余寒の 迫るなり  湖月 
 出土当時は興奮の渦に包まれたのでしょう。

田原本/鏡作神社/F3

2007-08-18 05:58:13 | スケッチ
 鏡類を製作鋳造することを業としていた鏡作部がこの地一帯にわたって住居し、御鏡を氏神として奉祀した神社。古来、鏡鋳造鋳物元祖の神として信仰されています。
 10年ほど前までは、田園地帯の大きな鎮守の森でしたが、今は住宅開発が進み、付近の景観は様変わりしています。

糸井神社/F3

2007-08-15 06:34:04 | スケッチ
 『延喜式』神名帳にみえる古社です。祭神については、社名の「糸井」からは機織(はたおり)りの技術者集団にかかわる神が祀られたものと推測されます。
 中世以降の来郷宮として結崎郷の人々の生活に深く関わってきたが拝殿に奉納された絵馬からそのことがうかがうことかでき、うっそうとした森に囲まれた境内には、30基を超える石灯籠が並んでいます。

村屋坐弥富都比売神社(森屋神社)/F3

2007-08-13 08:51:07 | スケッチ
 延喜式内社の古社であり、壬申の乱に際して大海人皇子軍に
今吾が社の中道より、軍衆至らむ、故、社の中道を塞ふべし」(『日本書紀』)
という神託を与えた神であるとされ、また、天武天皇がこの社を訪れ、森のなかの屋にこもったため「森屋」と称するようになったと伝えられる。
 境内を古代の街道「中ッ道」が南北に走るが、それが先の神託にいう「道」で、周辺十三ヶ村の郷宮として信仰を集めています。
 広い境内は、奈良盆地部に残されたすくない広葉樹林の森として県の天然記念物に指定されています。

田原本/法楽寺/F3

2007-08-07 12:45:57 | スケッチ
 天地山法楽寺(真言宗)は、聖徳太子によって建立された寺と伝えられる。江戸時代には繁栄したが、明治維新の神仏、分離で荒廃した。本堂右手の鐘楼堂の梵鐘は室町時代のもので、この時代の特徴が著しいといいます。
 絵としては拙い構図になりました。

●田原本の町

2007-08-05 07:29:16 | スケッチ
 田原本は、明日香藤原宮と平城京朱雀大路を結ぶ下つ道。その中ほど、奈良盆地のほぼ中央に位置する町であり、初瀬川などにも近く、河川交通の便にも恵まれ江戸時代には、平野氏の陣屋町として奈良盆地の商業の中心として栄えました。このあたりの社寺を紹介します。