奈良大和路水彩スケッチ散策

奈良・大和路の風景を寺社仏閣中心に水彩スケッチ探訪

郡山の街並み/紺屋町

2010-02-28 07:49:11 | スケッチ
郡山の街並み/紺屋町/F3
郡山の街は職業別に「魚町」「塩町」「雑穀町」「豆腐町」「茶町」…。商業都市、郡山らしいこれらの地各の由来は、一五八五年に城主となった豊臣秀吉の弟、秀長の時代に各種の職人が集まって形成された地域を商工業種別に街編成したものです。
ここは「紺屋町」。中央の紺屋川と名付けられた小川の両側に当時は、十三軒の染め物やさんがあって、染め物をさらしたところ。一時は穢いドブ川でしたが、時の市長が「金魚の住める川にする」(金魚は郡山の名産)と宣言しました。あれから十年以上たって、金魚は泳いでいませんが、きれいな小川になっています。両側の街並みは昔は染物屋さんだったのでしょう。
通りに「箱本館」と呼ばれる老舗に資料や染め物の体験も楽しめます。

郡山の街並み/洞泉寺町2

2010-02-25 08:16:47 | スケッチ
郡山の街並み/洞泉寺町2/F3
灯が消えてから、もう五十数年。雨戸を閉めたままですが、未だにこんな建物が存在します。
三階の小部屋は何のために?、二階のベランダ風の出っ張で、遊女の客引きの嬌声が響いたのでしょうか。
郡山には、もう一カ所同じような場所があります。人々が集まる街だったのでよう。

郡山の街並み/永慶寺

2010-02-16 09:04:23 | スケッチ
郡山の街並み/永慶寺/F3
郡山城主柳澤家の菩提寺で、柳澤吉里が甲府から国替の際、当地に移築したものです、山門は幕末に郡山城城門を移築したもので、郡山城の遺構として、当市に残る唯一の建造物です。
境内に柳沢家の墓所があり、句碑があります
秋雨や 車無ければ 歩くまで  虚子
山門と言えば、名城高取城も取り壊されましたが、山門が小嶋寺に移築され、高取城の唯一の遺構となっています。

郡山の街並み/柳沢神社

2010-02-13 06:47:12 | スケッチ
郡山の街並み/柳沢神社/F3
柳沢家の初代藩主吉保を祀っています。この近くの郡山城の二の丸址にある旧制郡山中学(現郡山高校)の生徒にお参りするよう強いたことがあったようです。「将軍綱吉の腰巾着になぜ頭を下げる?」との疑問もあたようですが、学校の前身が郡山藩の藩校であったこともあるのでしょうが、吉保は甲府で三百石の小身から平時では異例の12万石まで出世、「出世の神様」として、今も参詣者が絶えません。


郡山の街並み/大手門

2010-02-06 08:55:15 | スケッチ
郡山の街並み/大手門/F3
戦後再興された郡山城大手門と大手門櫓です。
奈良時代にはこの辺りに平城京の羅城門があり、東大寺領に属し、寺領「郡山」と呼ばれていました。
中世末期の混乱を経て、織田信長と組んだ筒井順慶が、大和を統一、筒井から郡山に移り、城郭の整備にかかりました。
ところが本能寺の変・山崎の合戦で政権を握った豊臣家は秀吉の弟大和大納言秀長が、紀伊、和泉、大和三ケ国で百万余石を領し、郡山城に入り、本格的な築城を始めました。紀州根来寺の大門を城門にしたり、周辺の神社、仏閣から仏石、墓石、羅城門の基礎石等、あるいは春日奥山から大石を切り出し運んで、城郭の大増築と城下町の建設をしました。奈良は石が少ないこともあって、相当強引な築城があったようです。本丸の石垣には地蔵菩薩が積み込まれ、今は“逆さ地蔵”として祀られています。
江戸時代に一度は解体され、伏見に運ばれたようですが、再びここに戻って親藩の数代の城主の後、享保九年(1724)五代将軍徳川綱吉の側用人をつとめた柳澤吉保の子、吉里が甲府より転じ十五万石を以って入部しました。二代目信鴻以降常に文治に秀でた藩主に恵まれ、城下を中心として栄えました。
数奇な運命がありましたが、築城の基本は豊臣秀長のよるものです。残念ながら明治になって“廃城令”により取り壊されましたが、“廃仏毀釈”と共に、日本の文化遺産を壊した明治政府の大きな失政でしょう。
なの花の 中に城あり 郡山  許六
十五萬石の 城下へ 花の坂  青畝

秋篠川にそって/秋篠寺本堂

2010-02-01 06:54:56 | スケッチ
秋篠川にそって/秋篠寺本堂/F3
西大寺から西北一粁、秋篠寺があります。秋篠の里の雑木林の中にたたずむ光仁・桓武両天皇の勅願寺で、奈良時代最後の寺院。
西大寺とならぶ大寺で、隆盛を極めましたが、保延元年(1153)兵火に罹り講堂を残して主要伽藍の殆どは焼失、その面影は境内外の林中に点在する数多の礎石によって偲べます。その講堂が今の本堂(国宝)で、鎌倉時代に大修理をしたので実際は鎌倉時代の建物ですが、外見は天平建築の風格があって東大寺三月堂に似た美しい姿をしています。
秋篠は げんげの畦に 仏かな 虚子
本堂の伎芸天像は、憂い含む微笑みと優美な姿で多くの人を魅了し続けています。