奈良大和路水彩スケッチ散策

奈良・大和路の風景を寺社仏閣中心に水彩スケッチ探訪

富雄川に沿って/高山の里/F1

2007-09-29 12:23:13 | Weblog
富雄川に沿っての風景を数回みていただきます。
富雄の谷を流れる富雄川は高山の付近に端をはっし、斑鳩で大和川に合流しています。万葉の昔から「とみの川」として発展してきた里です。
中世は、興福寺の領地。江戸時代には、郡山藩のほか旗本家所領となったりました。このあたりは、静かな川筋の風景が残っています。
君が代は とみの小川の 水すみて 千年を 経もたえじとぞ思ふ (金葉集)


吉田寺/F1

2007-09-27 07:13:28 | スケッチ
境内には、本堂のほか多宝塔(室町時代、国重文)があり、方3間2層の本瓦葺きで、奈良県内に残る数少ない多宝塔で内部の大日如来は、秘仏です。
また、この寺は“ぽっくり信仰"で知られており、高齢者社会のなかで問題になっている寝たきりなどの切実な問題に、せめて人生の最後は"ぽっくり"と、若い者に迷惑をかけずに往生したいという悲しい望みです。
「ぽっくり」とは、下の世話をかけないということで、心臓麻痺などでの急逝ばかりを意味するものではないようです。


龍田旧街道/F1

2007-09-20 10:32:34 | スケッチ
国道25号線のごく北側を平行して通る旧龍田街道の町並、町並みを西へ進むと、再び国道二五号へ出て、急坂を下ると猫坂と龍田大橋が見えてくる。龍田大橋は昔も今も大阪・信貴山・生駒・當麻・奈良方面へ分岐する道が集まり、交通の要所となっています。また、ここは時期は早いですが、瀧田川周辺は、紅葉の名所。在原業平の
千早ぶる 神代も聞かず 竜田川
 からくれなゐに 水くくるとは
 が思い出されます。

八幡神社/F1

2007-09-15 20:30:03 | スケッチ
八幡神社(祭神誉田別命)である。俗に薬隆寺八幡ともいわれ、東方にあった今はない薬隆寺廃寺の鎮守であったと考えられています。
 本殿(国重文)は一間社春日造・檜皮葺、細部にわたる技巧が優れ、室町時代の特徴をよく残しているといわれています。
このあたりから大阪への「龍田越街道」があったのでしょうか。


龍田大社/F1

2007-09-09 09:10:52 | スケッチ
本日から法隆寺から西に延びるかっての大阪への街道「龍田街道」とその周辺の寺社や町並を紹介します。

斑鳩町の龍田神社の本宮にあたります。「日本書紀」の天武天皇四(675)年の条に、風神を龍田の立野にまつらせ…、という記事があり、朝廷の祭祀を受けた神社であります。
龍田大社の祭神は風の神で、風水害をのぞいて穀物の豊作を祈る風神祭が毎年行われる。『延喜式』では、名神大社とされ、国家の重事に奉幣使が遣わされる二十二社に数えられる重要な神社であっで、中世には衰退しましたが、江戸時代に朱印領が安堵され、明治時代になると官幣大社に列せられていました。

都祁水分神社/F3

2007-09-06 07:12:44 | スケッチ
 延喜式などに載る由緒ある大社。大和国水分四社のうちの一つで、大和川と木津川の水の分配を司る神として古くから信仰を集めています。
 室町中期に建造された本殿は春日造・檜皮葺で、国の重要文化財。

山辺の 御井を見がりて 神風の 伊勢処女ども 相見つるかも
の万葉の歌でで知られる「山辺の御井」もこのあたりといわれており、この歌碑が境内にあります。