奈良大和路水彩スケッチ散策

奈良・大和路の風景を寺社仏閣中心に水彩スケッチ探訪

上街道/櫟本馬繋ぎの家

2011-02-26 07:33:41 | スケッチ
上街道/櫟本馬繋ぎの家/F3
奈良と飛鳥を結ぶ上街道に沿ったここは、東大寺領櫟本庄として、江戸時代まで,東大寺を領主として発展してきました。
交通の要衝であったことから,中世から市が立ち,市場町として、商業が盛んになり、ここ「馬出」の町並みが生まれた。戦後しばらくまでは大和盆地の東の大和高原の薪炭をウマに乗せてこの地までくだり、帰りは食料品や日用品を乗せて帰りました。運搬用のウマがつながれた「馬つなぎ」の遺構が残っている家もあります。

上街道/帯解寺

2011-02-23 10:10:54 | スケッチ
上街道/帯解寺/F3
安産の寺として古くから知られる古刹です。文徳天皇の皇后が、ここの地蔵に祈願して、のちの清和天皇を無事に生んだことから、勅命で寺号を帯解寺にしたと伝わっています。その後も、徳川二代将軍秀忠が祈願し、のちの家光が生まれました。近くは美智子皇后が祈願したなど天皇、将軍家から庶民までの信仰をあつめ、いまも県内外からの参拝者がたえません。
寺院は、平重衡の南都焼き討ちにより焼失し、その後も松永久秀により焼かれましたが、徳川将軍家の援助などにより再建されています。

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2011-02-20 07:04:03 | Weblog
上街道/町並み/F3
興福寺南円堂前から真っ直ぐ南への古道、上つ道。現在上街道と呼ばれる道は南都奈良から三輪桜井に至る古道の一つです。このみちを、帯解から櫟本まで歩きます。
上街道は庶民の間でも大和めぐり、伊勢参り、高野山詣で、櫟本・丹波市・柳本の市場・宿場はにぎわいをみせました。しかし、昭和三〇年代に入って、上街道東側に新道(国道一六九号)が開通したため急速にさびれ、今では閑静な通り道になっています。

北山辺の道/円照寺

2011-02-19 09:03:03 | スケッチ
北山辺の道/円照寺/F3
山門を入ると、山門の向こうは掃き清められた白砂の中に踏石がつづいています。拝観が認められていないので、境内の様子はわかりませんが、本堂の円通殿、震殿、奥御殿、葉帰庵などがあるといいいます。境内には、静寂な雰囲気が漂っています。
円照寺紅葉時雨となって来し 渓仙

北山辺の道/円照寺黒木門

2011-02-12 08:42:57 | スケッチ
北山辺の道/円照寺黒木門/F3
県道から円照寺の参道に沿って進むと、右側に万葉歌碑があります。山村御殿とも呼ばれる美しい尼寺で、中宮寺、法華寺とならぶ大和三門跡の一つです。後水尾天皇の第一皇女文智内親王により創建され、華道「山村御流」の家元として広く知られています。
参道黒木門近くに万葉歌碑があります。
 あしひきの 山ゆきしかは やま人の われに得しめし 山つとそこれ 元正天皇