奈良大和路水彩スケッチ散策

奈良・大和路の風景を寺社仏閣中心に水彩スケッチ探訪

富雄川に沿って/霊山寺本堂

2011-04-25 06:21:38 | スケッチ
富雄川に沿って/霊山寺本堂/F3
富雄川にかかる橋を渡ると、朱塗の大鳥居が先ず目にとまります。霊山寺は天平八年(736年)聖武天皇の勅命で、行基菩薩が伽藍を建立したといいます。桁行五間、梁間六間、一重入母家造り本瓦葺の国宝本堂は鎌倉時代の代表的建物。弘安六年(1283)改築、昭和十七年解体修理を行っています。重要文化財の本尊薬師如来、脇侍日光・月光菩薩は春日厨子内にあり秘仏・十二神将・二天王・大日・阿弥陀如来。行基菩薩・菩提倦那を祀ています。
花さけば 愛も浄土か 霊山寺  常空

富雄川に沿って/長弓寺本堂

2011-04-22 09:05:15 | Weblog
富雄川に沿って/長弓寺本堂/F3
塔頭の間の幅広い石段の上に高々と長弓寺本堂の端厳な姿があらわれます。国宝にそむかぬ美しさで、入母屋造り、檜皮葺、とくに大屋根の両端を反らせた線が優雅。
寺の由来は豪族真弓が聖武天皇に従って狩をした時、誤って子の長麻呂の矢に当って死んだのを天皇が哀れみ、行基に建立を命じたといいいます。
戦乱などで寺勢が衰退しましたが、昭和前期に弘安二年(1379)建立の本堂が修理され、現在に及んでいます。本堂は入母屋造の檜皮葺。重要文化財の本尊は黒漆厨子のなかにおさまる秘仏、木造十一面観音立像です。
槙の芯 浮ぶ六器や 長弓寺 皓平

富雄川に沿って/長弓寺山門

2011-04-18 09:07:18 | スケッチ
富雄川に沿って/長弓寺山門
奈良市の西北端にある富雄は鵄邑(とびのむら)と呼ばれて神武天皇の故事に因むところ。長弓寺はこの里の名刹でです。富雄川沿いに細長い丘陵地帯が続く、その丘陵をたて割にした入口があり「真弓山長弓寺」の石碑が立っています。富雄川に架かる橋を渡ると、真直ぐの美しい参道の中ばに脇門をもつ古い山門が孤立してあります。以前は築地が巡らされていたであろこの門を入ると松並木となり約五十米程奥まった山陰に立派な民家風の塔頭四院の白壁の塀と石垣が見えてきます。(円生院・法華院・宝光院・薬師院)

富雄川に沿って/王龍寺本堂

2011-04-13 13:36:46 | スケッチ
富雄川に沿って/王龍寺本堂
ゴルフ場添う参道は明るいが山門を一歩はいると、俗界と遮断されたような霊気が襲う。残された寺域の山は、茂るにまかせたジャングルでです。本堂までの砂利道の両側には、かぼそいが、美しい水がちょろちょろ流れている。ゴルフ場から、いきなりこの仙境に入ると、様相が一変します。本尊は、巨岩に彫られた高さ約2mの十一面観音像。
この王龍寺の森は奈良市内にのこる貴重な自然林として市の文化財の指定をうけており、巨樹も多い。やや急な山道は苔むして、「樹林は空を隠す」です。寺ではこの山道を「開運道」と名づけています

富雄川に沿って/王龍寺山門

2011-04-09 06:05:58 | スケッチ
富雄川に沿って/王龍寺山門/F3
富雄川沿いの丘陵にあり聖武天皇の勅願で建立され、郡山藩主本多忠平が再興したと伝えられています。本尊は、巨岩に彫られた高さ約2メートルの十一面観音像。
富雄川から新興住宅とゴルフ場に沿って、車で登っていきましが、このゴルフ場が出来るまでは、昼も暗い木立の道を、汗しながら登ったといいます。
寛政三年(1791)の『大和名所図会』によると、「林谷幽邃にして、松桧鬱然鰻たり。巌崖奇透にして、中に巨岩あり……」と寺への道をしるしてます。

富雄川に沿って/法楽寺

2011-04-03 06:14:15 | スケッチ
富雄川に沿って/法楽寺
参道の途中の窪地に本堂と鐘楼が建ち、一段高い場所に庫裏があろます。法楽寺は聖武天皇の勅願により行基が建立した寺といい、本堂は寛文三年(1663)の再建です。当寺は高山八幡の神宮寺といわれました。
この付近一帯に広がる集落が、茶筅などの伝統工芸を今に伝える高山の里で、約20軒が茶筅づくりを行っていて、我が国の茶筅の大部分を作っていましたが、現在は中国産に押されているようです。