奈良大和路水彩スケッチ散策

奈良・大和路の風景を寺社仏閣中心に水彩スケッチ探訪

正倉院参道銀杏

2012-04-23 05:33:44 | スケッチ
正倉院:大仏殿の西北300メートルにあり、宮内庁の管理下におかれ、特別な国有財産となっていなすがもともと正倉院は、南都の諸大寺や官庁のいずれにもあった正式な宝庫をさす名称ですが東大寺のみが完全な形で残った。それで正倉院は東大寺のそれと固有名詞となりました。
 聖武天皇の七回忌に、光明皇后が献納した天皇遺愛の御物をはじめ、大仏開眼供養の際使用された仏具・調度品、その他の法会に使われた品々及び古文書等が納められています。これらは奈良時代の美術工芸の粋を伝えているばかりでなく中国・インド・ペルシャ方面から渡来したものも多数ふくまれており、まさに東洋古美術の宝庫といえます。これら収蔵品は勅封として管理されています。
 また戦後旧庫の南西に鉄筋コンクリート造りの、近代的な設備をととのえた収蔵庫が新築され、宝物は新宝庫に移され保存されています。


正倉院参道銀杏/F3

 大仏殿の北側にある正倉院、正門に至る道は参道と言っていいのか解りませんが、季節には銀杏で時期には素晴らしい景色となります。
校倉に のぼるときめき 庭紅葉  蘇泉

手向山神社

2012-04-20 06:01:24 | スケッチ
手向山神社/F3
 若草山麓方面からの手向山神社です。南鳥居の近くに、次の歌が刻まれた万葉歌碑がります。
秋萩の 散りのまがひに 呼び立てて 鳴くなる 鹿の聲の遥けさ 
春日大社から北へ若草山山麓の土産物街を通ってくるとここ手向け山神社は東大寺の鎮守。長い歴史があります。
 この鳥居は、昨年までは朱の鳥居でしたが、老朽化でしょうか、石の鳥居に変わりました。
 前にも紹介しましたが、この近くに、芭蕉の歌碑があります。
奈良七重 七堂伽藍 八重桜

手向山神社

2012-04-18 06:34:59 | スケッチ
 手向山神社:聖武天皇が発願した大仏建立の大工事守護神として天平感宝元年(749)、仏教の守護神として信仰されていた宇佐八幡宮を勧請したのが手向山八幡宮の始まりです。以来、この社は東大寺の鎮守社として厚く信仰されてきましが明治の神仏分離令で神社として独立しています。当初は大仏殿の前にある鏡池の東側に建立されていましたが平家の南都焼き討ちで焼失。建長2年(1250)現地に再建されました。僧形八幡神坐像(国宝)は鎌倉時代に重源上人の発願で、仏師快慶が造ったものです。
手向山神社/F3   
 正面からの手向山神社、この辺りは紅葉の名所です。

このたびは 弊もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに 菅原道真

二月堂回廊

2012-04-17 06:24:02 | スケッチ
二月堂回廊/F3

二月堂は上院高台に、西面して立ています、舞台から大仏殿の大きな屋根を奈良市内の町並みが広がており遠く信貴・生駒の連山まで望めます。この回廊を通称「お水取り」とよばれる東大寺修二会の松明が走ります。この行事が旧暦2月に行われることから二月堂とよばれるようになりました。752年に始められたお水取りは、以来千二百六十数年にわたって一度の中断も無く行われていて驚異的です。二月堂は戦火、松明の灯明などの失火によりしばしば焼失しました、現在の建物は、1669年に再建されたものです。本尊の十一面観音像は秘仏です。
水取や こもりの僧の 沓の音 芭蕉

二月堂裏参道

2012-04-16 06:35:18 | スケッチ
二月堂裏参道/F3
大仏殿から裏参道と呼ばれる坂道を上り詰めた丘陵部にあるのが二月堂です。塔頭寺院が並ぶ静かな石畳の道は、四季折々の散策に絶好のコースです。この築地塀辺りは、休日などはスケッチをする人がよく座っています。

東大寺指図堂

2012-04-09 05:57:30 | スケッチ
東大寺指図堂/F3
勧進所の東方、左がわの指図堂(中門堂址)は、浄土宗祖・法然上人二十五霊場の一つです。重源の再建中、その師である法然がやってきて、いろいろ指図したところといいます。いまの堂は江戸時代のもので、本尊は法然上人画像です。

東大寺大鐘楼

2012-04-07 07:11:36 | スケッチ
大鐘楼/F3
創建当初の鐘楼は、平家の焼き討ちで失われた。再建は、大仏殿や南大門とともに重源が考案した「大仏様」とよばれる形式です。吊られた梵鐘は、奈良時代の鋳造で国宝。高さ約3・8m、重さ約26トン。16世紀以前の鐘では日本最大です。
 除夜の鐘 音も大ぶりや 奈良二郎 日月子
また、北側には鎌倉時代の東大寺再建の重源を祀った