星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

祈りの日。

2015-01-17 | その他のイロイロなこと
20年たってしまった。
そんな昔の出来事になってしまったことに驚く。
20年がたち、見た目は街が復興したように見えるかもしれない。
震災を経験していない若い人にとっては、たんなる歴史上の
出来事になってしまっているのかもしれない。地元の若い人たち
には、東日本大震災のほうが自分に身近なこととして受け止めら
れるのかもしれない。


あの地震発生後、私は何をしていたのだろう。
細かいことはすでに忘れてしまったが、思い出せることをランダム
に書き出してみようと思う。

●直後にしたことは?
しばらく動けなかった。家人と声を掛け合って部屋から這い出た後、
まず、身内と電話連絡で安否を確認し合った。
幸い同県に住む身内が皆無事であることだけはわかった。
しばらくしてから自宅の電話が通じなくなった。
携帯電話はまだ持っていなかった。

●家の中の状態は?
電気がつかず、真っ暗でよくわからないが足の踏み場がなかった。
とりいそぎ乾電池と懐中電灯を集め、家の中の状態を把握した。
いろんなモノが倒れたり、落下したり、壊れたりでグチャグチャ
だったので、家の中を靴をはいて歩き回っていた。

●直後の情報の収集方法は?
ベランダで黙視。
携帯ラジオ。

●移動
道が寸断されており、地域から出られなかった。

●水は?
給水のとき、何も入れるものがなかった!
水の入ったポリタンクを用意しておくのは今では常識かもしれ
ないけれど、当時はね。家で一番大きなボウルに入れてもらって、
それがこぼれないよう高層階まで歩いて運んだのは今では笑い話。
そういえば、水、入浴、トイレ・・・自衛隊の皆さんのお世話に
なりました。ほんまにありがたかった~。
地域的には灘の酒どころだけあって、酒造会社さんにも水をいた
だきにいきました。工場が大変な時なのにこちらにも感謝です。
食糧配給のなかに、某ビール会社提供の水があり、ビール瓶の中に
ビールではなく水が入っていたという珍しいものもありました。
とにかくいろんな方々のお世話になりました。

●やりかけの仕事は?
大阪の会社のPCが壊れていないか気になったが、出社できず。
神戸市のバレンタインデー関連の仕事が進行中だったが、状況判断
で印刷を急きょストップしてもらうよう電話をした。公衆電話から
連絡したということは、自宅の電話がつながらなかったのだと思う。

●共同住宅での役割は?
その年は共同住宅の理事(当番制)にあたっていたため各住戸に
食糧品を配布する準備をした。
地域内の食品工場にお願いをし、生ものや期限切れが近いものを
回してもらえるように交渉をしたと聞いたが、交渉したのは
誰だったのだろう? 地区の自治会? そんなさなかに自分だけでは
なく地域全体のことを考えてすでに行動している人がいたことに
当時は驚いた。
近所のスーパーから冷凍品を提供してもらえるとの情報があったが、
なぜだか行かなかった。理事がマンションの連絡係になっていたため、
自宅のことよりそちらを優先して行動していたためと思われる。

マンション内での情報収集と整理、告知、掲示。配布。
通勤できるようになるまではしばらくそんなことをしていた。
交通手段や水、食糧品、入浴・・・日々、いや刻々と情報が変わるので、
古い情報を破棄して更新することは重要な仕事だ。
そういえば、海水を利用した臨時シャワーの設置も・・・あったなあ。

・・・ほんとにツラツラと書いてしまった。


きょうの5時46分。いつものように自宅で黙祷をささげた。
阪神淡路大震災と震災関連で亡くなられた人々のことを想い、
今年も1月17日を祈りの日にしよう。


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