今朝、友人からメールをもらってTVをつけた。
とても信じられないことが起きていた。
勘三郎さんが? 亡くなった・・・?
朝から涙が出て止まらない。
歌舞伎ビギナーの私なんぞがこんなこと、言うのも書くのも
おこがましいかぎりだけれど。
勘三郎さんにお礼を言わなくちゃ。
心からそう思います。
私に歌舞伎を観るきっかけをくださった大切なひと。
オイデオイデと手招きして、ひょいとハードルを越えさせ、
ほら歌舞伎って楽しいでしょ、と舞台でその面白さを
豪快に、繊細に、見せてくださったひと。
ほんとうにありがとうございました。
12月1日の南座顔見世。
勘九郎さん襲名の口上では、勘三郎さんが病気のためこの場
にいないことを「父になりかわましてお詫び申し上げます」と
七之助さんが先に言った。
初日の挨拶で「勘三郎の息子に生まれたことを誇りに思います」
と語り涙を誘った勘九郎さんは、もうそんなふうには言わなかった。
「このたび襲名披露ができるのは父のおかげ。会社(松竹)の
おかげ。諸先輩方のおかげ。そして、舞台を観に来てくださる
お客様のおかげでございます」と、なにも特別なことばを付ける
ことなく挨拶し終えた。お父様にそっくりの声で。
実はそれが、千穐楽まで平常心でやり通す、覚悟の口上だった
のではないかと、今日はじめて気がついた。
あれから4日後。
お父様が亡くなられてすぐの口上で勘九郎さんは、どんな挨拶を
したのだろうか?
列座された皆さんは襲名祝いに加えて、勘九郎さんと七之助さん
の二人をよろしく、中村屋一門をよろしく、と異口同音に挨拶され
ていた。いつもの口上の風景ではあるけれど、「兄弟二人」
いう言葉がいっそう心にしみる日だった。
12月5日の口上
>> デイリースポーツ
>> MSN産経ニュース
私にきっかけを作ってくださった演目は「野田版 研辰の討たれ」。
それがシネマ歌舞伎になった際のインタビューで、野田さんに
ついて語られた時の一節を下記に引用転載させていただきます。
「最近二人で話すことは、お互いあと何年役者を続けられる
だろう、ということ。役者に定年はないし、引退興行なんてする
つもりもないから、おそらく死ぬまで続けるんだと思います。
だけど、今のように体が動かせるのは60歳までかな。
その後は、味が出せる芝居をしていくことになるでしょうし、
彼がそれに合った芝居を書いてくれればいい、と思っています。」
60歳を過ぎた勘三郎さんを拝見したかった。
本当にそう思います。
今までありがとうございました。
心からご冥福をお祈り致します。
とても信じられないことが起きていた。
勘三郎さんが? 亡くなった・・・?
朝から涙が出て止まらない。
歌舞伎ビギナーの私なんぞがこんなこと、言うのも書くのも
おこがましいかぎりだけれど。
勘三郎さんにお礼を言わなくちゃ。
心からそう思います。
私に歌舞伎を観るきっかけをくださった大切なひと。
オイデオイデと手招きして、ひょいとハードルを越えさせ、
ほら歌舞伎って楽しいでしょ、と舞台でその面白さを
豪快に、繊細に、見せてくださったひと。
ほんとうにありがとうございました。
12月1日の南座顔見世。
勘九郎さん襲名の口上では、勘三郎さんが病気のためこの場
にいないことを「父になりかわましてお詫び申し上げます」と
七之助さんが先に言った。
初日の挨拶で「勘三郎の息子に生まれたことを誇りに思います」
と語り涙を誘った勘九郎さんは、もうそんなふうには言わなかった。
「このたび襲名披露ができるのは父のおかげ。会社(松竹)の
おかげ。諸先輩方のおかげ。そして、舞台を観に来てくださる
お客様のおかげでございます」と、なにも特別なことばを付ける
ことなく挨拶し終えた。お父様にそっくりの声で。
実はそれが、千穐楽まで平常心でやり通す、覚悟の口上だった
のではないかと、今日はじめて気がついた。
あれから4日後。
お父様が亡くなられてすぐの口上で勘九郎さんは、どんな挨拶を
したのだろうか?
列座された皆さんは襲名祝いに加えて、勘九郎さんと七之助さん
の二人をよろしく、中村屋一門をよろしく、と異口同音に挨拶され
ていた。いつもの口上の風景ではあるけれど、「兄弟二人」
いう言葉がいっそう心にしみる日だった。
12月5日の口上
>> デイリースポーツ
>> MSN産経ニュース
私にきっかけを作ってくださった演目は「野田版 研辰の討たれ」。
それがシネマ歌舞伎になった際のインタビューで、野田さんに
ついて語られた時の一節を下記に引用転載させていただきます。
「最近二人で話すことは、お互いあと何年役者を続けられる
だろう、ということ。役者に定年はないし、引退興行なんてする
つもりもないから、おそらく死ぬまで続けるんだと思います。
だけど、今のように体が動かせるのは60歳までかな。
その後は、味が出せる芝居をしていくことになるでしょうし、
彼がそれに合った芝居を書いてくれればいい、と思っています。」
60歳を過ぎた勘三郎さんを拝見したかった。
本当にそう思います。
今までありがとうございました。
心からご冥福をお祈り致します。
間違いであって欲しいと心から思いました。
亡くなったと認めたくなかった。
認めてしまったら本当にこの世からいなくなってしまうような気がして…。
元気なお姿の記憶しかないから、今にもひょっこり顔を出して下さりそうな気がしてならないのです。
チケットがなかなか取れない役者さんだったので、そのうち観に行けたらいいなぁと、のんびり構えていました。
まだまだ観るチャンスはいくらでもあると思っていた自分が歯がゆいです。
生で観ておきたかったです…
嗚呼、本当に勿体なさ過ぎますよねぇ…(涙)
なんで勘三郎さんなんだろうって思ってしまいます。
> まだまだ観るチャンスはいくらでもあると思っていた自分が歯がゆいです。
> 生で観ておきたかったです…
私もこれから先まだまだいっぱい観られると思っていました。
関西に来られた時には拝見してましたけど、観てない
演目・役がたくさんありすぎて。
金曜プレステージで緊急特別追悼番組をするそうです。
なんかそれを見るのもつらいかな~。
復帰まもないとは思えないほど凄かったですね。
ああいうパワーをもらえる座組の中心にいつもいるひとが
勘三郎さんだったんですよねー。
寺島しのぶさんのブログのご紹介ありがとうございました。
読みながらまた涙があふれてしまいました。
こんなふうに周囲のひとたちに書いてもらえる役者さん、
ほんとに素敵であったかくて大きなひとだったのですね。