星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

映画「宮城野」ディレクターズカット版 観賞メモ(1)

2010-06-12 | 映画「宮城野」
映画「宮城野」 (113分)
映画館   名古屋シネマテーク
上映期間  2010年5月29日~6月11日
観賞日   2010年6月6日 10:30~ 15:00~

宮城野、昨日で終わっちゃったんですねー!!
名古屋シネマテーク。
客席数40席のミニシアターだったけれど、すわってみると足は前に伸
ばせるし、前の人の頭は邪魔にならないし、予想外に快適だった。
最前列なんて座椅子? まるでホームシアター状態だ~♪
10:30の回はけっこう詰まっていたけれど、15:00の回は3分の2ぐら
いだったかな・・・。(あはは・・・リピしちゃいました。)







<2つのヴァージョンは別の映画?>
幼い頃の体験がもとで数奇な運命を生きることになったひとりの女性。
その名は、宮城野。
映画『宮城野』もある意味、数奇な運命を背負った作品といえるかも。
生まれながらにして2つのヴァージョンが存在するなんて・・・。
でも、これってすごいことだと思う。
だって、はじめは誰もそんなこと知らなかったんだもん(笑)。
なんかもう伝説っぽいやん。うん。っぽいよ、ゼッタイ!

3月の観賞時の感想には、ひところのATG系映画を思わせる気骨のあ
るつくり、と書いた。山崎監督の独特の作品世界についてはスタン
ダード版でもじゅうぶん味わえたと思う。
今回、ディレクターズカット版で意外だったのは登場人物の内面の見
せ方がよくできていて面白かったこと。
作品全体の手法としては日本の伝統芸能の演出を借りた部分が目につ
くけれど、内面描写に関してはものすごく映像的。
特にスタンダード版には入っていない無声映像の使い方が、この映画
のキモだと感じた。ここの台詞については戯曲にも書かれているほぼ
そのままだし、スタンダード版に入れなかった理由がわからない。
むしろ、無声と有声で二度体験することで、登場人物について想像力
がかきたてられ、映画を見た!という充実感をもたらしてくれる。
そして、ラスト。
戯曲にはない場面を付け足したことについては原作ファンは否定する
かもしれない。でも、あえてそうしたディレクターズカット版の勇気
に私は拍手ですねー。
なぜなら、これがなければ2つのヴァージョンは全く別の映画だと断
言するんだけど(笑)、ラストにつけ加えたことで結果的に宮城野の
自己犠牲の愛について観客はもう一度考えさせられるハメになる。
うまい! 最後の最後にあの方がいう台詞はそれほど深くよく効く言葉
だった。見応えあったなあ。

というワケで、ここから先はネタバレ全開
ディレクターズカット版をこれから見る予定の人はご注意!
できたら読まずに、いつか来るその日まで悶々としてほしいです(笑)。







<伝統芸能系の演出について>
篠田監督の『心中天網島』が文楽仕立てとするなら、この『宮城野』に
は歌舞伎や義太夫の趣向が取入れられている。
スタンダード版ではそれがスパイス的に散りばめられている程度だけど、
今回これを見て編集意図の違いに驚いた。
ただの味付けではなく、本来は意味のある使い方だったんだ~!!

一番の違いは出演者全員が歌舞伎風のメイクと衣装で登場する場面。
スタンダード版では最初のほうに意味もなく入っている映像だったが、
ディレクターズ版を見て、歌舞伎のだんまりだと気づいた。
しかもこの映像が挿入されるのは話が佳境に入ってから。
写楽のニセ絵師である矢太郎が、自分で描いた「宮城野」の版下を写楽
の作品として着服する場面の直後だったと思う。
5人の登場人物がそれぞれ見得や動きを見せる間に、2つの物が手から
手に。最終的に矢太郎が手にしていたのは、宮城野の版下(巻物)。
写楽が手にしていたのは矢太郎が描いた美人絵。
美人絵のほうは、矢太郎が自分の魂のあり処を表現できる唯一の手段で、
その絵が師匠の手に渡り、自分の目の前で破り捨てられる・・・。
という流れをふまえてのだんまりだった。

矢太郎がらみで印象的な演出が2つ。
矢太郎が薄暗い自分の部屋で絵を描いている最中、ふと手が止まり、顔
のアップに。ありぃ~、目に力が入ってるぞ。なんか歌舞伎っぽい、
なんかやりそう・・・と思ったら、附け打ちの音が!カンカン。
矢太郎、片膝をついて口には筆をくわえ、後ろにかかった役者絵を振り
返ってキッと睨み、手を帯に当て、見得!
(ひゃあ~~~っ♪ シマヤッ! )
矢太郎の鬱屈した気持ちが一気に噴出したこの見得、ゾクゾクもの♪
フライヤーの裏面に写真が載っているほどの愛之助さんならではの表現
なのにスタンダード版には入っていない。ああもったいな~い(笑)。






もう一つは入水自殺の場面。
師匠を殺害した後、宮城野の部屋にころがり込む前になんと、矢太郎!
入水自殺をはかるんだよねー。スタンダード版にも戯曲にもないし、
ここが矢太郎の心理状態を測りかねるナゾの行動でもあるわけだけど。
で、自殺未遂に終わった矢太郎が疲れきった姿で歩き出す場面が歌舞伎
仕立てになっている。
頭には吹き流し(手ぬぐい)をかぶり、うつむいて歩くその姿は道行き
か心中の生き残りの男という風情。その前後には蝋燭を持った黒衣が二
人、矢太郎の顔と道を照らしている。
(あーん、矢太さ~ん・・・)

宮城野についても2つほど。
まず、自分がこんな生き方をするようになったきっかけを客相手に語る
場面で女流義太夫(浄瑠璃 竹本綾之助・三味線 鶴澤寛也)が登場する。
スタンダード版ではサワリだけだったと思うが、ここでは宮城野が語り
に合わせて人形振りらしきものを見せる。女の人形には足がないから、
宮城野も膝をついたまま手と膝から上だけで舞う。映像への出語りが
たっぷり味わえるディレクターズカット版、面白い演出だ。
もう一つは、宮城野の最期。処刑場の場面では歌舞伎の雪の音が効果的
に使われていた。ドンドンドンという太鼓の響きに宮城野の心情を重ね
るところがよかった。(これについてはあらためて詳しく。)

スタンダード版ではカットされていたが、黒衣の面灯りはけっこうよく
使われていて、それをフッと吹き消して暗転というパターンもあった。

・・・・・あれっ? 登場人物の観察メモがまだ全然書けてないやん。
長くなるし、きょう土曜日は仕事なので続きは日曜日に。(の予定。)


映画「宮城野」ディレクターズカット版 観賞メモ(2)
まだ見ぬ36分に逢いに♪

●スタンダード版観賞メモ
映画「宮城野」@兵庫県立芸術文化センター

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4 コメント

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嗚呼、観たかったなぁ (おばおば)
2010-06-13 22:31:39
スクリーンで観たかったです~(TT)
ディレクターズカット版、DVD化されないでしょうかねぇ…(切望)
…って、ネタばれ読んじゃいましたが(笑)、「聖☆おにいさん」のイエス派(=ネタばれOK派)なので大丈夫です!
(しかし、観たくて悶々…^^;)

あっ、今日、「片岡愛之助助平」観て参りました!!(笑)
返信する
おばおばさま♪ (ムンパリ)
2010-06-15 02:39:23
あっ、いいなあ~。助平な上人さん。
舞台レポを楽しみにしています。そりゃあナマですよ!
ただ私はスタンダード版を見てしまったので、どうしても
こっちを見ずにはいられなかったんですよー。
これでようやく長旅が終わった感じです(笑)。

「聖☆おにいさん」のイエス派・・・ってよくわからないけど楽しいっ♪
じゃ、ブッダはどっち派? 宗派は問いません、とか。
スンマソン、しょうもないこと言いましたっ!
DVDはムリっぽいけれど、ディレクターズカット版はまた上映機会が
あるようですので気長に待ちましょう♪
返信する
ごっつぁんです♪(笑) (あず)
2010-06-16 22:29:27
ムンパリさん、ご無沙汰です。
私も6日は一日中、名古屋シネマテークにおりました。
どこかで擦れ違ってたのかもですね! お隣だったかも!(笑)
ちなみに、5日の監督の舞台挨拶も見ましたので、
こちらでお馴染みの来夢さんもチェッケラーです。
私ってば何回観るんや!!!

今回、映画館に貼られてた中日新聞の切抜き!
これが私の映画「宮城野」の観方を変えました。

キーワードは、「主人公は矢太郎!」

スタンダード版の主役が宮城野で、ディレクターズカット版は矢太郎と考えれば
物凄く両者の違いがはっきりと理解できたのです。
監督が舞台挨拶で仰ってましたが、描きたかったのは「究極の自己犠牲」
「芸術家の狂気」「写楽のミステリー」との事ですが
スタンダード版の主役が宮城野ならば、「芸術家の狂気」「写楽のミステリー」は
必要なく、当然、矢太郎の浮世絵に向かっての見得やキャスト総出演のだんまりや
ラストシーンは必要なくなる訳で、そう考えると短い訳です!
あんなにスタンダード版を酷評していたのに、今はこのスタンダード版を観たいと
思っているのも事実です。(勝手やなぁ~)

それと、3年前に茅野で観た時は、
監督の趣味、マニアックな世界観にちょっとついて行けてなかったんですが、
スタンダード版を経ての今回のディレクターズカット版を観て、全てが必要不可欠な
演出なんだと理解できました。
「宮城野」 最初は、宝塚からの流れで毬谷さんの舞台「宮城野」を観て、
この戯曲が大好きになり、更に、観点を変えてまったく違う作品に仕上がった
映画2本を観る事ができて、物凄くお腹いっぱい「ごっつぁん」状態です(笑)

またもや、長々と失礼しました(ぺこり)
返信する
あずさま♪ (ムンパリ)
2010-06-17 02:15:32
あはは~、あの広くない空間で同じことをしてた人がいらしたとは!
それも、あずさんだったとは♪ 2日間通われたのですか~っ。

ちょっと書いてみますね。
舞台 → 113分 → 77分 → 113分×3 → 77分(希望)
あずさんはホントにさすらいの「宮城野」旅人なんですね~(笑)。
113分版から入った人と、77分版を先に見ちゃった人とではもしかしたら
違いがあるのかも、と思ってたのですが・・・。

> スタンダード版を経ての今回のディレクターズカット版を観て、全てが必要不可欠な
> 演出なんだと理解できました。
全く同感です。ただのマニアックな味付けではなく、本当にすべてに
意味があり、なくてはならないものでした。
77分 → 113分 のプロセスを経てよくわかりましたね♪

> キーワードは、「主人公は矢太郎!」
はいはい。私もあの記事を読んでドキンとしました。
監督の狙いはそっちだったのかと。
だから2つできてしまったのですよね・・・。

>「究極の自己犠牲」「芸術家の狂気」「写楽のミステリー」
「芸術家の狂気」についても触れておられたのですね?
ディレクターズカット版では芸術論というか、クリエーターの資質
みたいなことまで掘り下げてあってそこが私は面白いと思いました。
写楽殺しもそちらに比重がかかっていると思ったし。
たしかに宮城野が主人公だと、そんな場面は必要ないですよね。
矢太郎が黙々と絵を描いている映像も(苦笑)。

記念に過去の「宮城野」関連記事をリストアップしてみたのですが、
あずさんの初コメントもこの中に~♪
この映画のおかげでご縁ができたこともウレシかったです。
返信する

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