星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

WEBひろいよみ〜しらべぇ 5/17

2018-05-17 | DEAN FUJIOKA
●しらべぇ
土屋役・三浦誠己が『モンテ・クリスト伯』真海の姿と希望的結末を激白

秘書の土屋が真海をどう見ているのかが面白かったです。三浦誠己さんのイメージとしても今までとは違っていて新鮮。
以下、一部を引用させていただきます
***

真海のそばに仕える身でありながら、その目的や正体を知らないまま影のように寄り添う秘書・土屋慈(つちやしげる)。その土屋を演じる三浦誠己に、土屋から見た真海の人物像や忠誠を尽くす理由について、話を聞いた。

--真海のどういった部分に、恐ろしさを感じているのだろうか?
やっぱり底知れなさ――じゃないですかね。いろんな人間関係など、全てを知っていることに対する恐怖。あと、立ち居振る舞い――話し方や使う言葉、仕草や表情など総合的なバランスの中に、恐ろしさは感じていると思います。

ただ、自分が殺されるんじゃないか? といった、身の危険に対する恐怖感ではなくて、自分がある意味“惚れた”というか、敬意を抱いている人間に嫌われたくない、排除されたくない、ずっとそばに置いてほしい――真海さんに仕えることで得た、人生の希望が無くなることへの恐怖ですね」

真海の底知れなさを感じながらも、「ずっとそばに置いてほしい」と思うほど、“惚れて”いる背景には何があるのか。
土屋のプロフィールには、「少年時代から少年院に出入りを繰り返していて、荒んだ青年時代を過ごしていた」とあるが、そうした生活から真海の秘書になった経緯は、ストーリーには描かれず、詳しい設定はない。

「きっと全てを知っている真海さんから接触してきた――どこかで働いていると真海さんが来て、顔見知りになり『こういうことで困っているんだけど、手伝ってくれないかな?』と言われた形から、始まっているんじゃないですかね。

一市民の土屋にしてみれば、ハイソな暮らしをしている人と接していく中で、経済的なこともあるけれど、自分の人生の希望や人間的な成長の場を見出したんだと思います。

土屋は赤ちゃんを拾いますが、少年時代から荒んだ生活を送ってきたけれども、愛情や優しさを受けて育ってきた部分があって、その中に妹や弟がいたんじゃないか――首の座らない赤ん坊を抱ける、赤ん坊の泣き声に反応してしまうし、無視できないのはそのため。経済的な面で豊かになりたいと思うのは、そうした肉親を養いたいのかもしれません。

荒んだ過去があったけれど、今は秘書であることに、自分の中でこうしたバックボーンを作れたから、土屋という役を矛盾なく演じられています


真海さんのどこかに、元々のキャラクターである柴門暖の人間性を、垣間見たり、匂いで感じ取っている――行動を共にする中で、土屋が成長するために知るべき、世の中のことや経済の仕組み、さまざまな教養などを教えてもらっているのだと思います

「じつはまだ、ラストを知らないんですよ。でも、どこかヒントになる部分は、あると思うんです。例えば、マリア像が出てくるあたり『誰かが、見ている』というメッセージで、勧善懲悪のような、悪事を働いた人間がどういう道をたどるのか…。

それにしても、ほとんどの登場人物がクレイジーというか、恐ろしい人だらけですよね。(笑)今後、意外な人が『もしかすると、真海さんよりヤバいかも…』と思うほど、恐ろしいことをするので、後半に向けても見逃せないですよ」
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