星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

映画「蝉しぐれ」の足りなかった言葉

2005-10-18 | 演劇・ダンス・映画・音楽・古典・TV

映画版「蝉しぐれ」のネタバレです。ご注意ください。
原作は読んでいないので映画を1回見ただけの、かなり勝手な感想。
しかも、文四郎とふくの二人のラストシーンのことだけ書いてます(笑)。



ふくから文四郎に、もう一度だけ逢いたいという手紙が届いて、再会をする場面で・・・

あの時、文四郎がふくに言わなかった、足りなかった言葉について考えました。
ふくが文四郎に会って、本心から確かめたかったのはきっと二つ。
一つは、二人がいっしょになれる可能性はなかったのか?ということ。
(もっと婉曲なおくゆかしい台詞でございました。)
これについては文四郎の答えがふくの待ち望んでいたものだったことは、ふくの
目からポロポロッとこぼれた大粒の涙が語っています。
(この時の木村佳乃さん、感動ものです。)
これさえ聞けばあとのことはどうでもいい位、とびきり価値ある言葉♪

そこで、あえてもう一つ。
自分がお殿様の江戸屋敷に奉公に出てしまう前日、なぜ会いに来てくれなかっ
たのか? ふくは、絶対それを聞きたかったはず。
自分は前日、お嫁さんにしてもらいたくて文四郎さんを訪ねて行ったのよ。
帰り道が暗くて怖かった・・・という内容の台詞があって、この言葉の裏には
(文四郎さんには行き違いで会えなかったけど、どうしてあとから会いに来て
くれなかったの?)という無言の質問が隠されているんですよね~。
それでも黙ったままの文四郎。(ふくも決して詰め寄ったりしない。)
文四郎のほうは、父が謀反の罪を着せられ死罪になってから極貧の生活が続き、
あの日もふくを追いかける途中で藩内のいじめグループの男の子たちにつか
まって喧嘩し、心身ともにボロボロにされてしまったのでした。
(あの日、逢いたくて追いかけたんだよ。でも、邪魔が入って行けなかった)
と、大人になったふくに弁明できたのに、しなかったのはなぜ?
あまりに些細なことだったからか、ふくに逢いに行けなかった自分をまだ
責め続けていたのか? それとも言い訳しないのが男だからなのか?
今さら言っても仕方ないことだからなのか?
それが武家に生まれた者どうしの美意識なのか?
文四郎からは説明がないまま、ふくはさらに言葉を続け、二人だけの秘密の
思い出に触れ、とうとう自分のほうから確かめてしまう。
私をお嫁さんにしてくれる気持ちはあったの?
(あー、映画ではこんな直接的な問いつめ口調ではありません~。
超婉曲で上品なお言葉でした。)

あの喧嘩の後、傷だらけになって草むらにしゃがみ込み「ふく・・・ふく・・・」
と、ただ名前を呼ぶ少年時代の文四郎が痛々しく、なんとも切なくて。
その「ふく・・・ふく・・・」を、この逢瀬のシーンの最後にもう一度口にする。
お殿様のお子を産んだ「ふく様」ではなく、昔、呼んでいたその名前。
「ふく・・・ふく・・・」そう呼んだ瞬間、文四郎の顔に初めて打ち解けたような
柔らかい笑みが~。(徐々にゆるんでいく染五郎さんの表情、絶品です。)
やっと昔の二人に戻れたと同時に、あの喧嘩のせいでふくに逢いに行けなかった
自分を初めて許せたのかも。苦い思い出が初めて甘い味に変わった瞬間かも。
皮肉にも、あの日と同じ「ふく・・・ふく・・・」が文四郎自身を後悔の念から
解き放つ言葉になったんだなあ~、と。

映画「蝉しぐれ」公式サイト
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コメント (2)
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