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北海道を創ったドリーマー 「和田郁次郎」

2019年02月01日 | 歴史コラム
1847年7月 郁次郎は広島(南区)に生まれた。

彼は体が大きく、力もあり大きな夢を持っていた。

家督を相続しこの土地に暮らしていて何ら、不都合は無いのだが、大きな志しがありました。

それはまだ開拓しきってはいない未開の地、北海道へ渡ることだった !

当時、広島県としては、先発隊の「根室地区」への入植がうまく行かずそれには反対の立場を取っていた。

それは根室入植で失敗し中数人の病死者を出していたからだった。

しかし和田郁次郎の気持ちは何が何でも北海道へ渡りたいと強い意志を持ち、様子を見に2度北海道へ渡り、札幌村近くの月寒地区や野幌原野、熊・狼の出る輪厚(ワッツ)川筋を拓き新天地を開拓する決意をした!



当時は車はなく札幌町と月寒(北広島市)を牛馬で何往復もしなくてはならない、冬にはブリザードの中過酷な日々が続いた。

特に入植の年は大凶作で収入が入らず、とても大変だったが、徐々に安定に乗せ、この地区に村らしきものを作った。

長官は喜び「和田村」と名付けようとしたが、彼は大反対し仲間でみんなで開墾したんだとこの地を
「広島村にしょう」とつげたのです・・・。

そして、郁次郎を慕い同じ広島県から第二入植隊、第三入植隊と続き、土地勘のある郁次郎は可能性のある所を次々と紹介していった。

旭川へ行く国道の中の「奈井江町」札幌町の「穏やかな平稜地、西野地区」「大滝村」「手稲・星置」函館近くの「旧大野村」「北見市留辺蕊町」を勧め広島県から、どんどん移住者が集まり北海道の一部を形成していった。

「アメリカ合衆国」が元々いろんな国からの開拓民がタッグを組み「ユーロ圏」のような大きな国を形成したように北海道は全国の県から勇気ある方達の尽力により北海道合衆国と呼べるような広大な大地を彼らは用意してくれたのである。

その5本の指に入るのが「和田郁次郎」です。

彼は郵便局長・村長を経て日本全国の長者番付に顔を出すほどの林業の実業家としても成功を治めた偉人であります。

こういった開拓者がいて 今があるのです。

僕たちは、彼らドリーマーに感謝しなくてはならない。


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