Bonjour Bon Sejour フランス留学体験記

フランス語学習やフランス生活、フランス人の謎などつらつらと・・。サッカーブログではないデス・・一応。

最後の夜

2005年09月19日 | 留学中(ヴィシー編)

私と同居人の中国人レティシアはほぼ同じ期間の9月の1ヶ月ヴィシーに滞在しました。そして別の地域、私はトュールへ、レティシアはパリへ同じ日に移ります。私たち二人の最後の夜はステイ先でパーティーをしました。メニューはなんとステイ先のエステールマダムの一言で決定。

「私、刺身が食べてみたいわ!」

ま、マジですか??以前夜ご飯の話題でワサビ大好きなエステールがワサビを使った料理は何があるのか尋ねてきて「魚を生で食べるときに醤油に溶かして食べるのが一般的だ」という話をしたことがあるのだが、海に面してないヴィシーで刺身ですか??ビビるmojaoなんてお構いなしに「私が知ってる魚屋にあなたを連れてくから見繕ってちょうだい」とこれまた生まれてこの方魚をさばいたことないmojaoに涼しい顔して言う。確か料理人のカヴィラムの友達がヴィシーの魚屋の魚は半分腐ってたとか恐ろしい事言ってたぜ?

アジア料理好きなエステールの提案で豆腐も食べることに。「豆腐なんて売ってんのかな~?」なんせここはパリじゃないよ、田舎町。でもアジア食材店はあって米や海苔、調味料なんかは手に入るのですが、アパート暮らししてる日本人の友達から「町はずれにある自然派食材店にはあったよ」という情報を得て、歩いて40分くらいかけてレティシアと豆腐を買いに。豆腐といっても硬い木綿豆腐というか高野豆腐みたいな感じで生で食べるのはちょっとどうなん?焼いて豆腐ステーキ風にすることに。

さて肝心な魚ですが、エステールと魚屋へ。初めて来たのだが入ると意外に本格的。いけすに伊勢海老みたいな海老が沢山いるし、切り身も丸ごとの魚も昔の日本の魚屋みたく氷の上に沢山寝てます。しつこいですが、私は魚をさばいたこととかないので見ただけでは魚の種類を判別することが出来ない・・。電子辞書を片手に表示してある魚を調べてみるが、「一体刺身にする魚って・・?」とかもうそのレベル。だって刺身といえばマグロとかハマチくらいしか思い浮かばないけどここでそんなん手に入るわけない!しかしエステールは店員のお姉さんに「今夜は刺身で食べるのよー。彼女は日本人で私たちに作ってくれるのよ。」とプレッシャーをかける。やっぱ無難に鯛かしら?立派な鯛の切り身を二切れ購入。というかお金を払ったのはエステール。

家に着くなりエステールはフランクに「J'espere que ce sera bon ! parce que ça fait 20 euros !! (おいしいといいわ、だって20ユーロもしたのよ!!)」と耳打ちしてさらにプレッシャー。。

お米はエステールがアジア食料品店で「日本や中国で食べてるお米を買ってきたわ」といつもの米より粘り気のあるお米をわざわざ買ってきてくれた。私は買ってきた切り身を薄切りに。とりあえず一切れ切って恐る恐る醤油につけて味見いや毒見。

 

「旨いでないのー!」

いや~一安心。これなら明日腹痛で電車でもんどりうつことはなさそうだ。エステールとフランクの友達のリオネルおじさんも一緒に5人でディネをした。リオネルおじさん(レ・ブルーのサニョル似)はよくこの家庭にやってきて私たちも何度もごはんを一緒に食べたことある人。しかし彼の家庭はちょっと複雑で彼の奥さんは別の男を作り、週末は男の家に入り浸り、普段の生活はヘビースモーカーのアル中で5歳になる息子の世話を一切しないという、みのもんたが聞いたら激昂しそうな奥さんがいるのだが、子供が小さいからという理由でエステールとフランクの離婚をしろという助言もリオネルは耳を貸さない。そんな家庭にいるのがいたたまれないのかよく私たちのステイ先に週末やってきてそのまま数日泊まったりするのだがそんなとき息子はどうしてたのかな~?私はあんまりプライベートなことに首を突っ込んで聞くことがはばかられたずねたことはないけど・・。

リオネルにとっては日本食なんて食べたことも見たことも無い未知の食べ物。しかも生魚。ちなみに中国でも生で魚を食べる習慣は無いそうだ。さらにエステールが「前にうちにいた日本人の女の子が綺麗なお箸をくれたのよ。」といってお箸を使って食べることに。もちろん私とレティシアはOKだが、フランクは「こんなの使ったら指がつる!」と即フォークに切り替えてた。リオネルおじさんもお箸に挑戦してくれて私も持ち方とか教えたけど無理だった・・。でもエステールは気合で使いこなし見事にお箸で刺身を食べてた。エステールが大好きなワサビ(彼女はワザビと発音してたけど)、家にはわざわざリヨンで買ったというS&Bのチューブ入りワサビ。小さめの皿に醤油を入れて「どのくらい入れればいいの?」と尋ねるエステールに日本人の私にとってはワサビの適量なんてわかりきったことだが、彼らにはわからないのか・・と改めて思ったりした。

さて肝心な刺身の味だが、一応みんな美味しいと言っていた。私は普通に美味しいと思ったけど「生臭くない?」って聞いたけどみんな「大丈夫。美味しい。」といって食べてくれた。ちょっと感動。豆腐は塩コショウで味付けしただけだがこちらも好評でした。エステールのお米は「お店の人がたっぷりのお湯で炊くって言ってたわ」とおかゆ状態のご飯が出来上がりました。 

みんなで写真を撮って、いっぱい食べていっぱい飲んで楽しい夜を過ごした。私はやっぱりこの家庭に来て良かったと思うしラッキーだったと思う。レティシアも人懐っこくていい子だったし何事もトラブルなくやってこれました。エステールとフランクも私たちが来る直前にいたコロンビア人の女の子に悩まされてた(部屋を汚す(使用済みの生理ナプキンがベッドに置いてある証拠写真を見せられた。)、男(しかも40過ぎのフランス人オヤジ)を連れ込む。2人に対して高圧的など・・)こともあり、真面目な私たちにはとても好意的に接してくれました。

「ヴィシーに来るときはいつでも私たちに連絡しなさいね。ここはあなた達の家だよ。」と言ってくれたりした。
そんなこと言ったら本当にまた来ちゃうよ?

 


コッチも頼も~

 


残りわずか

2005年09月17日 | 留学中(ヴィシー編)

DELFの受験前に午前の文法のクラスがクラスメイトの大半が帰国するために解散となり私は一応同じレベルクラスにクラスメイトのコロンビア人の女の子とトルコ人の男の子と共に移りました。よって同居人のレティシアとは別のクラスになりました。

新しいクラスは中国人や韓国人などのアジア人長期滞在者が多いためクラスメイトの入れ替えが少ないこととカヴィラムにしてはめずらしく先生がずっと同じなためのんびりしたクラス。そして私はこのクラスメイトとは一番最初にカヴィラムに入学した5月に入ったクラスでした。私はその後クラスのレベルを上げたのですが結局このクラスに戻ってきたというカタチです。韓国人のクラスメイトとは気心しれた仲間だし、先生も習ったことあるし、何より授業が前のクラスの何倍もゆっく~りなのです。欧米人大半の以前のクラスは3時間の授業の間にめまぐるしく色んなことをやらされたのですが、こちらはヨーロピアンが少ないこともあり、文法の説明もじっくり何度もやります。同じレベルとはいえクラスメイトの構成が違うと授業の内容もこうも変わるのかと拍子抜けするほど違います。午後のDELF対策のクラスも試験が終われば当然することもなくなるので、映画のアメリを見たり。。

ヴィシーに戻ってきた当初は授業についていけなかったり、ステイ先のごはんに不満があったりして早く次の滞在地トュールに行きたいとか思ったりしましたが、ヴィシーも残りわずかになるとやはり名残惜しくなってきますな・・。仲良くしてた韓国人の女の子が家に招いてくれたり、普段は不味くてあんまり行かない食堂でご飯食べてみたり・・。


こんなかんじ・・3・8ユーロくらいです。
あんなに不味いのに地元のフランス人の学生とかもやってくる。。なんで?? 

前から行ってみたかったケーキ屋さんに行ってみたり。

学校の近くにあるケーキ屋さんで店員さんもとても感じがいいし、もちろんケーキもおいしゅうございました。上品な味で隠れた名店と見た!

カヴィラムも残り1週間ほどとなり、のんび~りと過ごしました。そしてあっちゅう間にラストの夜となります。


こちらもよろしくお願いします。


DELF 面接の巻き

2005年09月05日 | 留学中(ヴィシー編)

面接は今度はA2から。私は5分くらい前に面接の行われる教室の前に着いた。すると「あなたがmojaoさん?」と試験管補佐のようなお姉さんが声をかける。「そうですけど?」「遅刻よ!」「は?」「あなたの後にやるはずだった人が今、先にやってるからあなたはこの後よ」心外だな~・・俺は絶対に遅刻なんてしてないのに。なぜ遅刻呼ばわりされたのか謎のまま。

すると前の受験生とともに試験官が顔を出した。 ゲ!俺の嫌いなマリーソフィーだ! (嫌いな理由はコチラ) そうです、前回のカヴィラムで2週間習ったことがあり私が苦手だったカヴィラムいちのベテラン先生マリーソフィーが試験管だった。。 ん~・・俺の命ももはやこれまで。。 A2の面接はあるテーマに関して自分の意見を10分から15分試験管に述べて、質問に答えたりするというもの。テーマはいくつかあるテーマ中からくじを引く要領で選ぶ。

私のテーマ「医療告知は常に必要か」

硬い!硬いテーマだ・・。意見を発表する前に10分ほど用意する時間がある。もちろん辞書は使用禁止だが、メモは可能。そして私が用意してる間に前の子が発表しているのです。特に考えもまとまらないまま俺の番。

「ではmojaoさんの意見を述べてください。質問の意味はわかりますね。」 なんと言ったか詳しくは覚えてないけど「知る権利はあるんだから告知は患者が求めれば必要だ。」みたいなことを適当に喋った気がするが、15分も間が持たん。マリーソフィーが質問し、それに答える。A2の面接は別に理路整然としたことを言うとかいうよりも、とにかく自分の意見を述べることだと思う。だが俺は言ってはいけない一言を言っちまいました。面接も行き詰ってきてマリーソフィーが「他にもう少しあなたの意見を聞かせてちょうだい と言われて、

 

「もう、ありません!」 ┐( ̄д ̄)┌ (←自信満々に答えるバカ)

フランスでは意見の無い人間は存在して無いものとして見られるとか言う話を聞くくらい自分の意見を固持することは大事な国。しかし私は根が正直者な上に興味の無いことには一切無関心なんすよ。だって本当にこれ以上話膨らませようがなかったんだもの!こういうとき私って日本人だなーっと思ったりするのですが。 ま、もともと筆記で死んでるのでいいんです。

 

続いてはA1の面接。こちらは気楽です。テーマも身近なネタ。私のテーマは「あなたにとって一番思い出にある旅行」 お得意ネタだよ、こういうのは。ってなわけで、こちらはA2と違ってベーラベラ喋る。最後は関係ない個人的な話を試験官として終了。合否の発表は夕方5時に掲示される。それまで友達と体育館でバドミントンしたり、今週末でカヴィラムを去る友達と写真を撮ったりして過ごす。私の友達はほとんどDELFを受けていた。これ以降DELFはカヴィラムでは開催されないため受験者数も多かった。

5時になって友達と一緒にドキドキしながら掲示板を見に行く。受けていたレベルはみんなバラバラなのだが落ちてる子もいれば受かってる子もいてみんなお互いの結果に一喜一憂。さて俺は・・?なんせA1ですら筆記を勘違いしてたからなぁ・・あんまり自信がないよぉ・・。

おぉー!良かったA1は受かってるよ~。A2はもちろん不合格。まー、私より全然フランス語が上手な友達もA2受からなかったんだよねー・・。A3受かってなぜかA2落ちてる人もいたし。。

「mojaoちゃんオリンピック選手でもよかったんだねー!(ノ ̄∀ ̄)ノ」
「だろ?」
「逆にそっちの方がオリジナリティがあって良かったんじゃな~い?」
←私の友達は私以上にポジティブシンキングと思われる。
「だろだろー?」

何はともあれ、私の初DELFは終了。なーんか珍しく勉強しちゃったからしんどかったけど、たまにはガッツリ勉強しないとね。って落ちてるけどさ。でもDELF対策の授業で習った公式の手紙の書き方や叩き込んだ多くの語彙は価値があったということで。(負け惜しみ)そして今度はカヴィラムのDELFが難しいという噂を検証するため日本で受けてみたいと思います。

週末からは友達とパリ旅行へ。


サッカーフランス勝利祈願中!!

 


DELF 筆記の巻き

2005年08月29日 | 留学中(ヴィシー編)

若干廃人(;¬д¬)気味な毎日の授業を送って数週間後、DELFの受験がやってきた。私はA1とA2を受験しました。一試験につき36ユーロくらいだったので70ユーロ(約1万円くらい)の受験料。安くないねぇ・・。しかしA2を申し込んだことを私は後悔していた。受かる自信まるで無し! エステールとフランクとレティシアに「mojao Merde!(がんばって!の俗語)」と励まされて試験会場へ。

まずA1の筆記から。A1の筆記は親しい人に書く手紙。この手紙を書くというのはなかなか楽しい。何が楽しいって想像力の世界だから。手紙を書く相手も想像。自分もフランス人という設定で書きます。なので書き出しも「サリュー、ソフィー元気? 」ってな感じです。いかにフランス人になり切って想像力を働かせるかがポインツですな。うぉっほん!

この日のお題は
「あなたはアテネオリンピックに来ています。親しい友人にアテネの感想や観戦した競技について手紙を書きなさい。」文字数は100文字程度。受験会場はカヴィラムの中で一番でかい教室。私は一番前の席で受験していた。途中で身分証明の確認のためパスポートをチェックされます。そして出来上がった人から退出していいことになっている。私は黙々と書き書き書き書き・・。

出来上がって文字数を確認すると「ゲ!90文字も無い!」規定文字数に対して、少なくても多過ぎてもいけないと言われている。しかも試験は必ず黒いボールペンで書かないといけないため、消して書き直すということが難しい。 「ヤバイ!(: ̄Д ̄)」と焦る俺。無理からチョコチョコと単語を書き足して再び文字数を数える。なんとか100文字になった。ほっとして顔を上げると試験監督の先生が私を見ながらにっこりと「C'est fini Mlle ?(終わりました?)」と聞いてきた。そして気づいた。私が一番最後だったのだ。
後ろを振り返るとだーーーれもいない。

「お、俺待ちだったのね・・

教室を出ると外で友達が待っててくれた。
「mojaoちゃん一番最後じゃん!遅かったねー。」
「うん、文字数間違えててさー」
「なんて書いた?」
「私はねー、サッカー選手ってことにした。」
「は?」
「それで日本には負けたけど次はがんばるよってこととか競泳を観戦したとか書いたよー」
「・・え・・?mojaoちゃん違うよ。選手としてじゃなくて観客としてアテネに行くんだよ・・」

 

うそ・・!!??

 

きゃー!!間違えた!!

 

教訓:試験問題はちゃんと読みましょう。

 

さて、次はA2の筆記試験です。A2は長文読解し、設問に答え、長文に対する自分の意見を150文字程度で書くというもの。その日の題材はパリダカ。「興味ねぇなぁ・・・」F1こそ最近になって見るようになったmojaoだが、去年の私はパリダカなんてまったく興味の対象になく知識もなかった。超ペーパーのゴールド免許ドライバーだし・・。A4用紙に3ページ続く記事を読んでても途中で飽きてくる。私がまだ半分も読んでいないのに隣りに座ってたドイツ人の女の子は既にガリガリ問題を解きだした。試験を受ける前からほぼ捨てていたA2。

「長文読解きら~い!(ノ`Д´)ノ 」ぶつくさ心の中で言いながら渋々読んで問題を解く。しかし長文読解にはある程度訓練が必要っすよね。私は読むのがやたら遅い。じっくり読みすぎた。

 

そしてターイムアーップ!!
結果は言わずもがな・・。 次は面接へ。


コチラもシルブプレ


ある日の夜ごはん

2005年08月28日 | 留学中(ヴィシー編)

私がホームステイしていた家は3階建てで1階にガレージとホストファミリー夫婦のエステールとフランクの寝室、2階にキッチンとリビング、3階に私とレティシアの部屋があった。ごはんはキッチンでいつも4人で食べていた。この日はフランクが仕事か何かでいなかったのでエステールとレティシアと3人だった。メニューはチーズスフレ。珍しく(失礼)美味しかったけどスフレが夕飯??

 9月の中旬にもなると昼間は暑くてノースリーブで過ごしてても夜になるとけっこう冷えるので私もレティシアもノースリーブの上にパーカーを引っかけていたのだが、スフレはオーブンで焼く料理。オーブンの熱で温まったキッチンと熱々のスフレを食べていた私とレティシアは途中で暑くなって同時に上着のパーカーを脱いだ。 私の横で食べていたレティシアを見たとき、私は完全に固まったね。

 

 

 

 

 

レティシア脇毛ぼーぼー

 

いいんすかね?中国人は見た目を気にしない(中身が大事という意味)とかいうのを聞いたことあるけどノースリーブからはみ出てるヤツらは剃り残しとか言うレベルじゃなくて今まで一度も手入れしたこと無い!という種類のものです。しかもあんた彼氏いるんでしょ!?中国人男子はそんなことなんか気にしない太っ腹なのか!?さすが中国四千年の歴史!

 

アンリ     「見てごらん!ハニー。」
アンリワイフ 「ヤダ!ありえないわ!」

 

私は一気に食欲萎えたね。。脇を閉じてもはみ出てますよ。
恐ろしい武器も隠し持ってたね、レティシア姉さん。。


くだらん内容ですいません・・。