Bonjour Bon Sejour フランス留学体験記

フランス語学習やフランス生活、フランス人の謎などつらつらと・・。サッカーブログではないデス・・一応。

DELF 筆記の巻き

2005年08月29日 | 留学中(ヴィシー編)

若干廃人(;¬д¬)気味な毎日の授業を送って数週間後、DELFの受験がやってきた。私はA1とA2を受験しました。一試験につき36ユーロくらいだったので70ユーロ(約1万円くらい)の受験料。安くないねぇ・・。しかしA2を申し込んだことを私は後悔していた。受かる自信まるで無し! エステールとフランクとレティシアに「mojao Merde!(がんばって!の俗語)」と励まされて試験会場へ。

まずA1の筆記から。A1の筆記は親しい人に書く手紙。この手紙を書くというのはなかなか楽しい。何が楽しいって想像力の世界だから。手紙を書く相手も想像。自分もフランス人という設定で書きます。なので書き出しも「サリュー、ソフィー元気? 」ってな感じです。いかにフランス人になり切って想像力を働かせるかがポインツですな。うぉっほん!

この日のお題は
「あなたはアテネオリンピックに来ています。親しい友人にアテネの感想や観戦した競技について手紙を書きなさい。」文字数は100文字程度。受験会場はカヴィラムの中で一番でかい教室。私は一番前の席で受験していた。途中で身分証明の確認のためパスポートをチェックされます。そして出来上がった人から退出していいことになっている。私は黙々と書き書き書き書き・・。

出来上がって文字数を確認すると「ゲ!90文字も無い!」規定文字数に対して、少なくても多過ぎてもいけないと言われている。しかも試験は必ず黒いボールペンで書かないといけないため、消して書き直すということが難しい。 「ヤバイ!(: ̄Д ̄)」と焦る俺。無理からチョコチョコと単語を書き足して再び文字数を数える。なんとか100文字になった。ほっとして顔を上げると試験監督の先生が私を見ながらにっこりと「C'est fini Mlle ?(終わりました?)」と聞いてきた。そして気づいた。私が一番最後だったのだ。
後ろを振り返るとだーーーれもいない。

「お、俺待ちだったのね・・

教室を出ると外で友達が待っててくれた。
「mojaoちゃん一番最後じゃん!遅かったねー。」
「うん、文字数間違えててさー」
「なんて書いた?」
「私はねー、サッカー選手ってことにした。」
「は?」
「それで日本には負けたけど次はがんばるよってこととか競泳を観戦したとか書いたよー」
「・・え・・?mojaoちゃん違うよ。選手としてじゃなくて観客としてアテネに行くんだよ・・」

 

うそ・・!!??

 

きゃー!!間違えた!!

 

教訓:試験問題はちゃんと読みましょう。

 

さて、次はA2の筆記試験です。A2は長文読解し、設問に答え、長文に対する自分の意見を150文字程度で書くというもの。その日の題材はパリダカ。「興味ねぇなぁ・・・」F1こそ最近になって見るようになったmojaoだが、去年の私はパリダカなんてまったく興味の対象になく知識もなかった。超ペーパーのゴールド免許ドライバーだし・・。A4用紙に3ページ続く記事を読んでても途中で飽きてくる。私がまだ半分も読んでいないのに隣りに座ってたドイツ人の女の子は既にガリガリ問題を解きだした。試験を受ける前からほぼ捨てていたA2。

「長文読解きら~い!(ノ`Д´)ノ 」ぶつくさ心の中で言いながら渋々読んで問題を解く。しかし長文読解にはある程度訓練が必要っすよね。私は読むのがやたら遅い。じっくり読みすぎた。

 

そしてターイムアーップ!!
結果は言わずもがな・・。 次は面接へ。


コチラもシルブプレ


ある日の夜ごはん

2005年08月28日 | 留学中(ヴィシー編)

私がホームステイしていた家は3階建てで1階にガレージとホストファミリー夫婦のエステールとフランクの寝室、2階にキッチンとリビング、3階に私とレティシアの部屋があった。ごはんはキッチンでいつも4人で食べていた。この日はフランクが仕事か何かでいなかったのでエステールとレティシアと3人だった。メニューはチーズスフレ。珍しく(失礼)美味しかったけどスフレが夕飯??

 9月の中旬にもなると昼間は暑くてノースリーブで過ごしてても夜になるとけっこう冷えるので私もレティシアもノースリーブの上にパーカーを引っかけていたのだが、スフレはオーブンで焼く料理。オーブンの熱で温まったキッチンと熱々のスフレを食べていた私とレティシアは途中で暑くなって同時に上着のパーカーを脱いだ。 私の横で食べていたレティシアを見たとき、私は完全に固まったね。

 

 

 

 

 

レティシア脇毛ぼーぼー

 

いいんすかね?中国人は見た目を気にしない(中身が大事という意味)とかいうのを聞いたことあるけどノースリーブからはみ出てるヤツらは剃り残しとか言うレベルじゃなくて今まで一度も手入れしたこと無い!という種類のものです。しかもあんた彼氏いるんでしょ!?中国人男子はそんなことなんか気にしない太っ腹なのか!?さすが中国四千年の歴史!

 

アンリ     「見てごらん!ハニー。」
アンリワイフ 「ヤダ!ありえないわ!」

 

私は一気に食欲萎えたね。。脇を閉じてもはみ出てますよ。
恐ろしい武器も隠し持ってたね、レティシア姉さん。。


くだらん内容ですいません・・。


ホームステイ その2

2005年08月24日 | 留学中(ヴィシー編)

新しいホームステイもジャクリーヌばあちゃん宅とは違ってまた大変良かった。私とたいして年も変わらないムッシュのフランクとマダム・エステールは大変仲良しでいっつも何か議論してる声がしていた。フランス人カップルって常にラブラブしてるイメージが私はちょっとあったんだけどこの二人は全然そんなことなかった。フランス人カッポーは相手のことmon(ma) cher(e)とか言うのかと思ったら普通に名前で呼び合ってたし、キスしあってるのすら見たこと無い。いや、俺たちのいないところでしてるんだろうけどさ。人目もはばからず愛し合うフランス人にしちゃーあっさりしてたな。

この夫婦は共働きで朝早くから出勤していく。タバコ会社の営業のフランク(彼の職業柄、家には葉巻があって私も一度吸わせてもらったりもした)と営業事務をしていたエステール、フランス人の朝は早い。日本のように1時間も通勤にかけたりするわけではないのに、7時前には家を出て行く。よって私と同居人のレティシアは二人で朝ごはんを食べて徒歩で学校へ
。学校までは歩いて20分くらい。ジャクリーヌおばあちゃんの時は朝もステイ先との会話があったのだが、ここでは会話は夜のみ。私が夜も友達と遊びに行ったりして夕飯を外で食べたりすると一日会話が無かったりする。 この二人、若いからか早口。特にフランク。100%聞き取れたジャクリーヌのフランス語に対してフランクのは5割くらいしか聞き取れない。でも俗語とかも教えてくれたりしてジャクリーヌおばあちゃんとはまた違うメリットも沢山あった。

そしてエステールは私の中でフランス人女性のイメージそのままな人。日焼けした肌に肩に太陽のタトューをしてて、おいしいレストランやファッションの話など同年代ならではの話を私たちはよくした。フランクはチョコレートの食べすぎで30代前半のくせにお腹が・・。


 


私の使ってた部屋。広~いベッドで快眠生活

 

ある日「宿題見てあげるよ」とエステールが私とレティシアの宿題を見てくれていた。その日の宿題は新聞の見出しを文章にするというもの。例えば日本の新聞でも「台風直撃、死者2名」みたいな見出しがありますね。それを「昨日、西日本を中心に台風3号が直撃し、死者2名、ケガ人が多数発生した」みたいな文章に組み替えるというもの。エステールは「本当にこれ初級のクラス(私とレティシアがいたクラス)問題?」と頭を抱えだし「ちょっとー!フランクー、これやってみてよ」とヘルプを求め、いつの間にやら私たちは蚊帳の外で二人で宿題やってる状況になってしまったことがある。 おかげで宿題は満点でしたが。


 



飼い猫のエゴ、15歳のおじいちゃん。
もはや解脱の域で、よく私の部屋の窓から外を眺めていた・・。


ごはんの時、よく私たちは意見を聞かれた。どう思うのか、なぜそう思うのか?初日の夕食のテーマは「ブッシュ大統領は再選できるか?」(ちょうど選挙前だったので) 近所の美味しいレストランの話から政治のネタまで議論大好き。とてもフランス人らしいと私は思ってた。でもフランス語会話にはとても役にたった。

 



ハンサムボーイ・ラムセスくん、運動不足のためダイエット中


しかし唯一そして最大の難点が食事が美味しくない・・ということ。エステールはお世辞にも料理が上手とは言いがたく、夕飯のメニューはたいてい牛肉のハンバーグ(既に成型されてて焼くだけのもの)とピュレ(やわらかいマッシュポテトみたいなもの)とパン。野菜が全然出てこない。たまにサラダでレタスがあるくらい。勉強のストレスとビタミン不足からかその頃の私はオデコにめったにできない吹き出物が発生していた。(ノ`Д´)ノ ギャー! イヤ~!

こんなときはやっぱり



「ジャクリーヌ!エデュモワ~!!!」


ということでよくジャクリーヌ邸へごはんを食べに行ってました。。やっぱジャクリーヌのごはんは美味い~!! 

「今のステイ先で野菜が出ないんだよー」と愚痴ると急遽野菜料理を一品追加して作ってくれたりして相変わらずジャクリーヌは優しい。

毎日のご飯って本当に大事だな~・・と実感しました。私は生まれて初めて帰り道に「今日のご飯何かな~?」っていう楽しみにのない生活を送りましたので。腹ペコで帰宅するといい香りがしてきた実家やジャクリーヌ邸での生活から、ご飯の時間に帰ってもキッチンから何もおいしそうな香りもしないし、夕飯の時間と言われていた7時半を過ぎても、フランクとエステールの議論(別にケンカではない)が白熱してちっともご飯が始まる気配がない。。
お腹空いたよ~・・死んじまうよ~・・ 
私はよくビスケットをかじって空腹を凌いでいた。

1ヶ月だからよかったけどこれが長期のステイだったらやっぱりちと厳しかっただろうなぁ・・。

 


コチラもプリーズ


うめぇもん

2005年08月22日 | 独り言

品名:Nutella(ニュテラ)内容:チョコクリーム

私は甘いものはそんなに好きではないけどニュテラは好き。フランスの子供は多分みんな好きなんじゃないかな~・・。子供のいる家庭には絶対にあるね。フランスの甘いお菓子って私にはクドイくらい甘いんだけど、ニュテラはしつこくない甘さでクレープやフランスパンにこってり塗って食べると
めちゃうま~ 日本でも買えるのかしら?また食べたい・・。

追記(8月28日) 先日、池袋サンシャインの中にある外国の物産がいろいろ売っているお店に行ったところ売ってました!ニュテラちゃん。しかし小瓶で525円!!!(フランスではでっかいボトルで300円くらい・・)「ムムム!た、高い・・」 しばし悩んで結局その日の購入はやめてしまいました。が、そこのお店、ほかにも色んな食材が売ってて楽しかったですよ。

コチラ↓もヨロシクです。
 

レ・ブルーのイケメン②

2005年08月21日 | サッカー

Djibril CISSE ジブリル・シセ オフィシャルサイトはコチラ ←子供の頃の写真とかも見れますよ。

現在リバプール所属のスピードとバネのあるFW 去年は選手生命も危ぶむ怪我をしましたが見事復活し、レッズのチャンピオンズリーグ優勝の瞬間に間に合いました。私は彼を見てると黒豹を思い浮かべます。

7人兄弟の末っ子として1981年アルルにジブリル少年は生まれました。両親は先日代表戦で対戦したコートジボワール人のようで1974年にフランスにやってきたようです。そしてお父さんもコートジボワールのサッカーの代表選手そしてキャプテンだったようです。その後両親は離婚し、お父さんはコートジボワールに帰ってしまったようですが、この間のフランス対コートジボワールの試合をお父さんはどんな風に見てたのかな? 


先日のコートジボワール戦では後半27分からアンリと交代して出場しました。

子供時代は母親一人で7人の子供を抱えるという環境のため貧しかったようですが、サッカーを始めたジブリル少年はその後、天性のスピードとゴールセンスを持ち合わせた選手としてめきめき頭角を現し、フランスジュニア代表にも選ばれています。98年からはフランスリーグ、オセールでプロになってからの活躍は皆様ご存知のとおり。そしてシセの一番尊敬するプレーヤーはジダンだそうです。

ジブリル・シセと言えばやっぱり個性的ないで立ちではないですかね?


赤髪バージョン のタトュー入ってます


ウルトラマンバージョン

 

こんなシセくんは小さい頃からファッションが大好きで、子供の頃はお兄ちゃんの服を勝手にパクって自分好みに作り直したりしてたそうです。今は自分でブランドを作ってしまいました。その名はKLUBB9

シセの着てる服がそのブランドです。おひとついかがっすか?

 

そしてゴールした後の表情やパフォーマンスを見てると「この人楽しそうだな~」とほほえましく思います。 


この間のディスカバリー号にも乗ってたみたいです・・(by NASA)

 


ウヒヒヒヒヒ!

 

私が一番好きな写真はコレ

 
こんな表情また見せて欲しいなー・・。

シセは現在所属するリバプールからフランスリーグのリヨンに移籍する噂が出てますね。これはレアル・マドリードに所属しているマイケル・オーウェンがリバプールに復帰するのでは・・?というところから発していると思いますが、さらにマルセイユもシセに接触しようとしているという記事がTF1にありました。本人も「いつかはマルセイユでプレーするだろう」(尊敬するジダンの所属してたクラブですしね)と言ってますが、どうなるのでしょうか・・?


いつまで続くか?このシリーズ( ̄∀ ̄*)