Bonjour Bon Sejour フランス留学体験記

フランス語学習やフランス生活、フランス人の謎などつらつらと・・。サッカーブログではないデス・・一応。

クラス分け

2005年03月31日 | 留学中(ヴィシー編)

朝は、マダムに車で送ってもらって学校「CAVILAM」に到着。
学校はきれいなガラス張りの校舎に芝生の庭があり近代的だ。入り口のところで待ってると事務員らしきおばちゃんがやってきて「ここで待っててください」と教室に案内された。カヴィラムは毎週新しい学生を受け入れてる。私と同じ日に入学したのは私以外に5,6人いたと思う。日本人2人、ヨーロッパ人4人くらい。私の横にいた女の子と斜め向かいに座ってた男の人はフランス語でベラベラ喋ってる! 「スゲー・・っつーか学校来る必要あるの?」っていうくらいベラベラだった。

その後事務のお兄ちゃんがやってきてカヴィラムについて簡単な説明をする。(でもこの時、私はフランス語をほとんど理解できていなかったので推測でしかない。)新入生みんなで学校の中を案内され「郵便が届いた場合は・・授業の時間は・・図書館はここで・・食堂はここで・・」と説明をされるが私はよくわからず・・。

その後クラス分けのためのテストを受ける。筆記テストは簡単な(易しいという意味ではなく簡素な、の意)ものを行う。私は出発前、送別会の名のもとに友達と遊びまくって全然勉強していかなかった。たかだか3ヶ月の留学で名残惜しむこともないのだが・・(単に飲みたかっただけ・・)動詞の活用や前置詞の穴埋め、何故フランス語を学ぶのか。と言ったことを文章にするといった内容だった。遊びほうけてる場合ではなかった・・ほとんど出来ない

さらに面接。ここでオーラルや表現能力を見るのだろう。自己紹介と何故フランス語を勉強してるのか?などと聞かれて答える。またまた私はほとんど無言・・。 「自信を持ちなさい。あなたの発音は美しいのだから(いや、美しくなんかないっす!)」 と励まされる・・。

結局私はDébutant3のクラスとなった。Débutant(初心者) Elémentaire(初級) Intérmédiare(中級) Avancé(上級)の4段階にレベルが分かれていて、さらに1から5まで分かれている。つまり私の入ったクラスはかなり下。 とりあえず最初の授業へ。。一緒に入学したイタリア人の女の子も一緒のクラスだった。




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はじめてのヴィシー

2005年03月30日 | 留学中(ヴィシー編)
やっとヴィシーに到着。ドキドキ ステイ先のマダムはどこかしら~?電車を降りると一人のマダムが声を掛けてきた。

「Vous etes Mlle mojao ?」(あなたがマドモワゼルmojaoさん?)
ショートカットの恰幅の良い、でも上品なおばあちゃんだった。
「Oui Enchantée Je suis contente de vous voir」(ハイ、はじめまして。お会いできて嬉しいです。)

そのまま車に乗ってマダムのお家へ。お花が咲いててこじんまりとしたかわいい家だった。とりあえず部屋に案内してもらう。すると壁紙もベッドカバーも全て花柄の乙女チックな部屋だった。自宅の部屋とはかなり違うがそれもまた良し! マダムは一人暮らしで猫と小鳥を2羽飼っていた。家にはかつての留学生のお土産らしきもので飾られていた。そして私にこう言った。

「tuで話しましょう。私もあなたをtuで呼ぶからあなたも私をtuで呼んでちょうだい。」
(フランス語でtuは親しい間柄で呼ぶ2人称。初対面や目上の人に対してはvousです。)

他の留学生はいないので2人+1匹+2羽の共同生活の始まりです。 とりあえずお昼ごはんを。 メニューはスープとトマトとキュウリのサラダとパンとスモークサーモン。以外に日本の食卓と変わらないのね。でも綺麗にテーブルセッティングしてあってフランス料理だなって感じ。 緊張して(なんせ人見知りですから)会話の糸口がつかめない私にマダムは兄弟はいるのか?どのくらいフランス語を勉強してるのか、学生なのか?などと質問してくれたが、重い雲の垂れ込めたその日の天気のような雰囲気の昼食。

「C'etait bon(おいしかった)」と言ってごちそうさましようとしたらマダムはさらにチキンのローストを出してきた。昼から豪勢だ!スモークサーモンがメインじゃないのか!?さらにパン食べたのに米も出てきた。初日の昼飯からフルコース並みのボリューム満点。

その後私は部屋で少し休むことに。あ~何時間ぶりのベッドかしら・・。ゴロンとなったらそのまま爆睡。

フっと気づいて時計を見たら9時。しかし窓の外は昼間と変わらず明るい。

「朝の9時?それとも夜の9時?それともこれは日本時間?」 と混乱。ソロソロと下に降りていくとマダムが「あら、起きたのね。何度か様子を見に行ったんだけどぐっすり寝てたから起こさなかったわ。だけど、待ちきれなかったから夕飯のスープだけ飲んじゃったわ。」 9時とは夜の21時だった。まだ5月だったけど白夜のようにフランスの夏は21時でも明るいのです。


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旅立つ!

2005年03月29日 | 留学中(ヴィシー編)

5月上旬、21時発のエールフランスに乗ってパリまでひとっとび~。初めてエールフランスを利用したが

「せまっ!そしてボロッ!!ごはんマズ!!」

スッチーはかなりの割合でフランス人。お客さんも何故かフランス人多し。 今どき天井にちっこいテレビがぶら下がってるタイプ。空港で雑誌やら本やらを買って飛行機で読もうと思ってたのに夜便利用のため私が空港に着いた頃には既に本屋や売店が閉まっていて何も買えず。映画も見れない、本も無い。しかし寝ようにも何とも座り心地の悪い座席。通路側の席だったのだが横をスッチーが歩くたびに彼らの過剰な香水の匂いに胸がムカつく・・。

「二度とエールフランスなんて乗らん!」

既に帰国するときのことを思うと憂鬱になってくる・・。(念のためにいっておくと私の利用した便がたまたまボロかった。。帰りの便は快適だった。結局2度目の留学にもAFを利用した・・。)ひたすら時間が過ぎるのを待つこと13時間。

シャルルドゴールに着くと日仏文化協会の手配で現地駐在員の方と待ち合わせ。しかし朝の4時くらいに着いたため駐在員の方は7時にならないと来ない。 早朝の空港はカフェもまだやっていない。5月なのに息が白いくらい寒い。ベンチで待つことさらに3時間。

やっと駐在員の方到着。それからパリリヨン駅に向かい、そこからヴィシーまで3時間電車に乗る。 8人掛けの個室タイプ。電車のアナウンスも全く聞き取れない。そのため11時くらいにヴィシーに着くと言われていても全くくつろぐことが出来ず、ひたすらヴィシーまでの3時間固まったまま過ごす。何言か同席したフランス人に話しかけられるが全く理解できず苦笑いともつかない引きつった笑いをするのみ。

「遠い・・長い・・疲れる・・」

ヴィシー駅に着いたらホームステイ先の人が待っていてくれる。駐在員の方の情報によると「とても感じのよいマダムでしたよ。」とのこと。私はひたすらヴィシーにたどり着くのを待っていた。。 既にぐったり。



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学校選び

2005年03月28日 | 留学 準備編

日仏文化協会の留学カウンセルを受けることにする。留学してた人のアンケートや写真も見せてもらえるしアドバイザーに留学する期間や目的、好みなどを言うとオススメの学校を紹介してくれる。当初私はランブイエ国際学院がいいかなぁっと思っていた。なにより授業が週30時間もある。全寮制でパリから電車で30分。 ちなみに私が留学の参考にしたのはこちらです。

フランス語のおべんきょ
日仏文化協会
APEF
留学解体新書

文化協会のアドバイザーの方は「ヴィシーのカヴィラム校はホームステイの評判がとてもいいんですよ。」とおっしゃった。 当初ホームステイは私は考えていなかった。人見知りの激しい私はあかの他人と一緒に生活するなんて無理だ。ごはんとか生活習慣とか合わない人と一緒に生活することほどストレスのたまることはない。 でもヴィシーのカヴィラムで留学した人のアンケートを読んでみると誰一人として悪い感想を書いてる人がいない。ごはんはおいしかった。フランス語で家族とたくさん会話した。みんな本当の家族のようにかわいがってくれた。などなど。。

ヴィシーはフランスオーヴェルニュ地方にある小さな街で温泉が有名なところです。ミネラルウォーターのヴォルヴィックの近くです。 考えてみればせっかく留学する3ヶ月、とことんフランスとフランス人に接する生活はいいか・・。せっかく留学したのにネイティブに接する機会はあまり無いなんて話もよく聞くし。トラブルがあればステイ先を変更してもらえると言うし、田舎で治安もいい上フランスにはめずらしくヴィシーは日曜でもお店がやってるそうで退屈することもそれほど無さそうだ。授業も週に26時間ある。

 「うん!ヴィシーいいかも!」

あっさり変更。2校通うこともできるがなんせ人見知りの激しい性格の私は人と打ち解けるのに1ヶ月以上はかかる。(いやマジ)ので3ヶ月間カヴィラム一本で行くことにした。即決定!そのまま日仏文化協会で留学手配をしてもらうことにした。飛行機も手配してもらってサッサとお金も振り込んだ。あんなに苦労して貯めたお金だけど、消えるときはあっという間だ・・。二子玉川の駅前の銀行で自分のメイン口座のUFJから札束をごっそり引き落とし、隣りにあるみずほ銀行(指定口座)へ文字通り右から左へ移動していった。でもこの瞬間のために貯めてきたお金、なんの迷いも無い。お金がATMに吸い込まれていった瞬間はむしろ快感とも言える。

遂に3年越しの留学の夢が叶う日がやってくる~

退社の意思を伝えて1週間後、留学の準備で浮かれていた私に「マーケティング部で欠員が出るのでこっちにこないか?」と私に声を掛けていただいた。私は大学でマーケティングを専攻していて本当はそっちの仕事がしたかった。それまで私がしていたのは営業事務。

そんなぁ~!!

既に留学先を決めて留学費用も振り込んでしまった!!お金を支払ってなかったら留学を延期してもいいくらい私には魅力的なお話だったけど泣く泣く辞退した・・。 ちょっと後ろ髪をひかれつついざフランスへ!


留学決定

2005年03月28日 | 留学 準備編

「留学してどうするの?」 と親に言われて

「え?特に考えてないんですけど・・」

1年くらい留学したからと言ってフランス語を使う仕事に就けると思うほど私もバカではない。。 単なる趣味です。 1年くらいは留学しようと思ってたのだが弱気に結局3ヶ月のビザなし留学にした。なんかちょっと短期留学してみたりしたら満足したりすんじゃないかな、などと思ってしまった。(結局全然満足しなかったのだけど)留学してた友達にも「帰ってきてまた行けばいいじゃん!」と言われ、「行ったモン勝ちだな。見切り発車オーライだ」

さてさて、どこに留学しようか・・。実は留学したいって思い出してからネットや留学プログラムを行ってる団体の資料などを取り寄せたりして、かなり調べまくっていたのである程度は行きたい所は絞っていた。

「留学地はパリ以外で」

これが私の第一条件!何故ならパリには外国人がたくさんいるので英語で話しかけられるから。 ・・と、初めてフランス語を教えてくれたAlbéric先生が言ってたから。なんせボンジュールしかフランス語を知らなかった私がどうにか一人で旅行できてしまったわけですから。以前東京日仏で一緒に勉強していてパリに留学する女の子にこのことを言ったら

「でも、パリでしか楽しめない雰囲気を味わえることもあるでしょ?」

確かにね・・パリジェンヌになるのっていうのもまたひとつの留学のカタチ。NYとかロンドンとか街に憧れてそこに生活するっていうのも別に私は否定しないけど、私はなんせ語学向上を第一目的としていたし、もともと私はパリ好きというわけではない。。女性誌に載ってるパリ旅行の記事が夢物語だということを私は知っている。

私はどっちかって言ったらせっかく生活するなら「旅行じゃ行かないところがいい。都会は東京生活で事足りている。でもアンティーブとか南にも行きたい。でも南は訛りがあるって言うし・・ロワール地方はフランス語標準地域。でもブルターニュとかも海が近くて食べ物もおいしそうさらに授業時間は週に20時間以上あるところがいい!などとあれやこれや考えていた。 ん~迷う・・。  


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