つれづれ雑記

つれづれ:することが無くて退屈なこと
雑記:日常のことを何でも書きつづる

エムウエーブ

2014-01-23 | 旅行
長野オリンピックが決まったのは1990年ごろで、ちょうどイギリスにいた時だった。 近くのバーミンガムでのIOC総会で決まったが、長野からの関係者や支援者が大挙してバーミンガムに乗り込んでいたことが地元でも話題になっていた。 バブル絶頂期だったので、招致活動も開催準備もたいへんなお金をかけたことだろう。 その競技施設がオリンピック遺構として残り、市内のあちこちに巨大な姿を残している。 エムウエーブは今もスピードスケートリンクとして健在だが、フィギアスケートリンクだったホワイトリングは今はバレーボールやバスケットボールの体育館に、アイスホッケー会場だったアクアウイングは水泳プールに変わっている。 2020東京オリンピックで多くの競技場が作られたり、改修されたりするのだろうが、オリンピック後の使い方や維持管理はどのようになるのだろうか?

世界スプリント選手権は出場者が500mと1000mを2日間に2度滑走し、4回の滑走で順位を争うもので、スケート短距離の世界のトップランナーが揃い、この中からソチ・オリンピックのメダリストが出るのは間違いないだろう。 日本の男子では長島圭一郎、女子では小平奈緒さんら、オリンピック代表選手が出場していた。 初日の500mは小平さんが4位、長島選手は6位以下だった。 こんな大きな大会だが、チケットは前売り券1000円で全席自由席、小中学生は無料の安さ。 観客席は全部で10,000人収容だそうだが、入ってみると1階席のみの解放で、それでも50%も埋まっていなかった。 世界戦といってもそれほど人気の高くないスポーツなんだな。

レースは1/100秒台の争いなので氷の状態管理には細心の注意が払われていた。 公式練習が終わると氷の傷んだ箇所の補修をするが、大きな傷は1つ1つに細いノズルから水を流し込んで埋め、盛り上がったところは削り取る。 その後戦車のような大型の車で氷の表面をローラーをかけるようにならしていくが、多分温度で表面を溶かして平滑にするのだろう。 車の通ったあとはガラス張りのように真っ平らでピカピカと輝いている。 調べてみると日本で屋内400mのトラックを持つアイススケートリンクは、帯広とここだけだ。 エムウエーブがないと国際大会は開けないので、選手の育成も大変な競技だろう。 めったに見れない世界大会に巡り会えて、とても良かった。

エムウエーブ






スタート練習


練習後に傷んだリンクの補修




レース開始前に国際審判員がフェンスのマットの状態をチェック


開会式 橋本聖子会長の挨拶


コーチは選手に電子ボードを使ってラップタイムを知らせる

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