つれづれ雑記

つれづれ:することが無くて退屈なこと
雑記:日常のことを何でも書きつづる

横網(よこあみ)公園

2013-06-07 | 災害
横網公園が関東大震災で最大の被災者を出した場所だということは、吉村昭の「関東大震災」を読んで初めて知った。 ここで亡くなった人は全東京での死者の55%を占め、死者は1坪あたり2名というものすごい数だった。 お昼時の大地震だったので都内130箇所から同時に火災が発生し、折からの台風で風が強く火がまたたく間に東京の下町に広がり、焼失地域の図を見ると皇居を包み込み、山手線の内側はほとんど焼けている。 改めてすざまじい災害だったことを知るが、この横網公園のことも、毎年9月1日にここで慰霊祭が行わる慰霊堂のことも何も知らなかった。 原爆ドームのように大災害を強烈に印象づけるものを残さないと、時が経てばほとんどの人が忘れてしまうということだろう。

ここはまた東京大空襲の記念公園でもあり、復興記念館の内外には焼けた機械等が展示されているが、ほとんどが空襲の時のもので、大震災の時のものは写真や図面で展示されているのみだ。 空き地を隙間なく埋め尽くす人や家財、火事が目前に迫る浅草や上野の風景、焼け跡の銀座など、今まで目にしなかった写真がたくさん展示されている。 災害時の被害の状況は画家が描いた迫真の大きな絵で伝えてくれている。 何とも息を呑むような光景だが、震災後の復興した街の模型などは、かえって災害が美化されてしまったような印象だった。 

偉そうなことを言っても私自身、東日本大震災がなければ「関東大震災」を読むこともなかっただろうし、ましてここに来ることなど無かっただろう。 大災害に対する関心も防災意識も我ながらお粗末なものだ。

横網公園内の慰霊堂


復興記念館


公園の片隅にはデマが元で6000人以上が虐殺された朝鮮人を追悼する碑もあった
何とも痛ましいことだ


火が迫る公園にごった返す避難者


黒焦げになった死体が山のように重なり合っている


画家の書いた大震災、大火災時の模様


多くの国ではいち早く救援募金が募られたが、その時のポスター

最新の画像もっと見る