つれづれ雑記

つれづれ:することが無くて退屈なこと
雑記:日常のことを何でも書きつづる

くぎこ屋

2013-11-13 | 災害
陸前高田は7町あるが、そのうち6町が壊滅状態になった。 津波で家を失い命からがら逃れた市民は84箇所の避難所で数ヵ月過ごすことになったが、最大規模の高田第1中学には850人もの人が集まった。 釘子さんは長年陸前高田のホテルマンをされていたので、事態の急変や大勢の人に対するとっさの判断・対応には体が自然に反応したようで指揮を執ることになり、体育館や校舎が使えるとなると直ちに各地域ごとに使用場所を決め、顔なじみの人たちが一箇所に集まれるようにした。 そしてすぐに名簿を作って模造紙に書いて貼りだし、全員にここには誰がいるのかが分かるようにした。 同時にパソコンを持ってきていた人にそのデーターを入力してもらい外部にも知らせた。 このため高田第1中学の避難所は最も早く知られるようになり支援も受けやすくなった。

弱者優先で食料を配布するよう教室を幼児、小学生、高齢者等に分けて食事室としたり、インフルエンザにかかった人を隔離する部屋を決めたり、食料倉庫を本部前にして管理し、窓は外から見えないように目貼りをした等々、知恵と工夫を凝らした避難所運営をされた。 外部から避難所に最も早く入ってきたのは盗人で、家族や友人を探すふりをして物を盗っていくため、出入口を数箇所に限定したり、女性の行動は必ず複数でするよう秩序維持にもきめ細かく配慮された。 水を始め物資不足やトイレ問題はよく知られているが、異常な精神状態に置かれている人たちの避難所での暮らしはパニックを起こさせない秩序の維持が最も大切なことを教えられた。

こうした経験を次の災害時の減災に役立てるため、語り部となって伝えることが使命と、釘子さんは語り部ビジネスを立ち上げ全国に広げている。 まず災害にあった時にどこに避難するか、その避難所は安全か、避難所には何が備蓄されているか、自分の身の回りをよく見直してほしい、家族に避難する場所や集まる場所を知らせておくことも大切と、切々と訴えられ、とても貴重なお話だった。

陸前高田では新しいまち造りが少しづつ進み始め、震災遺構として4階までが津波に洗われた市営住宅、道の駅、1本松を守ったユースホステル、全員が無事だった気仙中学を残すことになったが、またしても防潮堤に巨額の資金が投じられ、市民の暮らしの再建が遅れることは大いに疑問を感じておられる。 同感だ! この機会に自分の身の回りをもう一度整理してみよう。

くぎこ屋パンフレット




高田第1中学の避難所部屋割り図

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